閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

675 二度目とその後~ワクチン記(終)

九月廿日(月)

 晴れ。

 雨は兎も角、ひどい蒸し暑さが我慢ならなかつた前週末十八日と、何故だか右膝が痛くて堪らなかつた十九日を経て、二回目のモデルナ摂取当日。

 飲むゼリーもレトルトのお粥もスポーツ・ドリンクも万全だし、チョコレイトやカップ麺も買つたのだが、変な緊張を感じるのは、気が弱いからだらうなあ。

 祝日…敬老ノ日なのに仕事があつて出る。

 老人に親切ではないなあ。

 さう思ふ一方、會場に近い分、寧ろ具合がいいとも思ふ。

 手を動かしながら、帰りに買ひ足りないものを考へる…ジャムやママレード、菓子パンくらゐでいいだらうと決めて、妙に安心する。

 右手に変な緊張、左手に妙な安心を持つて、會場即ち東京都庁へ行くと、祝日なのに空いてゐて、少々拍子の抜けた感じがされる。

 尤も速やかになだらかに受附を済ませ、書類の確認から予診、注射、接種後の待機まで實にスムース…十六時半には射ち終つた…だつたのは有難い。

 帰る段になつて稍混雑が見られたから、時間帯の宜しきを得たのだらうと考へる。

 眞つ直ぐ…訂正、菓子パンその他を買つて帰宅。

 シャワーをざつと浴び、食事は普段通り。

 十九時半を過ぎた辺りから接種箇所、左肩に硬く重い痛みを感じて、副反応の最初がきたのだと思ふ。

 何の参考にもならないが、八月に射つたのと、今回のロットは千二百番くらゐのちがひだつた。

九月念一日(火)

 検温は以下の通り。

 朝  卅七度四分。

 午前 卅八度三分。

 晝  卅八度八分。

 午后 卅八度三分。

 夕  卅八度六分。

 普段の風邪つ引きでも見ない数字で寧ろ苦笑が浮ぶ。

 前夜に感じた左肩の鈍痛は午前中にほぼ収まる。

 変な云ひ方になるが、發熱はあつても發熱だけなので(わたしの場合、惡感はなかつた)、熱で頭がぼんやりしても、しんどくはない。

 トースト、カップの饂飩(生姜を多めに追加)、飲むゼリー(ふたつ)、蜜柑の罐詰、レトルトのお粥(塩をほんの少し振つて梅干しを別に)をだらだらと口にする。

 それから朝に珈琲を飲んだ後は、水とスポーツ・ドリンクを無闇に…多分二リットル以上は飲む。

 水分を普段以上に摂つた所為だらう、午后になつてお腹が緩くなる、これくらゐは許容範囲。

 解熱剤は晝に卅九度近くなつた時と、就寝前に服用。

 藥を使ふ習慣を持たないからか、思つたより効果があつた気がする…一種のプラセボかも知れない。

 早い時間だが寝ることにする。

 布団を引き掛けたら猛烈な發汗、風邪熱の時も、体温を下げる為だらう、汗が出る経験はあるが、それが極端になつた感じで、同じやうに汗をかくべきかどうか、ちと悩む。

 更に何度も何度も小便に立ち、また毎回それなりの量が出もして…何回立つたか、勘定しなかつたのは失敗だつた…、ひとのからだの殆どは水分なのだなあと一驚を喫す。

 結局、四時間余り(つけたままにしてゐるラヂオ番組の進み具合で解る)發汗と小便で眠れず。

 まあそれでもその体調と状況を面白がれたのだから、文句は云はないでおかう。

 風邪熱ではかうはゆくまい。

九月念二日(水)

