閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

379 ハムとソーセイジのベーコンのこと

 我われのご先祖は獸肉を食べる習慣を持たなかつた…少くともその習慣を失つた。それは佛教による殺生きらひが大きな原因である、といふ見立てがある。どこまで本当なのか、はつきりしない。三河土豪の頭領が征夷大将軍位に就いて以降、大つぴらに食べなくなつたのは確實で、あの三百年間、肉食の習慣を持ち續けたのは、薩摩の猛者くらゐではなかつたらうか。裏を返すと大つぴらではなく、食べてはゐた筈で、版画に出てくる“山くぢら”の看板や、菟を鳥と云ひ張つて、一羽二羽と勘定した話、江戸の下屋敷跡からは菟や鶴、狗なぞの骨が出土した話でそれは判る。

 併し獸肉は江戸以前から今に到るまで、我われの食卓で、中心的な役割を果してゐない。これから百年経つても、さうなのではないかと思ふ。もつと云ふと、米が除けられない限り、獸肉が覇権を取るのは不可能であらう。

 殺風景な理由から触れれば、米と獸肉では、養へる数がちがふ。効率のいい植物なんである。更にジャポニカ米は大抵の食べものに適ふ。焼鮭や鰯の煮つけや鯵の乾物だけでなく、ビーフ・シチューでも鴨のオレンジ・ソースでもウィンナ・シュニッツェルでも、米をあはすのは難題とは云へない。すべての食べものはおかずである、とはお米の広告だつたが、これは掛け値無しの眞實だと云つていい。さうなると獸肉への関心が高まらなかつたとしても、ご先祖を責めるわけにはゆかない。米塩に味噌と醤油、後は少しの野菜の切れ端でもあれば、食事が成り立つもの。獸肉が旨いのは知つてゐたらうが

「そんな贅沢は、やつてゐられない。やらなくても腹はふくれる」

といふ程度で、困つたのは直会の時くらゐだつたのではなからうか。詰り佛教が食生活を激変させたとは考へにくい気がする。

 

 意地の惡い見方をすると、小麦に頼り、併し頼りきれない事實が、ヨーロッパ人を牧畜に駆り立てたのではないか。大帝國を築き上げ、(結果的に)ヨーロッパの原型を作つたローマ人…もつと広く地中海人と呼んでもいい…は魚介を好んだといふが、内陸のバルバロイには無理な話(但しブリタニアと呼ばれた英國は、その当時から牡蛎が旨いので知られたといふ)で、だとすると、羊や豚や牛に執着せざるを得ず、またその育て方は、松阪牛のやうに歌を聴かせ、麦酒を与へ、マッサージを欠かさないといつた丁寧には目を瞑り、一匹を大きく、一群を増やすことに集中しもしただらう。それで得られる肉は、三田牛のやうな軟かさとは無縁だつたに決つてゐる。食べる工夫が求められ、また出來るだけ長期の保存に耐える方法も考へざるを得なかつたにちがひない。意地は惡いが、それだからあいつらは、と話が繋がるわけではない。かれらはそれでハムとソーセイジとベーコンを手に入れたのだからね。

 基本的には豚肉の塩藏燻製だから、あからさまに保存食であつた。塩辛くつて堅くつて、まづかつたらうな。念の為に云ふが、まづかつただらうと想像するのは、保存しか考へてゐなかつた頃の味である。ただピレネーやアルプス、スカンジナビアの山塊に住む人びとが、それに満足したとは思へない。腐りにくいぎりぎりの塩の分量、堅くなり過ぎない火の通し方、食べる際の味つけや何をあはせるかまで、試行錯誤が續いたのは疑念の余地が無い。さうせざるを得ない事情があつたのさと云ふのは狭い見方で、我われのご先祖が鯖だの鰊だのを塩や味噌に漬け込んだのも、その部分の骨組みは同じではないか。そこに山塊人ほどの切實さを感じないのは、米の有無のちがひか。

 

