閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

568 曖昧映画館~ゼイラム

 記憶に残る映画を記憶のまま、曖昧に書く。

 イリヤは第一級の賞金稼ぎである。相棒のボブ…人工知能の一種だと思はれる…との會話から察するに、"当局"の依頼を受け、無理難題をこなしてゐるらしい。
 彼女はその"当局"からの依頼で地球に降りた。目標は"ゼイラム"と呼ばれる生物。ボブの協力で"ゾーン"…一種の擬似的な空間…を作り、そこでゼイラムへの対処を進める積りのイリヤだつたが…。
 と書いて判る通り、枠組みは實に簡単と云つていい。監督である雨宮慶太は、そこに鉄平と神谷といふ"巻き込まれて仕舞つた不運な地球人"を投げ込むことで、不意の空き時間をたつぷり樂める一本を撮つた。

 現實を模し、現實から隔絶された空間である"ゾーン"が、この映画を成り立たせた大きな設定と云へる。詰り

 ・銃火器や爆弾を使ふ不自然さへの理由附け。
 ・巻き込まれた鉄平と神谷が、イリヤとボブ以外に助けを求められない作劇の都合。
 ・制作上でも、特殊な視覚効果を抑へられて、限られた予算の中では具合がよかつた(だらう)

ことが考へられるし、更に云ふと、自分がゐるこの場所がたつた今、"ゾーン"にもなつてゐて、そこにイリヤがゐるかも知れないと…演じた森山祐子は大変な美人だもの…想像も出來る。巧いことを思ひついたなあ。

 併せて(怪物である)ゼイラムの描き方もよかつたと、云つておかねばならない。はつきりしたことは語られないが、どうやら滅んだ古代の文明が作つた生物兵器らしい。その目的乃至本能は殺戮と破壊だし、何せ古代の産物だから、話せば判るは通用しない。位置附けは異なるが、プレデターやエイリアンに似てゐる。要するにたちが惡い。

 そのたちの惡い化け物を相手に、イリヤ(と鉄平と神谷)の行動は、逃げるか、殺すか、殺されるかの撰択になる。ここでイリヤが第一級の賞金稼ぎといふ前提…些か自信過剰にも感じなくはないけれど…が活きてくる。逃げないのは当然だし、まして従容として殺される筈もない。
 雨宮が"判つてゐる"のは、臆病な足手まとひ、でなければコミック・リリーフと思つてゐたへなちよこ…鉄平と神谷…に存外な活躍をさせたことで、(へなちよこな観客である)自分も、イリヤを救けてゐると勘違ひ出來、演出や映像の造り方に感じる細かな不満は、ここですつかり解消される。 

567 曖昧映画館~バットマン

 記憶に残る映画を記憶のまま、曖昧に書く。

 褒め言葉として云ふと、ティム・バートンはハリウッドきつての変態監督だと思ふ。
 玩具好み箱庭好み。
 リアリティきらひ。
 さういふ嗜好の監督が予算を持つて人気のコミックを映画にしたらどうなるか。
 その實例が『バットマン』…いや『バットマン』と呼んでいいのかどうか、何しろ最初に蝙蝠のマークが示されるだけで、"BATMAN"のタイトルは出てゐない。

 この映画の舞台になるゴッサム・シティといふ架空の都市を、バートンはセットで作つてゐる。手の込んだセットなのは確かだけれど、どこかしらに作り物の感じは残り、何でまたわざわざとも思へる。
 併し観てゐる内にその作り物感は気にならなくなる。正確には、マイケル・キートン演じるブルース・ウェインことバットマンと、ジャック・ニコルスン演ずるジャック・ネイピア改めジョーカーといふ、不自然極まりないふたりが対決するのに、これ以上似合ひの舞台も見当らない気がしてくるから、作り物つぽいゴッサム・シティはバートンの計算だつたと考へていい。

 それらしく思へるかも知れないけれど、ニセモノなのだよここは。ね。

 精密なくせにキッチュな町で、蝙蝠の仮装に身を包んだ狂人と、發狂した道化師になつたギャングが争ふ世界が、現實やその延長にある筈はない。バートンはそれを十分に承知しつつ、ゴッサム・シティを使つて説得力を持たせた。
 但しそれは、リアリティではなく尤もらしさ。
 でなければ、クライマックス前、ジョーカーのバルーンのロープを、バット・ウイングに内藏した鋏でちよん切るなんて莫迦ばかしい場面(夜空高く持ち去られたバルーンを見上げるジョーカーの顔つきが實にいい)は成り立つまい。
 この手の映画を観ると、神ハ細部ニ宿リ賜フと呟きたくなるが、この映画に限れば(バットマンとジョーカーの為に)、神ヲ無理ヤリ、細部ニ依ラセタのかと思はれる。何しろバートンは、ハリウッドきつての変態監督なんだもの。 

566 好きな唄の話~Bomber Girl

 織田哲郎は濃い。
 近藤房之助も濃い。
 その組合せでBomberなGirlである。膏のごつてりした獸肉を、馬鈴薯と玉葱と大蒜で、巨きな鍋でごつてり煮込んだやうに濃厚であるにちがひない。

 さう思ふでせう。
 その通りである。

 無茶なことをしやがる。
 さう思ひながら、そのごつてりを味はふと、これが旨いからこまる。いや困ると云へば失礼で、ロック・ン・ロールとブルーズが、ポップスを仲立ちに、鮮やかな共演を果してゐるのだから、第一級の煮込み料理だと云つていい。

