閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

661 雲

  スマートフォンのカメラ機能は撮つた後、色々と弄れるのが便利でいい。生眞面目な愛好家に云はせたら、きつと邪道の樂みなのだらうが、それはそつちの都合である。わたしとは関係が無い。

 勿論カメラに較べて機能が及ばない部分は少くない、といふより、(生)眞面目に撮るなら、物足りないのは事實(の一面)ではある。ではあるが、カメラに用意された機能の数々を使ふのと、それはさて措き、取敢ず撮れればいいのと、どちらが機会として多いだらうといふ疑問はある。わたしは職業的冩眞家ではない所為もあつて、後者の機会の方がぐつと多い。さうなると常に持ち歩くスマートフォンの分がよくなるもので、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にも、さういふひとがゐるものと思ふ。それにスマートフォン(のカメラ機能)で撮つたから、それは出來が惡いのだとは云へない。念を押すとこれは、割りと広い意味で云つてゐるので、冩眞の値うちと機器の値段はまつたく別ものといふ当り前のことを、我われは時に思ひ出す必要がある。

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 話を大きくする積りはなかつたのに。

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 今回の画像は常用のスマートフォンを使つた。カラーが撮つたまま。モノ・クロームGoogleフォトで変換してある。かういふことをして、速やかにこの手帖で公に出來るのはスマートフォンの有難みでせう。デジタル・カメラだつたら、メディアからパーソナル・コンピュータに画像を取込む手間があつて、いやそれ自体の手間と云ふより、パーソナル・コンピュータのある場所でしか操作を進められないのが面倒に感じる。生眞面目な愛好家は、面倒に感じるのは宜しからずと、眉を顰めるのだらうが、面倒なのはこちらの事情であつて、わたしはまた生眞面目な愛好家でもない。腰を据ゑて撮りたい時は、腰を据ゑてカメラを持ち出すから、そこはひとつ大目に見てもらひたい。それに繰返すと、スマートフォンでも面白く感じた一瞬を撮れはする。ほらわたしの撮つたのが實例で…などと云へるほど胆はふとくないけれど。