閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

660 懐かしの酒席

 厚揚げはたいへん便利だと思ふ。焚き合せていいし、炒めものに入れるのも旨い。厚揚げ自体がうまいのは勿論、出汁やら調味料、あはせる様々な食べものの味まで巧みに受けるからだと思へる。

 鶏肉と青菜と厚揚げを薄味でさつと焚いたのなんて、嬉しいですな。厚揚げ(小さく切つたやつだらうか)が鶏の膏を受けるところが、まつたく一ぱいの味を引き立てる。

 臺灣の家庭料理(ちがふかも知れない)で、酢豚の要領で豚肉ではなく厚揚げを用ゐた料理…確か家常豆腐…も、獸肉を使はないのにうまい。渾然の旨さと云へさうである。

 併し揚げたてかざつと焙つたやつが、一ばん旨いのではないか、とわたしは思つてゐる。

f:id:blackzampa:20210825090643j:plain

 擦り下ろした生姜と削り節、山ほどの刻んだ葱。

 それからひと滴しの醤油。

 まあ、居酒屋でよく目にするメニュではある。複雑な手順の料理ではないが、手順のややこしさと旨いかどうかは別の話。それに麦酒にも冷酒にもお燗酒にも適ふんだもの、寧ろ喜ばしく、周章てて食べるものでもないのもいい。

 ちやんとした店なら、厚揚げは註文を受けて作るから、少し時間が掛かる。だからポテト・サラド辺りと一緒に頼んで、待つのが好もしい。ポテト・サラドを挙げたのは、これなら待たされることは少いし、まづいのを出される心配も無からうからで、どうです、中々合理的な判断でせう。呑むのが三杯までなら、これで十分な場合もある。

f:id:blackzampa:20210825090648j:plain

 流石にそれぢやあ足りないのではと首を傾げる若い讀者諸嬢諸氏もゐるだらうが、足らなければ外にもお好みを食べまた呑めばいいので、わたしだつて空腹や喉の渇き具合によつては、鶏の唐揚げやもつ煮を追加したり、麦酒でも焼ハイでも冷酒のお代りの註文に吝かではありませんよ。

 

 何故こんなことを書いたかと云へば、以前の画像に厚揚げとポテト・サラドが順になつてゐるのを見つけたからで、懐かしさを感じた、それ以上の切つ掛けはない。

659 接種初回~ワクチン記

八月念一日(土)

 副反応がどうなるか解らないし、何が必要になるかも判然としないまま、スポーツ・ドリンクと飲むゼリーを買ふ。

 即席のソップは買置きあり。

 軟かくて甘い麺麭、おにぎり、レトルトのお粥やカップ麺の類もあつた方がよささうに思つたが、そつちは明日か接種当日の帰りに買はう。

 ファイザーとモデルナは混ぜるな危険、モデルナ接種をキャンセルしたらモデルナ棄権、といふ駄洒落が浮んだ。

 …面白くも何ともない。

八月念二日(日)

 朝に天気予報を見ると颱風がどうかうと云つてゐて、うんざりしつつ予約の変更をちらりと考へる。

 買物。お粥。飲むゼリーを追加。即席のお味噌汁。

 帰る途中、持帰り専門の寿司屋が出來てゐるのに気が附いた。助六や散らしがあれば頼れる。

 帰宅して買つたものを冷藏庫に入れながら、アイスクリームやかき氷みたいのを買つてもよかつたかと思つた。

 改めて天気予報を見ると、明日は非常に微妙な空模様らしいので、再びうんざりする。

八月念三日(月)

 体温平熱。

 會場、即ち都庁に行く。

 地下で予約の確認、書類の確認。

 エレベータで四十五階まで上り、予診(といつても形式的なもの)を経て接種午后四時半。

 筋肉注射の筈だが、体感的には普通の注射と同じ。

 長風呂、過度な運動と飲酒は控へなさいと繰り返し云はれるので、皆に云つてゐるのは解るが、おれはそんなに呑み助の顔なのかなあとも思ふ。

 接種後、十五分間待機をして(この間、係員が水分を摂りませう、気分が惡いひとはその場で手を挙げてくださいと繰り返した)新宿驛まで歩く。

 接種から半時間余り過ぎた時点で、幾らか鼻の利きが惡くなつた気がする。利かないのでなく、にぶくなつた感じ。

f:id:blackzampa:20210824111155j:plain

 "豆腐ハンバーグと葱塩野菜添へ"(二割引だつた)といふお弁当とピーナツ・クリーム、即席のお粥を買つて帰宅。これまで買ひ込んだのも含めて、三日くらゐは篭ることになつても、大丈夫だらうと思ふ。

