閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1070 GRⅢ、の話ではなく

 今さら改めるまでもなく、私が主力とするカメラは、GRⅢである。デジタルカメラとしては、異例…異質の長命機。現在に到つても派生機が出るくらゐだから、最初の設計が余程に優れてゐたと云つていい。

 その"最初の設計"を何に置くのかは、議論の余地があるとして、一世代前のGRデジタルをそこに位置附けても、大きな異論は出にくいと思ふ。その前は、銀塩GR1vだから、デジタルへのジャンプは大きい。

 

 さて。手元にGRデジタルのⅡ型がある。飽きつぽい私だから、カメラは飽きたら直ぐ賣り払ふのに、この機種は買ひなほしてゐて、手元のGRデジタルⅡは、三台目と三代目のどちらが正しいのか、兎に角帰つてきてゐる。

 尤も今、使ふ頻度は極端にひくい。だつてGRⅢがあるんだもの。どこをどう見て、叉較べたところで、勝ちみは無い。屁理窟を捏ねるなら、乾電池に対応してゐることと、マクロモードでも、無限遠まで撮れることか。但し後者は、焦点合せの動作が、びつくりするほど、鈍になるけれども。

 

 ならもつぺん手放して、GRⅢ周辺の資金にすれば、いいんぢやあないか。

 

 成る程、合理的な考へである。併し合理的な考へ方が、正しいとは限らない。機能は現代の機種に到底及ばなくても、見た目がいいとか、掌の収まりがいいとか、使ひ方に馴染んでゐるとか、そんな理由で手元に置きたいカメラはあるし、私の場合、GRデジタルⅡが、その位置を占めてゐる。

 

 ややこしい、といふか、面倒である。そのややこしさ乃至面倒くささは手指で弄る機械に、情緒的な要素が色濃くある所為…らしいといふ暗示、と云へなくもない。センチメンタル趣味とでも、レトロスペクティヴ好みとでも、その辺はご随意に呼んでもらふとして、そのセンチメントやレトロの対象は、併し現在でも使用に耐へる筈である。速さや精密な動作の点は、GRⅢが遥かに上だが、使ひ方…目的をある程度(或は大幅に)絞つたら、その差は気にせずとも済むだらう。

 

 ここまでが前置き。要するにGRデジタルⅡを、久し振りにちやんと使はうと思つて、何故さう思つたのかを文字にしたら、こんな分量になつ(て仕舞つ)た。

 卓上三脚がある。

 廿一ミリ用のワイド・コンヴァータがある。

 卅七ミリのフィルタと、四十六/四十九ミリへのステップアップ・リングもある。

 上の色々は小さく纏めてあるし、本体は純正専用のケイスに入れてもゐる。詰り持ち出して使ふ…游ぶのにさして不便は生じない。敢て云ふと電池の保ちは心配だが、いざとなれば乾電池を買へばいい。要するに(速さを求めなければ)、GRデジタルⅡは、(その他の條件次第で)GRⅢと同じくらゐ游べる筈なんである。それで皐月はGRⅢを休ませ、GRデジタルⅡをじつくり使ふ。冩眞の出來は解らないから、この手帖で公にするかは、約束は致しかねる。