閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

665 曖昧映画館~トゥルーライズ

 記憶に残る映画を記憶のまま、曖昧に書く。

 

 アメリカは時々、莫迦ばかしいくらゐの大金を掛け、信じ難い手間暇を掛けて、とんちきな映画を撮る。ジェームズ・キャメロンアーノルド・シュワルツェネッガーと組んだこの映画を、その一本…寧ろ代表格に挙げて、反論が出る心配はまあ、あるまい。

 

 ハリー・タスカーは出張の多いセールスマンである。

 家族は妻のヘレンと娘のディナ。残念ながら仲睦まじいとは云ひにくい。ふたりは夫であり父でもあるハリーを、生眞面目なだけで詰らない男と思つてゐる。かれは家族を溺愛してゐるのに。

 妻も娘も知らないことがある。ハリーはセールスマンではなかつた。オメガ・セクターと呼ばれる組織に属する第一級のスパイ、それがかれの正体。出張の多いセールスマンの姿は、長期間の不在を誤魔化すのに具合がいいからだつた。今は中東のテロリストを追つてゐる。

 

 ね。陳腐な設定でせう。なーにがオメガ・セクターだ、なんて、惡くちを叩きたくなる。

 ま。さう云はずに、もちつと観てください。

 

 ヘレンが浮気をしてゐるかも知れない。ふとした切つ掛けでさういふ疑念に駆られたハリーは、テロリストを追ふ一方で妻の動向を探る…組織を使つて。

 この辺りで我われは、キャメロンが撮つてゐるのはスパイ映画でもアクション映画でもなく、スパイ・アクションのパロディなのだと気が附く。

 だから主人公がスパイではなく探偵になつても、兇暴なテロリストや銃撃戰やハリアー戰闘機から發射されるミサイルが、狡猾な隠謀家やナイフや魚雷でもかまはないし、妻や娘に代つて幼馴染みや恋人が登場しても問題は無い。それで映画として成り立てば。

 

 キャメロンは娯樂映画を成り立たせる條件を探り、國家の危機と家庭の危機をテロリズムで結びつけて並立させた。評論家を気取れば、ハリーの振る舞ひは國や任務の為に個人を圧し殺し續けたジェイムズ・ボンドへの揶揄、批判とも云へるのだが、この程度のこと、たれかが既に指摘してゐるにちがひない。それにこの手の映画は論評の為に観るより、でかいコップのコーラとポップ・コーンを両脇に置いて、キャメロンのやつ、こんな莫迦映画に一億ドルも遣ひやがつてと大笑ひするのが正しい樂み方だと思ふ。

664 漫画の切れ端~クレイジーピエロ

 記憶に残る旧い漫画の話。

 

 戰争は終つた、らしい。

 どちらが勝つたのかは、判らないけれど。

 

 伝説がある。

 道化師の姿で、長剣をふるふ、銃を持つ兵隊より速く強いたれか。

 或はなにか。

 それがピエロ。

 

 高橋葉介が最初に考へたのは、多分それだけで、その伝説を血塗れの惡夢に仕立て上げた。

 ひとは簡単に頸をはねられ、膓は溢れ落ち、いとも容易く死体へ肉塊へと変貌する。

 併しそれは少し計り、グロテスクではあつても、生々しさの彼岸にある…なぜかつて?

 惡夢なんだもの。

 

 短篇、中篇、短篇の順に發表されてゐるが、一ばん出來のいいのは中篇だと思ふ。頁に余裕がある分、話がしつかり纏まつてゐる。ことに惡役を割当てられたザザラー統制官の変態具合は大したもので、拷問と虐殺、若い娘を葡萄を搾る器械で擂り潰してその血を浴びるなど、勝手放題をやつてのける。統制官の云ひ分だと、噂を聞きつけたピエロが救世主気取りでやつてくるから、それを捕へる為の手段なのだが、描冩の限りは本人の性的な嗜好としか思へない。最終的に彼女(!)は發狂へ追ひ込まれた挙げ句、頸をはねられ、口に手榴弾を詰められ、ピエロの手で投擲される。

 かう書けばピエロは(些か残酷ではあるにせよ)、正義ではなくても弱者の側に立つ何者か、となりさうだが、實際は異なる。ピエロは少数の、時にはたつたひとりのたれかを救ける為、その何倍もの死体を作り出す。その死体が兇惡な兵隊や士官だから、ひとはピエロを救世主呼ばはりする。死体になつたのが兇惡な兵隊や士官なのは偶々さうだつただけなのに。もしかするとその長剣が自分の頸をはねるかも知れないとたれも気附かず、考へもしない。さういふ想像はきつと、彼岸にあるのだらう…なぜかつて?