 ハムソーセイジベーコンに戻りませう。記憶を遡ると、一ばん古いのは、小學校の給食で出た魚肉ソーセイジで、旨かつたかどうかは丸で覚えてゐない。筆の柄くらゐの太さ。両端が小さな金属の輪つかで括られた、ぴつちりした袋といふのかに入つてゐた。輪つかの辺りに歯を立て、ぐるぐる捻つて千切り、バナナの皮を剥くやうにしながら食べた愉快は覚えてゐる。少くともまづくはなかつたのだらう。尤も魚肉ソーセージをハムソーセイジベーコンの仲間に入れていいのか、議論の余地は残るから省くとすると、次の記憶はマーケットで賣られてゐる薄切りのハムになる。日本ハム伊藤ハムのどちらだつたらうか。同じ薄切りのチーズ(確か雪印)に、薄焼き玉子とレタースとトマトの輪切りとで、朝のトーストに挟んで食べてゐた。残るベーコンは妙な匂ひの食べものといふ印象が記憶にある。当初は旨いとは思はなかつたのだな。今では薄切り厚切りを撰ばず、大の好物で、何が切つ掛けになつたのか、曖昧なのは残念である。たとへばどこかのベーコン・エッグだつだとすれば、改めて食べに行けるかも知れないのに。なし崩しに食べ馴れたとは考へられるし、思ひ出せても結局、何でもなかつた可能性もある。かういふのは曖昧なままにはふり置くのが、あらほましい態度なのでせうな。

 

 かう書いて思ふのは、少年丸太の食べたハムソーセイジベーコンを、ヨーロッパ山塊人に供したら、かれらはどんな顔をするだらう。首を傾げるのは確かとして、苦笑ひを浮べるか、呆れるか、怒りだすか、想像が六づかしい。どう考へても、ハムソーセイジベーコンとは認識されないのはほぼ確實で、下手をすると獸肉に似た何か…日本の少年よ、これは一体なんだい?…で留まることも考へられる。今のわたしがその場にゐれば、この頃の日本人は、獸肉の扱ひが得手ではなかつたのだとか何とか、誤魔化すだらう。誤魔化すと云つても嘘ではない。刻んだ肉を腸に詰込み、或は煙で燻し、また塩漬けを雪原で凍れさせるなど、我われのご先祖は思ひもせず、味噌漬けが精一杯で、その手法は魚や野菜からの転用であつたから。

 實際のところ、日本のハムやソーセイジ、またベーコン作りはわたしが少年だつた遠い昔から、どの程度進んでゐるものか、甚だ疑はしい。畜産自体が貧弱とは思はないが、それは肉そのものを美味くする方向を目指してゐる。そこを非難する積りはないにしても、脂と甘みと軟かさ計りに目を向けるのはどうか知らとは思ふ。内田百閒先生曰く、肉には堅いのと軟かいの、旨いのとまづいのがあつて、それらは別々の要素なのだといふ。その指摘は正しい。更に云へば堅からうが軟かだらうが、まづい肉を無くすことは出來ない。まづい肉を棄てるわけにもゆかない。それでまづい…は棘があるなら、日本人好みの清潔で綺麗な…肉でハムソーセイジベーコンをもつと作ればいいのにと思ふ。かう云ふと叱られさうだが、素材としての獸肉に膠泥せず、獸肉を旨く食べる為の手法(といふ方向に洗練を續けたの)がこれらだと思ふと、寧ろ当然の慾求ではなからうか。いや本気で云ふのですよ、わたしは。

 

 そんならどうしろと云ふのだと苦情が出るのは予測の範囲で、畜産家でも食肉会社でも、或は獸肉を愛好する個人や団体でも、クラッシックな手法で、積極的にハムソーセイジベーコンを作るのを前提にして、その旨い食べ方をどんどん知らせれば宜しい。麦酒では大手が、一種のクラフト・ビアを少量生産し始めてゐて、それで商ひになるのだから、作ること自体は六づかしくないかと思ふ。ハムソーセイジベーコンの場合、麦酒や葡萄酒やお酒、或はごはんにどうあはせるかが肝になるだらう。