 検温は以下の通り。

 朝  卅七度一分

 晝  卅六度九分

 午后 卅六度八分

 就寝前に卅六度六分で、ほぼ平生に戻つたと思ふ。

 前夜たつぷり汗が出たので、起きて直ぐシャワー。

 昨日に較べて随分と樂になつた感じがする。

 珈琲…粉末の即席である…を飲んでみると、いつも通りの味に思へて、舌といふか味覚といふか、そつちには影響がでてゐないのだと確認。

 尤も(当り前ではあるが)食慾は大して感じない。

 ピーナツ・チョコレイト、菓子パン、トースト、カップの焼そばに飲むゼリーを、昨日同様、だらだら口にする。

 昨日とちがつて水分の摂る量はぐつと減り(普段に較べれば多いけれども)、体温の変化も含めて、体調が戻つてきたのかと思ふ。

 わたしは併し自分の体調を信用することが甚だ薄い。

 記憶に無い幼い頃は何かといへば熱を出したさうだし、長距離の移動にはまつたく弱くもあつた(こつちは記憶に残つてゐる)から、副反応であつても、一度妙になつた体の具合が、一晩で戻るも筈がないとも思ふ。

 卅七度五分を超したら解熱剤を飲まうと決めてゐたが、終日平熱よりはやや高い…わたしの場合、卅六度三分から五分なので…程度の推移。

 それで昨日より少し遅く、普段よりは早く寝に就くと、寝転ぶのを待つてゐたのか、汗が出てきたから驚いた…驚いたからと云つて汗が引つ込むわけではないけれども。

 小便に立つこと四度、昨夜よりは早く眠りを得る。

674 さくとざくの間

 さくりさくりが天麩羅。

 ざくざくざくがフライ。

 擬音で云ふとそんなちがひだと思ふ。

 どちらもディープ・フライ…たつぷりの油で揚げる点は共通してゐるのに、どこでちがひが出るのかと思つて、ざつと調べてみたら、要するに衣が異なるかららしい。

 天麩羅は小麦粉。

 フライはパン粉。

 成る程、纏ふものがちがへば、歯触りや口当りがちがふのも納得はゆく。

 海老、烏賊、玉葱。

 この辺りは天麩羅でもフライでも種であるし、どちらで料つてもうまい。なので比較は六づかしい。

 尤も多少の例外はあつて、牡蠣はフライより天麩羅…大根おろしをたつぷり入れた天つゆで食べるのが旨いと思ふ。何しろ牡蠣自体、味が濃い。フライにして、チリー・ソースを垂らしたウスター・ソースやタルタル・ソースを添へると、些かくどい。胃袋の年齢やら、舌の好みがあらうから、反駁が出ても、そこを認めるのに吝かではない。

 

 話を少し戻しますよ。天麩羅とフライは、どつちも大量の油で浸し揚げる技法…ディープ・フライが共通してゐる。さてここで疑問なのだが、かういふ調理法は世界でどの程度、一般的なのだらう。

 ウィンナ・シュニッツェルといふ仔牛のカツレツがありますな。たいへん旨い。ただこれは我われがカツレツと聞いて聯想する分厚い肉ではなく、薄く叩いた仔牛肉の平べつたい揚げ焼きだから、初見は違和感がある。

 中國料理にはかういふ食べものの印象は無い。衣をつけず丸揚げにするか、大皿に乗せた魚なり野菜なり肉なりに熱い油をかけまはす感じがある。フランスやスペイン、地中海方面のイタリーやギリシアやトルコの料理にも、油にどつぷり浸し揚げる食べものの印象を持てない。

 實際のところは知りませんよ。トルコ風羊のディープ・フライだの、ギリシア式蛸のオリーヴ油天麩羅があつても、不思議ではない…と思ふ。まして中國なら、何だかよく解らない山鳥やら川魚に、何だかよく解らない植物を挽いた粉をまぶして、揚げものを作るくらゐ、平気でやつてゐさうでもあつて、いや實際は知らないのだけれど。

 

 かう書きながら、天麩羅とフライには大きなちがひ…丼ものに出來るかどうかがあると気が附いた。海老天は丼になつても、海老フライはならないでせう。もしかしてバタ・ライスに海老フライを麗々しく乗せ、タルタルやデミグラスのソースをかけた丼があるのだらうか…胸焼けしさうだなあ。