八月念四日(火)

 起床後検温、平熱。

 モデルナ・アームとか呼ばれるらしい摂取部位の腫れも見られず、前日に感じた嗅覚のにぶさも感じない(惡い意味での偽藥効果だつたか)が、時間が過ぎると副反応が出るかも知れないから、何はともあれ、様子を見るしかないと考へを改める。

658 お好み焼タイム・マシン

 お好み焼の話を書かうと思つた。かういふ場合、わたしは先づ、現代のお好み焼のご先祖さまはいつ頃、生れたのかをざつと調べることにしてゐて、どうやら戰前の一錢洋食と呼ばれた駄菓子がそれらしい。小麦粉を水で練つて、薄く延ばし焼き、ウスター・ソースを塗つたおやつ。お駄賃での買ひ食ひに丁度いいくらゐだつたらうな。

 一錢洋食にも、更に三百年余り遡つた麩焼きといふ原型がある。茶會に出された菓子の一種。小麦粉を水と酒で練り、薄焼きにしたところに、山椒味噌だの餡だの何だのを塗り、巻物のやうにして供したといふ。これなら令和の現代でも、ちよつとした肴、お茶請けになりさうである。序でながらこの麩焼き、千利休の考案といふ伝説がある。

 茶席の客向けと駄菓子屋の子供向けではえらいちがひがありさうだが、どちらも歴とした食事ではなく、ちよつとした空腹をかろく収める点は共通してゐる。まあさうですなと軽く頷かれては困るので、食事以外に食べる機会を持てるといふのは、経済の安定だとか、農作物の生産高だとか、それを扱ふ設備や技術の向上だとか、色々の條件があつて成り立つ贅沢なんである。

 

 ところで。我われのご先祖は、焼くといふ調理法に不熱心だつたのか知ら。根拠があつての見立てではないから、信用されては困るけれど、どちらかと云へば烹る漬けて醗酵させるのが主。後は干物を焙るのが精々で、たつぷりの焔を一気に使つて焼くのは苦手だつた印象がある。

 さう考へると、一錢で焼いた駄菓子を買へるに到つた時代は、調理法が劇的に変化した…それで元が取れる程度まで技術や設備が整つた…結果と云へないだらうか。本邦の鐵板料理史には無知だから、当てにならない推測ですよ。

 変遷の實態はさて措き。現代のお好み焼に直接繋がる姿が出來たのは、敗戰後らしい。乏しい米だけでは腹が膨れんといふ理由。まことに殺風景で、矢つ張り戰争は勝たなくちやあならんのだなと思ふ。そこもまあ、さて措くとして、小麦の出処は進駐軍、もつと露骨に云へば米軍だつたらう。あの國の無邪気な親切心…お節介にわたしは決して好感を抱くわけではないが

 

(自國の"民主主義"が、世界のどこでも通用する最良の政体と信じてゐる…大統領が何度もやらかしてゐるのに…のは、自信の顕れなのか、他國の歴史や地理や信仰に無知のゆゑか。言葉の滑り序でにいふと、本邦に"民主主義"を嵌め込んだのは失敗…少なくも成功ではなかつた。この國に適ふのは寧ろ曾てのヴェネツィア共和國のやうな寡頭制であつたし、もしかすると現代でもさうなのではなからうか)

 

廿世紀半ばの餓ゑた日本にとつて、素晴しい援助だつたのは間違ひあるまい。ひよつとするとアメリカは、この際だから日本の食生活も占領してしまへ、くらゐは思つてゐたのだらうか、まさかね。

 尤もGHQが"日本の食卓小麦化計劃"を持つか練るかしてゐたとしても、失敗に終つたとは思ふ。現代に到つても、小麦が主食の坐を得てゐない事實(米の優位が大きく揺らいでゐるのも事實ではある)はその間接的な證明だし、遡つて七十年余り前のご先祖たちが、小麦を主食の代用品と見てゐても寧ろ当然であらう。クロワッサンや黑麺麭にショコラとコーヒーを好んだ永井荷風でも(あの狷介頑固な老人は、一方で西洋式の生活を苦にしないひとでもあつた)、疎開先で供ぜられた白米に悦びを隠しきれてゐないのだもの。

f:id:blackzampa:20210822191327j:plain

 …話が妙な方向に逸れさうだな。用心しませう。

 小麦粉を水で練つて焼いて何か乗せる。何かといふのは屑肉や野菜や蒟蒻の切れ端でも、怪しげな臓物の煮込みでも何でもよく、それで商賣にもなつたらしい。貧なるかな。現代のお好み焼屋の名誉の為に云ふと、さういふ貧で怪しいお好み焼(擬き)は、吉田健一が苦笑混りに書いた通り、食糧難の解消と共に消え去つてゐる。生き残つたのは、どうすれば旨くなるかと工夫を怠らなかつた人びとで、この系譜が現代のお好み焼屋に繋がつてゐると云つていい。