 玉子や苦瓜と一緒に炒めませう。

 トマトをくるんで串焼きに。

 うでて焼いて、マスタードと刻み玉葱と酢キヤベツを添へて。

 さういふのが美味いのは知つてゐる。いつでも歓迎したい。それはそれとして、たとへば味噌炊きにしたり、シロップ漬けの果物とあはせたり、酢と組合せたり、旨いのかどうか判らないけれども、兎にも角にも、ちつと試してみるか(面倒も少さうだし)と思はせるメニュ…気障にマリアージュと云ひませうか、クラッシックな手法にそのマリアージュがあつて、ハムソーセイジベーコンの魅力は改めて、際立つてくるのではないだらうか。

 その一方で大皿に茹でソーセージ、焼きソーセイジとハム・エッグに辛子入りのウスター・ソースをどつぷり、その場で削つた生ハム、分厚いベーコンのステイクにはたつぷりのマスタード、山盛りのザワー・クラウトとオリーヴが盛られ、大きなコップに注がれた麦酒と、カラフェの葡萄酒があれば

「おれはこれ以上を求めない。ヨーロッパ山塊人に栄光あれ」

と叫ぶのに躊躇ひはない。さう叫ばせてくれるハムソーセイジベーコンが身近に見当らないのは、我が人生の不幸ではないだらうか。いやこれも本気で云ふのですよ、わたしは。

378 わざわざ出掛けること

 何で目にしたか忘れたけれど、東京は居ながらにして、世界中の美味いものを食べられる都市なのださうである。確かに見た記憶のある看板を順不同に挙げると、フランス、イタリー、ドイツ、イギリス、スペイン、ギリシア、インド、ロシヤ、ハンガリースウェーデンエチオピア、ブラジルなどが浮んでくるし、國内に限つても、札幌や山形、仙台から、金沢、京都、広島、島根、博多を経て、奄美から沖縄まで、各地の地名に見覚えがある。パリなぞは美食の都と呼ばれてゐるさうだが、あすこでマルセイユの料理を食べたくなつても、きつと苦心しさうで、さうすると東京は特異なのだなとは思つてもいい。尤もその特異さには、東京で、江戸前は兎も角、東京料理の看板を一向に見掛けないのも含まれる。東京は精々百五十年程度の歴史しか持たない満たない若い町だから、自前の料理を持つのは六づかしいのか。或は自前でどうかうする間もなく、内外の料理が入つてきたからとも考へられる。

 

 併しだから東京に住んでゐれば、それで平気なのかと云ふと、まつたくそんなことはなく、たとへば奄美の食べものに油素麺といふのがある。沖縄料理のそーみん・ちやんぷるーとほぼ同じい。實に美味いもので、黒糖焼酎とあはせると、それで豊かな気分になる。残念なことに奄美には行つたことはないが、東京でも樂しめるのは勿論で、ただ奄美で喰つたらもつと旨いだらうなと思ふ。当り前の話をすると、ある土地の食べものと酒精は、その土地で獲れるものや気候、ひとの気質といつたもので洗練されてゆくものだから、それと異なる土地で食べたとして、まづくはないにしても、本來の旨さとちがつてくる。良し惡しではなく、さうなのだといふことで、油素麺が芋煮でもスペイン風オムレツでも、その辺の事情は変らない。我われがある食べものを口にする時、その土地の風や太陽も口にするのだと考へると、東京は食べものが世界一の町なのではなく、食べものの巨大な型碌なのだと見立てることも出來る。尤もその型碌は食べられる。

 

