閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

442 温故知新の山葵考

 山葵が日本原産の植物なのは知つてゐた。併し

 ・學名:Eutrema japonicum

 ・シノニム:Wasabia japonica

 とは知らなかつた。どちらにもjaponの語が含まれるのが象徴的ですな。學名とシノニムの細かなちがひまでは触れない。元は藥(草)として用ゐられたらしい。我われのご先祖は山葵の味と抗菌の効能を経験的に判つてゐたといふ事か。

 ではその経験をいつ頃得たのかと思ふと、千三百年から千四百年(以上)前…日本史の大きな区分で云ふと飛鳥時代まで遡れる。推古帝と聖徳太子のコンビから始り、持統帝に到る一世紀。佛教の伝來やら遣隋使の派遣、大化ノ改新と上代史が賑やかな時代であつた。その時代の遺構…奈良県の明日香村にある飛鳥京跡苑池遺構…で見つかつた、"委佐俾三升(委佐俾でワサビと訓むらしい)"と書かれた木簡が、今のところ最古の記録。詰り山葵はそれ以前から、記録される程度に認識されてゐたと考へていい。尤もそれだけでは

 「山葵が藥用だつたとは云へないのではないか」

さう疑念が浮ぶ。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にも同じだと思ふが、十世紀初頭に成立した(と思はれる)『本草和名』に山葵の記載があるといふ。本草は植物…やや狭く藥草の意なので、今風に云へば藥草辞典か。平安の辞典に載るのだから飛鳥京でも同じ扱ひだつたにちがひない。

 その山葵が食用に転じた、或は食用を主とするようになつたのは(残念ながらはつきりした記録は調べられなかつた)室町期辺りといふ。日本の飮食は多くがこの時期に確立した事を思ふと、当時の洒落者が山葵の使ひ方をあれこれ試したのだらうなと想像したくなる。もしかすると(こつそり)獸肉にもあはせたかも知れない。

 今ならお刺身か。ちよいと乗せ、醤油をつけて食べる。蕎麦でもつゆには落とさない。かう云ふと、なんだ丸太は

 「通を気取りやがつて」

と咜られさうである。なので云ひ訳をすると食べ方は滅多にしない。わたし程度がありつけるお刺身では、大体が粉山葵が添へられるもの、これなら寧ろ先に溶く方が、醤油がうまくなつて具合がいい。辛子だとどうなのだらう。随分と以前に八丈島料理を謳ふ居酒屋で食べた島鮨…種が何とも色鮮やかな早鮓…では辛子が使はれてゐたのを思ひ出した。

 後は何で山葵を使ふだらう。山葵漬けは實のところ苦手である。これは山葵の責任でなく、粕漬けが口にあはないのが理由らしい。山葵風味のお菓子も感心しない。蒲鉾や竹輪には似合ひますな。お吸物にも適ふ。ほんの少し落として香りを立たすのは、和食の素晴らしい知恵ではなからうか。

 ここまで書いてから、山葵の使ひ方はもしかすると、室町以來、激変を知らないのではないかと思つた。何しろ日本の固有種だから、プロヴァンス風鶉のサラド山葵ドレッシングだの広東風揚げ鱸山葵あんかけだの(鶉サラドや揚げ鱸があるかどうかは保證しませんよ)、外ツ國には用例を求められない。日本史を大きく眺めると、激変は必ず外部からの衝撃を起因とする。佛教と鐵砲と黒船を挙げればああ成る程と思つてもらへるだらうが、ここに西洋料理を追加しても異論は出ない…出にくい(だらう)と思はれる。その献立を見て

 「山葵(に似たもの)を使ふメニュが無い」

と気がついた料理人がゐたかどうか。疑はしいな。それとも試行錯誤の結果、歴史の彼方に消えたのか知ら。その辺の事情は判らないけれど、西洋料理の侵入といふ日本の食事史最大の衝撃、または外圧に山葵(の使はれ方)は殆ど影響されなかつた…詰り激変を知らないまま、使はれ續けたと見るのは間違つてゐないでせう。

 さて現代ではどうかといふと、大きな変化は起きてゐない感じがする。山葵の美味しさ普及協会辺りが旗を振つてもよささうに思へるが、この藥草はかなり神経質な植物であるらしい。水山葵に話を絞ると、栽培には綺麗で冷涼な大量の水が欠かせないといふ。さういふ水に恵まれなければ育たないとなると、収穫だつてごく限られて、廉価な流通は期待出來ない。保存も冷藏乃至冷凍で一ヶ月程度といふから、お刺身と鰻の白焼きともり蕎麦を毎日食べる富豪だつて、家で使ひ切るのは六づかしからう。詰り山葵をあしらつた料理を樂みたければ、少々奮發して、いいお店に出向かざるを得ない。

 粉山葵で十分といふなら(わたしはこつちに属する)、特賣の牛肉を買ふ方法は考へられる。たれに漬けたのを焼いて、粉山葵を小皿に用意しておけば、麦酒のいいお供になる。

 「それはちよいと、和食から離れてゐませんかね」

さう指摘する聲が聞こえなくもない。ただ一書に曰く、源平合戰の時代、敗け落ちた平家方の武者が山葵…勿論粉山葵ではなく…で鹿肉を喰つた(匂ひ消しと衛生を兼ねたのだらう)といふ。殺生を厭ふ佛さまの教へが我が國ではごくいい加減…でなければ表面的に尊ばれだつたのは今さら云ふまでもないが、そこに山葵が登場したのには驚いた。驚きながら、山葵の使ひ方の糸口になりさうだとも思つた。ジビエ…鹿、猪、鴨、兎、熊、山鳩…の料理に濁り酒を用意すれば、上代の直會…神事の後の宴會だと思つてください…を彷彿とさせる。山葵があれば上等だが、粉山葵でもまあいいでせう。先祖返りの振りをしつつ、獸肉の樂み方の幅が広がるのなら、我われのご先祖も悦ぶだらうし、japonの名にも相応しい。