閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

567 曖昧映画館~バットマン

 記憶に残る映画を記憶のまま、曖昧に書く。

 褒め言葉として云ふと、ティム・バートンはハリウッドきつての変態監督だと思ふ。
 玩具好み箱庭好み。
 リアリティきらひ。
 さういふ嗜好の監督が予算を持つて人気のコミックを映画にしたらどうなるか。
 その實例が『バットマン』…いや『バットマン』と呼んでいいのかどうか、何しろ最初に蝙蝠のマークが示されるだけで、"BATMAN"のタイトルは出てゐない。

 この映画の舞台になるゴッサム・シティといふ架空の都市を、バートンはセットで作つてゐる。手の込んだセットなのは確かだけれど、どこかしらに作り物の感じは残り、何でまたわざわざとも思へる。
 併し観てゐる内にその作り物感は気にならなくなる。正確には、マイケル・キートン演じるブルース・ウェインことバットマンと、ジャック・ニコルスン演ずるジャック・ネイピア改めジョーカーといふ、不自然極まりないふたりが対決するのに、これ以上似合ひの舞台も見当らない気がしてくるから、作り物つぽいゴッサム・シティはバートンの計算だつたと考へていい。

 それらしく思へるかも知れないけれど、ニセモノなのだよここは。ね。

 精密なくせにキッチュな町で、蝙蝠の仮装に身を包んだ狂人と、發狂した道化師になつたギャングが争ふ世界が、現實やその延長にある筈はない。バートンはそれを十分に承知しつつ、ゴッサム・シティを使つて説得力を持たせた。
 但しそれは、リアリティではなく尤もらしさ。
 でなければ、クライマックス前、ジョーカーのバルーンのロープを、バット・ウイングに内藏した鋏でちよん切るなんて莫迦ばかしい場面(夜空高く持ち去られたバルーンを見上げるジョーカーの顔つきが實にいい)は成り立つまい。
 この手の映画を観ると、神ハ細部ニ宿リ賜フと呟きたくなるが、この映画に限れば(バットマンとジョーカーの為に)、神ヲ無理ヤリ、細部ニ依ラセタのかと思はれる。何しろバートンは、ハリウッドきつての変態監督なんだもの。