閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

639 麦酒とベーコン

 『麦酒は、(大麦の)麦芽、ホップ、水(後に酵母も追加された)のみを原料とする』

 さう定めたのは、十六世紀初頭のバイエルン公ヴィルヘルム四世。麦酒純粋令と呼ばれる。五百年を経た廿一世紀でも有効で、現役の法としては世界最古の部類に入るのではないか。そこで判るのは

 

 第一に当時のバイエルン(だけでなくおそらくはドイツの全域)では、麦酒は当り前に醸造され、呑まれてゐたこと。

 第二にバイエルン公がかういふ發布をするくらゐ、いい加減な醸造が罷り通つてゐたこと。

 

の二点で、現代の我われ日本人としては、へえあのドイツ人がねえと、肩をすくめたくなる。わたしなんぞは単純なのでライカやツァイス・イコン、ローライ、リンホフからの聯想で、緻密厳密の印象が強いから、麦酒醸造で手を抜いてゐたと云はれても、實感が伴はないよ。

 念の為、我が國の五百年前はどうだつたらう。応仁ノ乱が一応終結して卅年余り。宗瑞伊勢新九郎…後の北条早雲…が相模を切り取つた頃、戰國時代の黎明期と云つていい。さう考へれば、バイエルンのいんちき麦酒醸造は大したものだと見ることも出來なくはあるまい。この後に群れ溢れる戰國大名のたれひとり、お酒の"純粋な醸造法"を定めてはゐない。造り酒屋は正直ものだつたからか、もつと簡単に麦酒と較べて、誤魔化すのが面倒だつたからか。

 

 ところで冒頭の麦酒純粋令には曖昧な部分が残つてゐる。規制は確かにあるが、工夫の余地もあるわけで、バイエルンの、またそれを引き継いだドイツ帝國の麦酒が豊かになつたのは、その余白にあると見て、きつと間違ひはない。ヴィルヘルム四世がそこまで見越して純粋令を發布したかといふと、その辺は怪しいけれども、結果はうまくいつたのだ。今さら文句を附ける筋でもないでせう。

 麦酒の醸造過程をここで云々はしない。麦酒會社がそれぞれに画像や映像を公開してゐる筈だし、時期の宜しきを得て工場の見學に行けばもつといい。わたしは関東近郊の大手會社の見學に行つたことがある。麦酒醸造の基本的な流れは各社でほぼ変らない。にも拘らず、麦酒の味はひは實に広範であつて、その広範は詰るところ何の麦芽をどのホップ、どんな酵母と組合せ、醗酵させるかに拠る。信じ難いと思ふひとは、工場で試飲すれば直ぐに納得出來て…バイエルン公に感謝を捧げたくなる。

 

 さて、ここで疑問をひとつ。公は麦酒のつまみに何を食べてゐたのだらう。バイエルン、ドイツで麦酒と云へばソーセイジ…ヴルストを聯想するとして、保存食であるソーセイジが公の食卓に相応しいかどうかは別の問題の気がする。いやドイツは全般、食べものに関しては豊かとは呼べない土地柄(の印象が強い所為があるもの)だから、貴族階級だつて、馬鈴薯とキヤベツ、それからソーセイジに舌鼓を打つたと考へられなくもないし、さう考へたくもある。

 

 實際、麦酒のつまみの四天王を撰ぶとして、眞つ先にソーセイジを挙げて異論は出まい。續くのは鶏の唐揚げと焼き餃子。残る一席はコロッケとミンチカツが争ふ…待てよ、ここは寧ろベーコンの登場を願ふべきか。こんなことを云ふと、ソーセイジの親戚筋(事實は兎も角)を四天王の一角に坐せしめるのは如何かと反論が出る可能性はあつて、まあそれはその通りなのだが、コロッケやミンチカツとベーコンを麦酒のつまみとして較べれば、ベーコンに軍配を上げたくなるのは人情の当然でもあらう。

 

 カリー・ヴルスト。

 鶏の唐揚げ。

 焼き餃子。

 そこに分厚く切つた焼きベーコンと辛子。序でに玉葱を花のやうに揚げたフライ、それからザワー・クラウトを纏めて大皿に盛りつければ、日獨友好萬々歳で、これならバイエルン公だつて不満の鼻を鳴らすまい。残念ながらコロッケやミンチカツでは…左手にコロッケ(乃至ミンチカツ)、右手に罐麦酒を持ち、散歩のおやつにするのが素晴らしい喜びなのは認めつつ…ちよいと、格が落ちる。

 併し気が附いたのは、麦酒にあはせる際のベーコンは、断然厚切りでないと満足出來ない。サラドに混ぜたりサンドウィッチの種にするなら、薄切りをかりかりに焼き刻んだのだが、そこは別扱ひ。麦酒と共にあるベーコンをベーコンとして食べる場合、繰返しますよ。

 断然、厚切りが、望ましい。

 その厚切りは串に刺し、焼いてもらひたい。ナイフとホークでお行儀よく食べるより旨いと思ふ。またかぶりついたベーコンの脂と塗りたくつたマスタードを麦酒で洗ふのは愉快でもあつて…いやどうも我ながら品下れた樂みである。とは云へ麦酒自体、礼儀作法を守つて味はふ呑みものではないと居直れはするし、居直りを見せても

 「ふむ。味はふのは、優雅な社交場の葡萄酒に任せれば、それでよからう」

バイエルンの殿下だつてきつと、賛意を示してくれる。もしベーコンの純粋令が出されてゐたら、現代の我われは麦酒のお供に困窮してゐるだらう。