 かれらがえらかつたのは、このお好み焼を"新日本の新たな食事"にする積りを丸で持たず、おやつや軽食の方を向いたことだつた。すりやあどうしたつて、白米には勝てんからなあ。などとたくわんで湯漬けをやつつけつつ、考へたのではあるまいか。わたしならさうする。お好み焼の具がキヤベツや葱、豚肉や烏賊の切れ端で纏つてきたのは、水戸光圀がひげを蓄へた態度に模せさうな気がする。

 

(少し脱線すると、江戸期に入つてそれ以前と大きく異つた風習がふたつある。ひとつは無帽の習慣が成り立つたこと。もうひとつがひげを立てなくなつたこと。公に高い立場に就くひとは顔を綺麗にあたるのが当然になつて…歴代将軍の肖像画を見れば判る…、ひげを蓄へるのは、剃髪と並んでさういふ立場への野心を持たないといふ徽に転じたさうで、併し何故そんな風になつたのだらう)

 

 卅有余年前に遡るわたしの高校生の頃、月に一度か二度は食べに行つた天神橋筋商店街お好み焼は、確か豚玉一枚五百円。品書きは他にいか玉、ミックス焼、モダン焼、ミックスモダン。焼そばもあつた。友人とその店に行つた時は、それぞれ一枚づつの註文に、焼そばを一人前追加して、半分こにした(出來上りの時点で分けた)のを覚えてゐる。コーラも飲んで千円足らずだつたか知ら。昭和終期の高校生が払ふ金額としては、ちよいと贅沢だつたと思ふ。

 正直なところ、当時のわたしは、豚玉一枚と焼そば半人前を食事と感じてはゐなかつた。満腹になつたのは確かだけれど、あくまでもおやつ(めしの代りくらゐとは思つてゐたか)の範疇であつた。勿論その頃、利休の名前は知つてゐても、麩焼きは知らなかつたし、一錢洋食も同じで、いや併し葱焼きといふのは知つてゐた。大坂式の一錢洋食みたいなものと云つていいのかどうか。お好み焼より一段ひくい格の食べものだつたと思つてゐたのは間違ひない。

 とは云ふものの。今になつて…といふより、この稿を書きつつ思ふに、葱焼きはお好み焼より本道ではないか知ら。ここで云ふのは利休の麩焼きまで遡る本道の意味。葱ならウスター・ソースは勿論、味噌や醤油にも適ふ筈で、巻物仕立てで切り分ければ、小洒落た一品になるだらう。ひと切れかふた切れを(梅酒なぞで)つまんでから、おもむろに豚玉と壜麦酒に取り掛かれば、四世紀半を一ぺんに渡ることが出來る。詰りタイム・マシンは實在したのだと云つていいと思ふが、令和のお好み焼を利休の茶席に出したらどうなるものか。あの茶人には厭みなところがあるから、冷やかに侘びも寂びもありませんなと、鼻で笑ふかも知れない。席を終へてからこつそり食べるくらゐしさうなひとだつたら、愛嬌も感じるのだがなあ。

657 予約まで~ワクチン記

六月十日(木)

 区報にて接種予定に就て通知あり(ファイザー)

六月十二日

 両親、一度目の接種との報せ(モデルナ)

六月廿日(土)

 接種券を郵送で受け取る。

 但しこの時点で予約開始日は未定。

 

七月廿日(火)

 区内の接種受付開始、直ちに埋る。

七月廿六日(月)

 接種受付再開、直ちに埋る。

 

八月五日(木)

 自衛隊大規模接種(モデルナ)予約、直ちに埋る。

八月十六日(月)

 区で年代を限定した予約を受けるとするも、直ちに埋る。

 

※この間に両親とも二度目の接種まで完了。

※区は事實上受付停止。自衛隊は予約受付開始数分で埋る状況が續いて苛々する。正確には"予約が取れないのに、ワクチンを射て"と連呼されるのが気に喰はなかつた所為。

 