 更にもうひとつ。天麩羅には掻き揚げがあるが、フライに同様または近似は無ささうに思ふ。小海老に小柱、牛蒡に人参に玉葱に春菊を、大きくふはりと揚げるのは、我が國獨特の調理法ではなからうか。フランス人なら獸肉や野菜の切れ端、茸だの栗だのでオリエンタル・フライ・ア・ラ・ジャポネーゼくらゐ、仕立てさうなものだが…掻き揚げの姿は、かれらの美意識にあはない可能性がある。

 そこで落ち着いて考へるに、ディープ・フライは相当に贅沢な調理法ではないか。油と火のどちらも大量に必要だからで、こんな食べものを(気らくに)口にするには、社会がその贅沢を許す程度に成熟し、安定し、また活發でなくてはならない。天麩羅が一応の完成をみたのはざつと、江戸時代の後期、天下泰平と同時に、流通や経済に近代に繋がる変化…殺風景な云ひ方をすれば、コメからカネへの…が形になつた時期と重なる。当時の欧州が戰争と植民地の経営に忙しかつたのと較べれば(云つては何だが、イギリスの料理はここで一ぺん、大打撃を蒙つてゐる)、随分と暢気、訂正優雅ではあるまいか。

 

 改めて念を押すと、天麩羅とフライに優劣を附ける積りは丸でありませんよ。日本人と西洋人の味覚の差異について語つてゐるわけでもなく、色々とちがつてゐるのを面白がつてゐるだけに過ぎない。とは云へ最後に矢張り不思議と思ふのは、小麦に食卓の多くを任せ、また様々の応用を効かした國が何故、ディープ・フライに辿り着かなかつた…いや辿り着くまでに異様な時間を要したのか。さくりさくりとざくざくざくといふ擬音のちがひに潜む謎は大きい。

673 赤身

 スズキ目サバ科マグロ属に分類されるさうで、詰り鯖や鰆の遠縁、鰹の親族で…鮪の話ですよ。鮪の字はサカナ偏に有ルと分解出來て、日本かつお・まぐろ漁業協同組合が運営する[かつお・まぐろぽーたる]によると、有に含まれる月が眼目らしく、月の字の源は肉と同じなので、肉乃至体の意があるといふ話。まぐろからは肉がたつぷり取れる、詰り肉の多い魚だから、鮪の字になつたと書いてあるのですが、さて本当か知ら。

 古語ではシビ。"大魚…訓みはオフヲ…よし"といふ枕詞も用意されて、『古事記』にも"大魚よし鮪突く海人よ"と詠はれてゐて、大味だが生きはいいですな。現代でも関西…近畿圏のふるい料理に名前が残つてゐる筈だが、流石に普段は使ひませんよ。そのシビがマグロに転じたとして、いつ頃のことか、どうやつて転じたのか、ここはさつぱり解りません。そもそも我われの遠いご先祖が食べたシビは本当にマグロだつたかとも思へますが、詮索は兎も角、古語に残るくらゐ、馴染み深い魚なのはほぼ間違ひありますまい。

 尤も有名な話をすると、鮪は馴染み深いわりに、下魚の扱ひが長いながい間、續きました。ごくありきたりに保存が六づかしかつたからで、かう云ふと、鯖や鰹も同じだつたらうと反論が出るでせうね。敦賀鯖街道なんて、よく知られてゐるぢやあないか。鮪が例外になるのはをかしい。確かに一理あります。ありはしますが、これもごくありきたりな理由で再反論出來るでせう。詰り大きさ。足の早い魚を保存するには、塩漬けにするか干すかで、当時の技術で鮪は持ち余る大きさだつたといふことです。