 話を繰返すと、都内のパブでフィッシュ・アンド・チップスをつまみながら、ギネスをひつかけるのは、さして六づかしくない。そこで頭に浮ぶのは、これがロンドンのパブだつたら、どんな気分になるのだらうといふことである。シャブリに生牡蠣の組合せを試した時は、大したこともないと感じたが、パリのカフェでモレスキンに何かを書き附けながらだつたら(詰りヘミングウェイ気取り)、案外に旨いかも知れないとも思つた。それを實感するにはロンドンのパブやパリのカフェまで行く以外に方法はない。ギネスやシャブリは偶々思ひついたから挙げたまでのことで、前述の黒糖焼酎奄美を想像するのと、南北のちがひはあつても骨組みは同じである。さうは云つても、ロンドンやパリや奄美は、気らくに行ける場所ではない。香港のお大尽ぢやああるまいし。と嘆きたくなるのは大兄だけではないから、安心してもらひたい。

 

 それでもう少し東京からの距離を縮めると、鮟鱇といふのがある。フィッシュ・アンド・チップスや鰰と同じく、都内で鮟鱇の肝だの唐揚げだの鍋だのを食べるのは確かに容易い。そこは型碌の有難さとして、矢張り寒気凛冽の候、身を震はせながら茨城まで行くのが本筋であらう。眞冬の茨城なんか、何もないに決つてゐると嘯くのは勝手だが、眞冬の茨城で喰ふ鮟鱇が目的なら、外に何もないのは気にならないし、梅林だのお祭りだのは寧ろ余計である。折角だからどこそこの神社にお参りしたいとか、何とかいふ景勝地に立ち寄らうとか慾を出すと、神社や景勝地に行かねばならなくなり、行つてどうだと云へば、気分はせいせいするだらうし、美しいかも知れないけれど、それきりのことである上、鮟鱇が頭の隅にあれば、そのせいせいも美しさも腰が坐らなくなる。勿体無い。茨城辺りなら、東京から特別急行列車で二時間もあれば着到するから、直ぐの距離である。だつたら家を出る時から、頭の中を何時間か後に喰へる鮟鱇で満たして、幕の内弁当をつまみに罐麦酒でも葡萄酒半壜でも呑みながら、目に前に登場するのを待つ方が好もしい。わざわざ出掛けるのはさういふことで、東京の花々しい看板は、その為の素晴らしいガイド・ブックと云つていい。

377 鯖のこと

 先づ画像をご覧頂きたい。

 焼き鯖である。

 大根おろしがある。

 檸檬も添へてある。

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 沖縄珊瑚麦酒のケルシュを呑んでゐたら、出されたのが、この焼き鯖に大根おろし檸檬で、出されたといふのは誇張ではない。詰り註文をしたのではなく、附出しであつた。多分四百円とかそんな値段だつたらうが、こちらが席に坐つてから焼いて呉れたのだから、妥当以上に廉と云へる。名のある鯖でないのは勿論として、焼きたての鯖はまつたく旨いのだから、そんなことは問題にならない。

 

 鯖については何度か、或は何度も触れてゐる。困つたら鯖の話題とまではゆかない筈だが(自信は持てない)、もしかしておれは鯖を魚介で一ばん好んでゐるのかなと思ふ瞬間は確かにある。鮭の塩焼きや鯵の一夜干し、烏賊のお刺身が旨いのは熟知してゐるし、さうなると物尽し方式にあれこれ挙げたくなるが、ここでは我慢する。

 

 こちらの無知を前提に云ふと、鯖は鮭、鰯と並ぶありふれた魚ではないかと思ふ。鮭だと檀一雄が、英國のスモークト・サモンを“人工と自然のきわどい合体”と絶讚してゐたし、鰯はオイル・サーディンが有名なのは勿論として、『セサミ・ストリート』で、オスカーが“鰯の罐詰のサンドウィッチ”と云つてゐた記憶がある。

 余談ひとつ。わたしが小學生の頃の『セサミ・ストリート』は吹替無し。字幕も無し。科白は日本放送協会が出版してゐた本で確めてゐた。何年か過ぎて偶々目にした時、可愛らしい聲の吹替放送になつてゐたのには驚いた。

 