 

 だつてピエロは惡夢なんだもの。

663 好きな唄の話~番外篇

 この稿では一回につき一曲、出來るだけ別のひとの別の唄を取り上げるのを原則にしてゐる。なので全体で完成してゐるライヴ・アルバム…たとへばディープ・パープルの『LIVE IN JAPAN』や佐野元春の『HEARTLAND』、甲斐バンドの『PARTY』…は中々あげにくい。こまる。

 

 困り方にはもうひとつあつて、好きな唄が多すぎるひとも原則を考へると、あげにくい。いやこちらは撰びにくいと云ふのがより正確で、わたしにとつてその代表なのが山下達郎である。

 

 大急ぎで念を押すのだが、わたしはぐうたらなポップス好きに過ぎないから、かれの足跡を時系列で知つてゐるわけではない。最初に入手したのは『POCKET MUSIC』であつた。収録されてゐる「風の回廊」が目当てで…先刻、發賣年を確めたら卅五年前だつたから驚いた。

 

 その後、どんな順番でかれのアルバムを買つたかは覚えてゐない。『On the Street Corner』だけは当時、廃盤だつたから、中古でLPを見つけて手に入れた。嬉しかつたなあ。他のアルバムを順不同に挙げてゆくと

 

Ride on Time

『Melodies』

『僕の中の少年』

『Artisan』

『Cozy』

 

が思ひ浮ぶ。この稿で取り上げる基本に則つて、個別の唄を挙げるなら

 

Ride on Time

「あまく危険な香り」

「メリー・ゴー・ラウンド」

「LOVELAND,ISLAND」

「マーマレイド・グッドバイ」

いつか晴れた日に

 

すつと出る分でもこれくらゐはあるし、カヴァを含めてよければこの数はもつと増える。更に厄介なのがライヴ・アルバムの『JOY』で、たとへば「メリー・ゴー・ラウンド」なぞはスタジオ版がいいのは上に挙げたとほりとして、『JOY』に収められたヴァージョンの恰好よさは格別でもある。なのでひと括りにするのは六づかしい。かといつてちがふ唄とも云ひにくい。仕方がないから、山下達郎といふ稀有の唄聲の持ち主については、別の稿を立てるしかないかと思つたが、手に負へるだらうかといふ疑念が湧く。何より僕の中の少年はそれをきつと我慢ならなく感じる筈で、あのひとはまつたく厄介と云ふ外にない。

662 途中経過~ワクチン記

八月念四日(火)

 晝に買置きの飲むゼリーを試す。

 まづくないのはいいとして、"スポーツ・ドリンク味"つて何だらうと思ふ。

 午后に入つて左腕(ワクチンを射つた方)を持上げると、やや重く感じられる。

 検温三度、いづれも平熱。

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八月念五日(水)

 朝検温、微熱(卅七度と少し)

 胸の詰る感じがしなくもない。

 晝検温、微熱續く。

 止む事を得ず買物に出ると、体温が上つたと思へるも、風邪引きの時のやうな不快さは無し。

 半日、『イリアス』(岩波文庫/松平千秋訳)を讀みつつ、未だ『オデュッセイア』は手にしてゐないなと思ふ。

 夕検温、平熱に戻る。

八月念六日(木)

 朝、大坂から電話。モデルナ・ワクチンの一部に異物混入があつたといふニューズを見た由。

 電話の後、公表された対象のロットを確かめれば、接種したのとはちがつてゐて安心する。

 検温、平熱。

 接種から三日を過ぎ、体調も大崩れせず、常態に戻つたと考へ、記録は一度休止してもかまふまいと判断する。

 罐麦酒を呑む。

661 雲

  スマートフォンのカメラ機能は撮つた後、色々と弄れるのが便利でいい。生眞面目な愛好家に云はせたら、きつと邪道の樂みなのだらうが、それはそつちの都合である。わたしとは関係が無い。

 勿論カメラに較べて機能が及ばない部分は少くない、といふより、(生)眞面目に撮るなら、物足りないのは事實(の一面)ではある。ではあるが、カメラに用意された機能の数々を使ふのと、それはさて措き、取敢ず撮れればいいのと、どちらが機会として多いだらうといふ疑問はある。わたしは職業的冩眞家ではない所為もあつて、後者の機会の方がぐつと多い。さうなると常に持ち歩くスマートフォンの分がよくなるもので、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にも、さういふひとがゐるものと思ふ。それにスマートフォン(のカメラ機能)で撮つたから、それは出來が惡いのだとは云へない。念を押すとこれは、割りと広い意味で云つてゐるので、冩眞の値うちと機器の値段はまつたく別ものといふ当り前のことを、我われは時に思ひ出す必要がある。

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 話を大きくする積りはなかつたのに。

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 今回の画像は常用のスマートフォンを使つた。カラーが撮つたまま。モノ・クロームGoogleフォトで変換してある。かういふことをして、速やかにこの手帖で公に出來るのはスマートフォンの有難みでせう。デジタル・カメラだつたら、メディアからパーソナル・コンピュータに画像を取込む手間があつて、いやそれ自体の手間と云ふより、パーソナル・コンピュータのある場所でしか操作を進められないのが面倒に感じる。生眞面目な愛好家は、面倒に感じるのは宜しからずと、眉を顰めるのだらうが、面倒なのはこちらの事情であつて、わたしはまた生眞面目な愛好家でもない。腰を据ゑて撮りたい時は、腰を据ゑてカメラを持ち出すから、そこはひとつ大目に見てもらひたい。それに繰返すと、スマートフォンでも面白く感じた一瞬を撮れはする。ほらわたしの撮つたのが實例で…などと云へるほど胆はふとくないけれど。