 時代も随分下つた江戸期。醤油に漬け込む技法…漬けが成り立ち、やつと多少の変化が生じました。それでも下魚の地位はそのまま。中でも脂の部分は醤油を弾くので漬けにも不向きだから、顧みられませんでした。隔世の感がありますなあ。江戸風の料理の葱鮪(鍋)は發明と云へるでせうが、あれとて棄てる筈の脂の香りを葱に移すのが目的でしたからね。今では脂みを賣りにした、一人前何千円とかする、えらい高級な料理になり下りましたが。要するに鮪は『古事記』以前の上古から、下層民の食べる魚のまま、近代まで到つたと云へるでせう。

 さて。釣つてから速やかに保存する技術…ことに冷凍保存の發達が赤身を中流程度の食卓まで運び、敗戰後にアメリカから流れ込んだ食生活が脂身の地位を押し上げたと見るのは誤りではないと思へます。詰り鮪が大して旨くもない、併し(工夫で)喰へなくもない魚から、うまい魚へ転じてから高々半世紀余り。凄い早さの出世で、魚界では豊太閤と呼ばれてゐるのではないか知ら。早鮓やお刺身や漬けといつた古來の食べ方は勿論、串揚げ、和へもの、焙り、佃煮、サラドの種にステイク。どうやら獸肉を用ゐる料理なら、鮪でも成り立ちさうで(部位の撰別は必要としても)、もしかしてこれは我が國の鮪食史上、最も劇的でまた劃期的な変化だつたかも知れません。いやわたしは(半ば以上)本気なんですよ。

 とは云ふものの。實のところわたしは、鮪をそこまで好んではゐないのです。きらひではありません。早鮓の盛合せに赤身の一貫も見えないのは寂しいし、気が向けば大葉と生姜と醤油で漬け擬きを用意することだつてあります。もう暖簾を下ろしましたが、大坂は天神橋筋にあつた[たこ梅]の鮪の串かつは實に旨いものでした。もう一ぺん食べられないのは残念…と云へる程度には旨いと思ふんですが、どこかのお店で"まぐろフェア開催"と煽られても、ふーんさうなのねで終つてしまひます。親族の"鯖大會"だつたら、きつと昂奮するのに、我ながら不思議だなあ。

 まあもつと不思議なのは、その鮪が(妙に)恋しくなる瞬間があることで、卑近な例で云へば、マーケットの惣菜賣場で鐵火巻だのねぎとろが並んでゐるのを見ると不意に、山葵を効かしてつまんだら旨からうなと思ふのは、何故でせうね。序でに云ふと、脂のところを恋しいと感じないのも不思議ではあります。下層民だつたご先祖が、鮪で腹を膨らました記憶が不意に刺戟されるのかとも考へましたが、わたしのご先祖は瀬戸内人ですからね。下層の漁撈民だつたとしても魚に不自由はしなかつた筈ですし、ひよつとすると鮪を知らなかつたとまで、想像も出來ませう。さういふ疑問も香辛料に、今夜は赤身の鐵火巻で一ぱい、呑るとしますか。

672 次を待つ~ワクチン記

九月二日(木)

 ふと気になつて、自衛隊の大規模接種予約ページにアクセスをしてみる。

 地域番號。

 券の番號。

 生年月日。

 この三点が必須の情報になるのだが、"予約出來る日程が無い"とエラーが返つてきた。

 大規模接種の予約は二回分をひと纏めにするから、当然の話で、ちやんと情報を管理してゐるのだなと思つた。

 事の序でに東京都の予約ページへのログインを試したら、あつさり入れて、空き會場の予約まで出來さうであつた。

 わたしは良心的なので途中で止めたから、完了まで処理が進むのかどうかは解らない。

九月三日(金)

 改めて二回目接種当日までに何を買つておくかを考へる。

 スポーツ・ドリンク。

 飲むゼリー。

 カップ麺。

 上の辺りは少しづつ。

 ジャムやママレイドの類。

 菓子麺麭。

 チョコレイト。

 この辺は接種前日か当日の帰りに。

 レトルト・パックのお粥やお味噌汁、ソップ類は買置きがあるから、買はなくても平気だらう…も少し余分を用意する方が安心か知ら。

九月九日(木)