 鯖に戻る。

 “生き腐れ”と呼ばれるくらゐ、足が早い。我われに馴染み深い〆鯖や塩焼き味噌煮の類は、さうしないと食べるのが六づかしくなるからだが、ここでは寧ろ、さういふ面倒を厭はないほど、鯖は旨い魚であつた、魚であることが大事だと云つておきたい。また塩漬けにし、酢で〆め、味噌漬けにし、干し、燻した…詰り保存の手間を掛けた鯖を焼き、揚げ、煮つけ、蒸した鯖は實に旨い。保存はそもそも止む事を得ない手法だつた筈で、その止む事を得ない保存食を、樂しみに昇華させた先人の喰ひ意地と、それに応へた鯖には、(人類を代表して)感謝を捧げねばならない。

 

 罐詰(水煮をトマトで煮るとうまい)や、お弁当に鎮坐する塩焼き。味噌煮の定食。竜田揚げ(衣に少しのカレー粉を含ませると、麦酒のつまみに恰好)お酒のお供の酢〆。焙つた一夜干し。残念ながら食べたことは無いが、うまいにちがひないサンドウィッチと燻製。惜しむらくは骨が堅くて噛み砕けないことくらゐで(待てよ、臓物の塩藏…要は塩辛…はあるのだらうか)、ごはんに適ひ麺麭にも適ひ、麦酒にもお酒にも葡萄酒にも適ふ。ありふれてゐるゆゑ(鮭や鰯や鯵もさうだが)、様々の土地の調味料や酒精に似合ふ料理が工夫されてきた、これはささやかな證であつて、考へてみれば、大根おろしに添へられた檸檬も、舶來であつた。我われは鯖の調理史の中に生きてゐる。

376 盛合せのこと

 “何々の盛合せ”と聞くと、何となく昂奮する。たとへば天麩羅の盛合せ。或はお刺身の盛合せ。格は多少落ちるが、おでんやチーズ、ソーセイジの盛合せなんていふのもある。旨いもののいいところ取りの感じがして、かういふのは西洋にあるのだらうか。イタリアでスパゲッティとマカロニとフォッカチーネの盛合せセットなんて、どんな田舎町にも無ささうな気がする。中國でも揚げ鶏と牛肉の煮込みと焼き豚肉の盛合せがあるとは思ひにくい。我が國獨特の供し方なのだらうか。

 

 元は一種の宴会料理なのではないか知ら。土佐に皿鉢といふ形式があつて、檀一雄の『美味放浪記』から引くと

 

 大鯛が二尾、岩の上に躍り上がっている。その岩の下に波打っている刺身の群は、これは、海の波にでも見立てたものであろう。その周囲に積み上げられたサザエや、トコブシや、エビの群。いやはや、たちまち、私に正月が

(黒潮の香を豪快に味わう皿鉢料理)

 

襲ひかかつてきたやうに豪華な料理であつて、これだけでは信用出來ないと首を捻る向きには、丸谷才一の『食通知つたかぶり』の

 

 鰹のたたき。尼鯛の姿ずし。トコブシ。蟹(エガニといふむやみに爪の大きい蟹)。カマボコ。ウメイロ(鯛のやうな、シマアヂのやうな魚)。バイ貝。栗の甘煮の空揚げとギンナンの空揚げ。イカの黄身やき。枝豆。イカの握りずし。マグロの握り。アナゴの握り。トマト。海藻。タデ。ウド。

(四国遍路はウドンで終る)

 

といふ絢爛豪華な一覧も挙げておく。どちらもまつたく旨さうで、長宗我部の一党が四國を切り取つたのは、かういふものを食べたからではないかと思ひたくなつてくる。十六世紀の鬼國侍の食卓がどうだつたか、知人がゐないので、本当のところは判らない。それに我われだつて、似た形式の料理は持つてゐるので、御節がさうである。重箱に詰められた棒鱈や煮豆や蒲鉾や昆布巻きを、皿鉢のうんと小さくて特殊な形態とみても、因果関係は兎も角、見た目の関係は誤りとは云へない…気がするのだが、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には如何だらう。

 