八月十七日(火)

 仕事場の属する組合経由で予約が始まる由。

 受付は廿三日(月)開始予定。

八月廿日(金)

 十七日の件とは別の経由、既に予約可能との事。實にあつさり予約が取れる(モデルナ)

 廿三日(月)に初回。二回目は翌月廿日(月)に決す。

 この日、この稿を書き始める。

 

 モデルナにしてもファイザーにしても、ワクチンには副作用…訂正、副反応があるといふ。[山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信]の"モデルナ社製ワクチンの安全性"から、モデルナに関する箇所を纏める。

https://www.covid19-yamanaka.com/sp/cont11/56.html

(わたしの責任で改行や省略等を施してある)

 

 副反応は接種の翌日に最も頻度が多く

 1回目接種において

  接種部位の疼痛が約71%

  倦怠感、頭痛、筋肉痛が約20%

  悪寒や発熱が約10%

 2回目接種において

  接種部位の疼痛は約78%

  倦怠感、頭痛、筋肉痛が約50%

  悪寒や発熱が約40%

 以上の副反応はいずれも接種当日から2日目くらいの急性期に報告され、1~2日で軽快するようです。

 接種後、1週間後くらいに、接種部位の皮膚反応が1回目接種後は0.8%の頻度で、2回目接種後は0.2%の頻度で発生したことが、臨床試験の結果で報告されています。

 

 成る程。

 と納得したわけではない。このパーセントが何の数値なのか、よく解らないもの。百人が接種して、初回接種後、七十人が接種部位の疼痛を感じるのだらうか。だつたら倦怠感だの發熱だのとは、どう関るのだらうか。疼痛があつて筋肉痛があつて、惡寒まであるも考へられるだらうに。山中先生に訊ければいいのだが、幾ら優れた學者でも、仮定の話には応じられまい。仕方がないから、細かいことはさて措き、何かしらの影響が出るのだとしておく。

656 曖昧映画館~ダイ・ハード

 記憶に残る映画を記憶のまま、曖昧に書く。

 

 クリスマスの夜、カリフォルニア。

 完成が間近いナカトミ・ビルディングをひとりの男が訪れる。ジョン・マクレーンといふニュー・ヨークの警官。高所恐怖症のかれが、大嫌ひな飛行機に乗つてまでやつてきたのは、ナカトミで働く妻のホリーに会ふ為。併し彼女が(マクレーンではなく、旧姓の)ジェナロで仕事をしてゐると知つた警官はうんざりした顔になる。その一方、ハンス・グルーヴァーをリーダーにした招かれざる一団も、未完成な警備の隙を衝いて、ナカトミ・ビルディングに侵入してゐた…。

 

 監督のジョン・マクティアナンはこの映画の舞台として、閉ざされた巨大な建築を用意した。"広々とした密室"といふ矛盾がこれで成り立つて、まつたく頭がいい。

 筋立ては如何にもハリウッド好み。スリリングで花やかで莫迦ばかしいくらゐの単純さで、勿論派手な銃撃戰や爆發だつて、忘れず用意されてゐる。マクレーン刑事はひとりでハンスのグループを敵にまはし、ピンチに陥り、切り抜ける。

 マクレーンを救けるのは、偶々手に入れたトランシーバーで、通信が出來た、ビルの外にゐる太つちよの黑人警官。ある事件を切つ掛けに、"銃を撃てない"トラウマを抱へた交通係のかれは、顔も判らないマクレーン、ニュー・ヨークの警官と自称する男を信じ励ます。

 

 この交通係が最後に思はぬ活躍を見せるのだが、それはマクレーンとのやり取りで描かれ敷かれた伏線の綺麗な回収であつた。それだけではなく、この映画には様々の伏線…マクレーンの高所恐怖症は元より、ホリーの部屋に置かれた家族冩眞。さう、カリフォルニアの空港でマクレーンを迎へた運転手まで…が用意され、それらが話の中で次々に結びつく。その観せ方扱ひ方は、まつたくのところ、娯樂映画として見事な出來であつて、流石マクティアナン監督、巧いものだなあと感心したくなる。字幕で観るのもいいが、野沢那智があてた吹替版も宜しい。ブルース・ウィリス演じるマクレーンが、ナカトミ・ビルの屋上で神さまに祈る情けない聲は、本人より本人らしいんぢやあないかとすら思へる。