 重陽、祖父の忌日でもある。

 十二日(日)に終る予定だつた東京都の緊急事態宣言が、月末頃まで(何度目かの)再延長になるとのニューズを聞く。

 すりやあまあ、さうなるだらうさと思ひつつ、半月単位といふ小出しで延長を續けるとは、愚かな判断を繰返すのだなと冷笑が浮ぶ。

九月十三日(月)

 二回目接種の一週間前。

 右肩がひどく凝つて、奥歯が浮いた厭な感じがする。

 首の右側を揉んでみると、ごりごりする。

 過去にもかういふ症状の経験はあつた…二日三日程度で収まるのは知つてゐる。

 改めて在庫を確認する。

 飲むゼリーとレトルト・パックのお粥が各ふたつ…ちよつと足りない気がする。

 即席のお味噌汁(十二椀分)一袋に、コーン・ソップ(四杯分)が二箱…これは問題あるまい。

 カップ麺はひとつだから、二つ三つ追加しておかう。

 スポーツ・ドリンクとジャム類は未だ買つてゐない。

 後は豆腐があれば、きつと簡単な食事代りになるから、菓子麺麭などとあはせて、接種前日か当日の帰りに買はう。

671 曖昧映画館~陰陽師

 記憶に残る映画を記憶のまま、曖昧に書く。

 

 この映画の舞台は、怪異が人びとの隣にあつた時代。

 平安の頃、惡霊や鬼は、疫病や天災と同じく現實的な問題であつた。佛教がもてはやされたのは、悟りなどの観念ではなく、土着の(宗教的な)技術では効果が薄まつた咒の持つ"實際的な効能"で、それは当時、最先端の科學だつた。

 

 主人公は野村萬斎演じる安倍晴明

 その友人となる源博雅伊藤英明

 敵役の道尊こと蘆屋道満には真田広之

 

 筋立ては簡単。

 道尊がみやこを我がものにせんとたくらむ。

 その怪異とたくらみを晴明が打ち払ふ。

 それだけのことで、早良親王…物語以前にうらみを抱いて死んだ…や、人魚の肉を食べて不死になつてしまつた女は、話の飾りつけと云つていい。

 真田広之は樂さうに惡役を演じてゐるし、野村萬斎もまた余裕たつぷりに、おそらく意図的だらう舞台芝居じみた立ち居振舞ひを見せてくれる。ベテランの丁々発止は宜しい。

 

 不満は三つ。

 第一には特撮。かういふのは無理に派手を狙ふのでなく、怪談話めいた演出…たとへば夜と篝火の多用…の方が嵌つたと思ふ。ことに鬼が作りものめいた姿だつたのは頂けない。

 第二はみやこの描き方。有り体に云へば貧で鄙な当時の日本を、綺麗に巨きく見せたのはどうだらう。ことに大通りの道幅の広さは、何とも時代に不釣合ひであつた。

 ここまでは我慢する。

 我慢ならないのは源博雅を演じた伊藤英明で、博雅は物語の途中、(些か唐突に)晴明と並んで"みやこを護る者"…詰り話の鍵を握る人物と明かされる。それはいい。いいのだが、そこに伊藤を配したのは致命的な失敗であつた。道尊と向ひあつて圧倒される博雅の場面が、真田広之に圧倒される伊藤英明に重つて、すつり興が削がれたし、博雅の死を嘆く晴明の慟哭も同様だつた。實に勿体無い。

 

 尤もその慟哭の後に繰り広げられた晴明道尊の対決は、演舞の野村萬斎と演武の真田広之が噛み合つて、晴明操る咒…即ち科學が、道尊の体術を封じ込めるといふ見応へのある場面になつた。細かいことを云ふと、同じ陰陽師であつた筈の道尊が、晴明の咒に無頓着過ぎたのではと思へもするが、流麗なからだの動きは、脚本の疑念を凌駕する。野村萬斎真田広之に注視すれば、不満を感じにくい一本と云つていい。