閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

382 チーズから連想したこと

 醍醐とか(乾)酪、蘇とかいふ食べものがある。あつたと云ふべきか。上代日本の乳製品。呼び名がちがふから、別の食べものだつたと思はれるが、どこがどうちがふのか、よく解らない。ミルクとバタとチーズとそれらの中間らしい。中間つて何だと訊かれても、元がはつきりしないのに、中間が明快になる筈がない。筈はないが、靄の中に霞む上代、我われのご先祖は乳製品を食べてゐたかも知れない。かも知れないと言葉を濁すのは、どうも余程に珍しい食べものだつたらしく、御門が臣に篭で持たせたとか、そんな話を目にした記憶がある。貴女の家系図に殿上人がゐれば、我が國の乳製品史に名を刻んでゐる可能性が考へられますよ。自慢になるかどうかは保證しないけれど。

 

 要するに日本人は古來、乳製品を口にする機会を多くは持たなかつた。断定は避けながら、少くとも当り前に食べる習慣はなかつたと想像して大間違ひではなささうに思ふ。全國各地にお大師さまの伝説は残つてゐても、坂東毛ノ國の井戸や温泉が、牛の乳で煮た粥でもてなした返礼で掘られたといふ話は聞いたことがない。九郎判官が大天狗法皇から褒美の蘇を賜つたとか、旭将軍が、馬ノ乳デ醸シタル酒を呑み、合戰に臨んだなんて逸話もないだらう。無學なわたしが知らないだけとも考へられるけれど、それでは見栄の部分で具合が惡くなる。

 

 ここで我が國では何故、乳や乳の醗酵食が發達しなかつたのだらうといふ疑問…中國料理でも乳またはその醗酵食を用ゐる例は多くないといふ。本式に調べたわけでない分は差引きしてもらふとして、確かにバタやミルク、或はチーズを(ふんだんに)使つた菜単は見たことがない…が浮ぶ。まづかつたからだよと両断しにくいのは、醍醐味といふ言葉が今にあるし、お寺の名前や御門への諡にもなつてゐるからで、惡い意味合ひがあれば、さうはならなかつたらう。畜産が軽んじられてゐたとも考へにくい。古代の官制には牛乳司といふ役職があつたくらゐだから、珍重されたのは間違ひない。ごく簡単に宮中や殿上貴族の需めが少かつたのか。食べたがり、或は歓ぶひとがゐなければ、手間の掛かることはしなくなつても、不思議ではないもの。

 

 上代古代の日本…正確には貴族連中…は何かと云ふと大陸の帝國の眞似をして、我こそは文明人と誇つてゐたが、食生活はどうだつたらう。宮廷と胸を張つたところで、塩はあつても醤油と味噌は未分化で、砂糖や蕃椒は影も形もなく、調理法は焼くか煎るか、後は塩漬けにするのが手一杯…詰りおそろしく貧弱な環境だつたと想像するのは容易である。尤もそれをまづかつたと受けとるのは気が早く、上代古代には上代古代のご馳走があつて殿上人を歓ばせた筈である。それが現代の我われに適ふかどうかは別だと解する方が正しからう。それで上代古代の食卓に乳製品が用意出來たとして、干し魚や木の實や濁り酒に似合つたか否かを考へれば、無理のある取合せになつたのではなからうか。

 

 別に事情をひとつに絞る必要はなく、他の食べものやお酒との相性、佛教の殺生きらひの拡大解釈、何より手間を掛けてまで、さういふ栄養価の高い食物を作らなくても、致命的な問題にならなかつたといふ條件が絡みあつたから、我われのご先祖は乳製品と縁の遠い食生活を續けたにちがひない。現代の目で見れば、何とも勿体無いことだが、飲み喰ひは結局のところ、その土地で獲れるものから形作られるのだから、止む事を得ない。

 

 では勿体無いと思ふのは何故だらう。

 旨いからである。

 

 臆病で知らない味には積極的に近寄らないたちのわたしなので、塩辛かつたり黴を用ゐたりしたやつは知らないけれど、その辺で気らくに買へるくらゐのなら好物である。麺麭と一緒でよく、スパゲッティには欠かせないし、デミグラス・ソースやカレーに隠すのもいい。ごはんに乗せたことは無いけれど、バタとガーリックのライスなら似合ふだらう。序でに云ふとチーズと味噌の相性の佳さは大したもので、これ計りはチーズ自慢の欧州人も知らないにちがひない。一ぺんえらさうに振舞つてみたいけれど、残念ながら欧州人に知合ひはゐないから、そこは諦める。

 

 それより特筆したいのは、酒精を相手にした時に見せる器の大きさの方で、経験則で云ふと、葡萄酒やヰスキィは当然として、泡盛焼酎、お酒にも適ふ。麦酒からシェリー、お酒を経て、葡萄酒に到るまでのつまみをチーズで通すのは、無理難題でも何でもない。贅沢が許されるなら、海苔や粒味噌、佃煮、ハムなんぞも用意しておかう。

 

 勿論チーズには様々の種類があり、酒精にもまた様々の種類があるから、すべての組合せが成り立つとは限らない。限らないが、身近に賣つてある銘柄同士だつたら、余程に捻くれた銘を撰ばない限り、頭を抱へずに済む。チーズ以外にかういふ安心感を得るとすれば、おそらくピックルスがさうなるだらうが、海苔だの何だので変化を持たせにくい難点がある。この乳の醗酵食品は矢張り大したものだなあと思ひ、思ひながら、酪や蘇を知つてゐた平城平安の貴族が、この組合せの妙に理解を示さなかつたのは、醗酵の技術が未熟なのを差引きしても、改めて不思議に感じられる。

 

 もしかすると、さういふ樂みは寺僧の特権だつたのだらうか。酒醸りを遡ると奈良朝の寺院に辿り着くといふ。かれらは醗酵といふ(当時としては)特殊な技術のプロフェッショナルだつたわけで、更に云へば海外からの新知識を得易い立場でもあつた。その大半は佛典だつたのは間違ひない…寧ろ当然だが、片隅に筆法や絵画、音樂、彫刻の技法が含まれてゐたと考へるのに無理はないし、その中に含まれてゐた(かも知れない)酪や蘇や醍醐の製法に通じてゐたと考へても、眞つ向からは否定しにくい。ここで無知の奔放な空想を許してもらふと、青丹かがやく奈良の巨刹の奥で、月に一ぺんくらゐ、高僧がこつそり集つて、お酒とチーズで酒宴を開いてゐたのではないか。その末席に、私度僧になる前の空海が坐つてゐたと思ふと、愉快な気分になるのだが、眞面目な修行僧からはきつと、厭な顔をされるだらうなあ。