 併し(しつこいが)無茶をしたものだと思ふ。わたしなら織田と近藤の組合せを提案されても
 「纏まる筈、ないよ」
きつと却下するだらう。プロデュースの才能はどうやら、諦めなくてはなるまい。

 要するに、恰好いい。
 兎に角恰好いいのだ。
 どんな唄だと云はれたら、さう応じる。聴いたことがあつてさう質問するのなら、そのひとはこの唄と相性が惡い。それはそれで仕方がない。

 ティム・バートン版の『バットマン』ではマイケル・キートンとジャック・ニコルスンが共演したでせう。濃い組合せである。わたしは大好きな映画だが、あはないひとは、とことんあはないと思ふ。この映画は後日、"曖昧映画館"で取り上げたいから詳しく触れないとして、あの"わざとらしさ"を嫌ふひとは少からずゐるにちがひない。但しその"わざとらしさ"は
 「ぬけぬけと、まあ」
といふ呆れた気分に近しく、その気分はこの唄からも濃厚に感じられる。繰返すが、織田哲郎近藤房之助、BomberにGirlですよ。
 濃密。
 能天気。
 花やか。
 その全部をぬけぬけと、然も恰好よく…上記の『バットマン』で、ジョーカーが暴れまはるやうに…揃へてあるのがこの唄で、そんな時はどうするのか。決つてゐる。おれたちもぬけぬけと、ステップを踏めばいい。 

565 好きな唄の話~HAMO

 音痴ではない筈だが、巧く唄へるわけでもないわたしにとつて、ハーモニーを奏でられるひとは
 (おれには出來ねえよ)
といふ単純極まる理由で、羨望の対象である。嫉妬ではないから、そこは念を押す。

 ゆずといふ二人組は實に巧い。技倆の意味で云ふのは勿論として、それより、自分たちの得意の活かし方が巧い。インタヴューか何かで
 「自分たち(ゆず)の賣りはハモりだから、この唄(HAMO)では、それを思ひ切り押し出した」
さういふ意味合ひの發言を目にした記憶があつて、その記憶が誤りでなければ、わたしの推測も的外れにはなるまい。

 好みで云へば、歌詞はまあ、"ハモり"を種に無理やり作つた…色々と象徴的な言葉を使つたけれど、それが消化されきつてゐない感じがする。ファンが怒りだしさうだから、"個人の感想なのです"と、ここは逃げておきませう。

 併し上に書いたのは、この唄に限ると半ば以上は難癖である。ゆずの得意であり、技倆でもある"ハモり"を樂むには、中身が曖昧でも抽象的でも言葉がある方がいい。それは藝の妙を際立たせる調味料、材料であつて、ゆずといふ大鍋の中で意味は溶け込んで仕舞ふ。要はややこしい理窟は措き
 (こいつら、巧えなあ)
さう感心するのが、どうやらこの唄の正しい聴き方でありさうに思はれる。これは褒めてゐるから、ファンの諸嬢諸氏にはその辺をひとつ、忖度願ひたい。

 ここまで書いてひとつ、気になることが出てきた。
 他にかういふ…歌詞がハーモニーの材料に転じきつた…例はあるのだらうか。ポップス史に詳しい諸賢のご教示に期待したい。 

564 好きな唄の話~ご唱和ください 我の名を!

 特撮の主題歌は直球を眞ン中に投げ込むやうな直截さが望ましい。その直截が物語の方向を示してゐればより好もしいし、恰好よければ完璧であつて、『ウルトラマンZ』の主題歌であるこの唄は、どうもその完璧に近いらしい。

 全廿五話と三回の総集篇で構成された『ウルトラマンZ』は、最初から物語全体の大きな流れ…脚本が出來てゐたといふ。かういふ方式がいいとは必ずしも云へないが、この一本に限ればよい方向に働いたと思ふ。確かに話数が少い分、喰ひ足りなさを感じたり、駆け足過ぎる箇所は散見される。併し瑕瑾を指摘して全体を批判するのは、好ましい態度とは云へず俯瞰すると、よく纏つてゐるのは間違ひない。

 話を唄に戻しますよ。
 脚本がしつかり整つてゐたのは、この唄にとつても幸運であつた。
 退屈しのぎに蔓延るエイリアン(一番)
 最後に立ちはだかる相手は誰だ(二番)
 といふ思はせぶりなフレイズは、話の展開と實に噛み合つて、どんな風に話が進むのか、大枠を知つてゐなければ出來なかつたにちがひなく、歌詞が暗示するエイリアンや立ちはだかる相手を想像する樂みもあつて、もしかするとここまで樂めるのは、特撮主題歌としても異例ではなからうか。
 大切なのはその歌詞が物語の紹介ではなく、いや正確にはそれは一面であつて、冒頭に戻つて直截な恰好よさを満たしてゐて、聴いてゐると僅かに残つた少年の血が沸騰するんぢやあないかと感じられてくる。かういふ唄を持てたウルトラマンは、長い歴史を見渡しても少いと思へる。

 ひとつだけ文句を附けたい。
 この唄は作詞作曲の遠藤正明が歌唱してゐるのだが、どうやら自分の聲量を基準に作つてある。だから唄ひたいと思つても、こちらの肺活量ではとても及ばない。残念なのだが、詰りプロフェッショナルな特撮主題歌と云ふことか。