 さてそこで御節や皿鉢から、ある一定の括り…煮物だとか揚げものだとか…を取り出して、小皿中皿に纏めるとする。ほら、そこに盛合せ(の原型)が完成してゐないだらうか。スウェーデンにスメルガス・ボードといふ(元は)持寄りの宴会料理があるのを思ひ出す。煩を厭つて一覧の引用は控へるが、皿鉢に劣らず非常に豪華。あすこから魚だけ肉だけ、ひと皿に纏めたら、スウェーデン風盛合せになるだらうに、さういふ料理は見たことがない。

 ただかう考へると、我われに馴染み深い種々の盛合せは、本式な豪奢の一部を抜き取つて成り立つたのではないかと疑念が浮んでくる。昂奮するのはひよつとして、貧乏臭さの裏返しではあるまいか。不安になつてきた。いやいや気にしなくても、日本には鮨桶といふ一種の盛合せがあるでせうと慰めて呉れるひともゐるだらうが、鮨桶は寧ろ日本式の盛合せが出來た後、生れたのではないだらうか。勿論、信頼に足る根拠は無い。

 

 盛合せの原型は洋食かと思へる。信頼に値する根拠を持たないまま續けるのだが、フライやソテーやカットレットが我われの食卓に登場して、僅かに二百年足らずしか過ぎてゐないからなあ、とは云ひたくある。それも短期間に波が押し寄せる勢ひで入つてきて、日本の食事史が何年になるか知らないが、空前の激変だつた(いや今もその最中であらうか)と理解しても、誤りにはならない筈である。尤も最初は随分と無愛想だつたらしい。内田百閒の『御馳走帖』を見ると

 

 カツレツの片は無暗に大きくて、お皿の外に食み出してゐる(中略)ただ一皿のカツレツを、太牢の滋味として味はひ、何となく身内に精気が漲るやうな気持ち

(食而)

 

になつたと書いてある。これは“田舎の高等學校にゐた頃”とあるから明治の終り頃だらう。当時はその程度でも十分洋食を名乗れたと判る。百閒先生が學生時代を過したのは岡山だから、東京では多少なりとも事情が異なつたかも知れないが、数年程度の誤差ではなかつたか。

 その“お皿から食み出”るカツレツで我慢ならなくなつたのは、洋食屋だつたか、それとも定連客の方かは判らない。もしかすると旧來の盛附けを熟知したたれかの入れ知恵といふ可能性もある。そこに併せて考へられるのは盆栽や箱庭好みで、狭いお皿にどれだけ花やかな盛附けをするか、競ひあひが起きた結果が、謂はば“洋食の盛合せ”で、牛肉のカットレットにコロッケと海老フライとか、その辺りが最初だつたのではなからうか。それを知つた和食屋が、大慌てで天麩羅を、またお刺身を盛合せてきたのではありますまいか。敢て確めることはしてゐないから、まつたくの勘違ひだつたとしても、責任は取りませんよ。

 

 ここまで書けばご想像頂ける筈だが、わたしは洋食屋の盛合せが好きなのです。クリーム・コロッケとハンバーグと海老フライ。フライド・オニオンにフライド・ポテト。烏賊フライ。ポーク・ソテー。ミンチカツ。何だか判らない白身魚のフライ。オムレツ。ソーセイジやベーコン。或はグラタンやシチューかスパゲッティ。添へものにはトマトにレタースにアスパラガス。セロリー。ザワー・クラウト。

 

 ね。旨さうでせう。

 

 かういふのをやつつける場合、シェリーから始めて赤と白の葡萄酒、それからブランディといふ西洋式の流れではうまくゆかない。最初から最後まで麦酒で押し通すか、途中から冷した穏やかなお酒に移るのがいい。どうしても葡萄酒が慾しいなら、ミディアム・ボディをカラフェに用意してもらふのが宜しからう。乱暴なことを云ふなあと呆れるひとが出さうだが、洋食は西洋料理ではなく極端に洋化された日本食なので、たとへばシェリーからボルドーまたはモーゼルと進むより、壜麦酒や徳利が適ふし、似合ひもする。

 山ほどの洋食を盛つた大皿を眞ん中に、麦酒と徳利を何本か、序でにカラフェを置き、三人か四人で摘み、また呑めば、愉快で旨くて、明治青年の気分まで味はへるにちがひない。それで思つたのだが、今に繋がる盛合せを作つたのは、皿鉢をつついて大酒を喰らふ方式を、文明開化に当て嵌めた土佐人ではなからうか。高知の洋食盛合せを見たことはないが、ミンチカツやポーク・ソテーの代りに、鮪のカツレツやくぢらのステイクが載せられてゐても、不思議には感じないだらう。

375 非ライツ・ライカのレンズのこと

 カメラを使ふひとの中には、純正主義者と呼びたくなる志向の持ち主がゐる。特にニコンとライカのユーザに多い気がするのだが、これはこちらの僻目かも知れない。僻目と云ふのは、わたしがその辺りに無頓着だからで、何々のレンズで撮つたと云はれても、さうですかと応じる程度の目しか持合せてゐないのが、遡つた理由になるだらうか。もつと遡れば、お財布の問題も出てくるのだらうが、そこに踏み込むと、話がちがふ方向に進んでしまふから、そこまでは考へない。

 純正主義が惡いわけではなく、ボディとレンズを組合せた時、一ばん綺麗に収まるのは矢張り、純正のそれであらう。併しそこで他社のレンズを見下し、或は莫迦にしだすと事情が異なつて、あの野郎は鼻持ちならん奴だと思へてくる。その鼻持ちならん奴が身の回りにゐないのは幸運で、だから鼻持ちならん純正主義者を揶揄つてやらうかとも發想が續く。要はライカに非ライツ・ライカのレンズを撰ばうといふこと。

 

 それで先づボディはM4‐2にする。理由を細かく云ひだすと切りがないから、ここでは単に、気樂な感じがするとしておく。まあ気樂とは云ふが、あの機種はMバヨネット・マウントのⅢcで、結果的に微細なちがひが色々と出來てゐる。コレクタブルと呼んでもいいだらうか。

 非ライツ・ライカかさうでないかの区分をどこに引くかは六づかしい。他社から供給を受けたホロゴンにスーパー・アンギュロン、それからキセノン(一眼レフ用は今回含めないが、そちらに目を向けるとP.A.クルタゴンやアンジェニューもある)はライツ・ライカに含めていいかと思へるが、ならばミノルタと協業した時のMロッコールはどうなると、ややこしくなる。なのでこの稿では『ライカ ポケットブック』に記載のないレンズを、非ライツ・ライカのレンズとする。異論はあるだらうが、一応の基準は必要である。

 

 焦点距離は50ミリ及びそれより広角のレンズとする。狭角レンズを積極的に省かうとはしないとしても、90ミリくらゐがわたしの使へる限度である。いや無理かも知れないな。その辺は曖昧なままにしておきます。

 

 そこで最初に28ミリを考へる。ライカを使ふんだつたら何より50ミリだらうと叱られさうであるが、わたしの基点はさうではないし、わたし基点の遊びだから、そこは辛抱してもらふとして、何にしませうか。ライツに近いところで云へば、Mロッコール28ミリといふのがある。ミノルタCLEの頃のレンズ。同じ銘ならGロッコールもある。コニカにもKMヘキサノンがあつたのではないか。コニカミノルタからカメラ部門を引き継いだソニーが、このレンズ銘を使はないのは何故だらう。使へない事情でもあるのか。キヤノンのセレナーやペンタックスのタクマーもさうだが、實に勿体無い。コシナにはカラー・スコパーとウルトロン銘の28ミリ、アベノンもあつたと考へつつ、最終的にリコーのGR28ミリを採る。GR1v、GRデジタルⅡで随分とお世話になつた。信用出來る。

 

 35ミリは飛ばす。ライカを使はうと云ふのに35ミリを飛ばすのはをかしいと、叱られるか呆れられるか。どうもあの画角は馴染みが薄い。コシナのカラー・スコパーとソ連のジュピター12は使つた経験があつて、どちらも優れてゐるのは知つてゐるから、それは挙げておかうか。ただそれならライツ・ミノルタCLやミノルタCLE用のMロッコール40ミリ、ローライ35RF用のゾナー40ミリHFTに惹かれる。M4‐2に40ミリのブライト・フレイムは無いけれど、35ミリより少し狭い程度と思つて使へば、問題は出ないだらう。

 序でに90ミリに触れておくと、CL(E)用のMロッコールかコシナのアポ・ランターくらゐしか思ひ浮ばない。ライツ・ライカのレンズだと、エルマーにエルマリート、ズミクロン、特殊レンズのタンバールに、ズマレックス(これは85ミリ)、もう少し広目の画角でヘクトール73ミリとズミルクス75ミリがあるのに。と不思議に思はなくてもいい。この辺りは本來、一眼レフに任せたいところで、ライカが無理をしてゐたと考へればいい。

 

 難関は矢張り50ミリで、ライツ・ライカ銘のそれを先に挙げると、エルマー、ヘクトール、ズマール、クセノン、ズマリット、ズミタール、ズミクロン、ズミルクス、ノクチルクス。それらが更にLねぢマウント、Mバヨネット・マウント、明るさ、鏡胴の固定式と沈胴式、その他の仕上げのちがひで分類出來る。ライツ・ライカ社が50ミリといふ焦点距離を重く見てゐた證拠とは云つてもいいが、軸にするレンズがふらついた結果だと見立てられなくもない。意地が惡いか知ら。

 非ライツ・ライカの50ミリも山ほどある。ゾナーニッコール、セレナー(乃至キヤノン)、トプコールにシムラーにタナー。ソ連ではゾナーやエルマーを模倣したし、テイラー・ホブソンにもあつた筈だし、フジノンやズノーからは大口径が出てゐた。コニカからもヘキサーだつたかヘキサノンだつたかがあつた。現行品はコシナ(またしても)がフォクトレンダー(スコパーやノクトン)とツァイスの銘を用意してゐる筈で、矢張り明るさやら仕上げやらで細分化出來る。思ひ出せたままだけでこれだから、實態がどんなものなのか、想像も六づかしい。撰び放題と云へなくもないけれど。

 

 外れが怖い。と考へると、最近のレンズを優先したくなる。コシナのカラー・スコパー辺り。近年のコシナは大口径化に熱心らしいが、どうも感心しない。ブライト・フレイムが隠れて仕舞ふ。F2.8とか3.5とかの程度で十分である。寧ろ中口径小口径でコンパクトに纏まつてゐる方が好もしく思ふ。少数派なのかなあ。

 併しGR28ミリとカラー・スコパー50ミリでは、安定が過ぎる気もする。それでモノクローム・フヰルムを使ふ前提で、ニッコールも撰んでおきたくなる。F2とかF1.4とか何種類かあつたと記憶するが、詳しくないのでそこまでは踏み込まない。セレナーなら廉価な入手が期待出來ますよと聲が掛るかも知れず、さうだつたかなとも思ひつつ、だがあの鏡胴は好きになれない。乱暴を承知で云へば、そもそも素晴らしい寫りは望めない。見た目の重々しさ或は軽やかさ…要は恰好よさを大事にして、支障は出ないだらう。敢てソ連のインダスターを撰んで、崩しを入れる方法もあるか。

 

 かういふことを書くと、生眞面目なライカ愛好者には厭な顔をされるだらうな。多少親切なひとなら、止めやしないけれど、せめて50ミリのズミクロンくらゐは持つておくのがよいよと、忠告して呉れるかも知れない。厚意謝すべし。とは云ふものの、揶揄ひ目的で草した一文である。さういふ忠告は(残念ながら)意味を持たない。それにわたし程度だつたら、ズミクロンだらうがインダスターだらうが、そのレンズだから撮れた一枚を得られる期待も持てず、さう考へれば、身の丈にあつた組合せではないかとも思へる。