閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1061 どうぞ、こちらへ

 池波正太郎の随筆を讀むと、寿司屋で呑む話が出てくる。初めての店だと、隅のテイブルに着いて

 「並を一人前、それからお酒を一本、ください」

などと註文する。何度か通へば大将がきつと

 「旦那、どうぞこちらへ」

カウンタへ招いてくれるさうで、何と云ふか、東京人の厭みだなあ。尤もこれは僻目かも知れず、かういふやり取りが、型として定つてゐれば、スマートになるとも考へられる。

 「鮨だつて何だつて、好きに樂めばいいんだ」

と云ふひとがゐるだらうことは知つてゐるし、誤りでないとも思ふけれど、呑み喰ひに型があるのも惡くない。かう書いてから、お鮨…この稿では早鮓の意…を摘みに呑んだ記憶を持合せない自分がゐると気が附いた。

 家ではありますよ。マーケットで買つたパックを、罐麦酒でやつつける程度。ビジネスホテルに泊る時もやつつける。生眞面目な鮨愛好家やえらい食通、或は池波正太郎からは

 「すりやあ、鮨ぢやあない」

と云はれさうだが、我われ…訂正、私は旦那衆ではなく、旦那衆に仲間入り出來る見込みもない。マーケットだのお惣菜屋だののパックも、決してまづくないことだし。

 ところで"一本のお酒"がお鮨に似合ふのか、といふ疑問がある。長年、常々、ある。などと云つたら

 「日本の伝統的な組合せだらうに」

さう指摘されさうな気がする。本当か知ら。生魚を喰ふのが当り前になつたのは、冷藏冷凍の技術が確立後、詰り早く見ても明治以降と思はれる。焼魚煮魚、干物に鱠、酢漬け塩漬け味噌漬けの類で、魚介に馴染みきつたから、お刺身も(うつかり)仲間に入れてしまつた見立てに思はれる。

 ここまで云へば、我がすすどい讀者諸嬢諸氏にも賢察頂ける通り、私はお鮨とお酒の組合せに疑念を感じてゐる。寿司屋の云ふ"仕事"…下拵へを施した種(漬けや穴子、或は小鰭)なら兎も角、鮪や烏賊で一合の徳利を樂めるかどうか。適はないとまでは云はないにせよ、頭のどこかで

 (これで、いいのかなあ)

と思つてもしまふ。かと云つて、麦酒や焼酎、葡萄酒が似合ふかと考へれば、さうとも云ひにくい。要するに早鮓とお酒の組合せは若すぎて、伝統と呼べるほど、熟成してゐないのではなからうか。であれば池波の寿司屋好みは、"江戸から續く粋の型"ではなく、地震より後に成り立つた"東京の粋の型"と思はれる。敗戰後の近畿人である私の理解が届かなくてと不思議ではない。反省を口実に、パックの早鮓とお酒を一本、買つてきませう。

 「旦那、こちらへ」

なんて云はれても、おたおたしてしまふ。

1060 現代離れ

 何回か前、コシナフォクトレンダー銘のベッサTを話題にした。今回はベッサLを話の種にする。

 ライカねぢマウント。

 ファインダは無し。

 測距の機構も無し。

 但し露光計は内藏。

 筐体はプラスチック。

 要するに現代風(といつても、ベッサLが發賣されたのは廿世紀末だけれど)のライカⅠcで、露光計があるのと、二千分ノ一秒を使へるのだけが利点であつた。

 このカメラを基に距離計に聯動するファインダを搭載したのがベッサR、ライカMバヨネットの互換マウントと、精度の高い距離計(ファインダには聯動しない)を採用したのがベッサTと見立てればよく、この辺りは社内で予め、ある程度は考へてゐたのだらうな。

 だつたら最初からRなりTなり、出せばよかつたのに…と思ふのは素人の淺はかさ。ライカ並みの精度で聯動式距離計を造るのは、相当な苦辛が必要だつたと、インタヴューで社長が話してゐた。とは云へそこで、あれもこれも何も無いカメラから始てみるか、などと考へるかね。

 併しベッサLのスタイリングが、ベッサR及びベッサTへと受け継がれてゐるのは明かだし、RやTのスタイリングをいきなり調へるのは六つかしいといふ点を考慮するに、あのカメラは必要だつたと考へるのが、妥当だらう。更にコシナ社は、ベッサLと同時に、十五ミリと廿五ミリを出した。詰り算盤づくであつたのだな。

 さてそこで。改めてベッサLを見ると、被冩体との距離は目測、構図を取るのも面倒で、何も出來ない、恐ろしく面倒なカメラに思へる。いや實際に面倒であつた。断定するのは使つた経験があるからで…待てよ何故、買つたのか知ら。記憶は措き、もう一ぺん、何も出來ないベッサLを眺めると、何も出來ないのは、何でも出來る裏返しではないかと思へてきた。正確には、組合せ次第で、何でも出來る"かも知れない"なのだが…勘違ひも横に措く。

 

 仮に(あくまでも仮ですよ、為念)ベッサLをもう一度、贖ふとしませう。先づコシナ社が用意したアクセサリに、ダブルシュー・アダプタがあつた。なのでこれを何とか手に入れる。これでアクセサリ・シューが二つになる。その片方に単獨の距離計を立てる。ライツ社製になるだらうな。もう片方には、レンズに対応するファインダを乗せる。卅五ミリか五十ミリか。ソヴェトのターレット・ファインダ(確かツァイスの模造品)を乗せる手もある。かうすれば、姿は兎も角、機能としてはベッサTと同等になる。それだと速く撮れないよと云はれるだらうけれど、元々私は速撮りをしない(寧ろ苦手である)し、視力が極端に惡くもあるから、その点は気にならない。見立て方によるのは承知して、ベッサLは

 「不便を前提にした万能のカメラ」

ではないかと云ひたくなる。フヰルムを一本詰めて、ゆつくりゆつくり歩きながら、一枚一枚撮つてゆくのは、まつたく現代的ではない冩眞の贅沢な樂み方と思へるが、こんなことを云ふと、コシナ社の人びとは厭な顔をするだらうか。

1059 歯触り

 お馴染みになつた(と自分では思つてゐる)呑み屋で、ホッピー(黑)のお供にと、久し振りに蛸の唐揚げを註文した。鶏の唐揚げも浮んだけれど、お晝がチキンカツだつたから、ここは蛸に任すのが、流れだらうと思つたのである。

 この手帖で以前、蛸の味に就て触れた記憶がある。味はひ云々でなく、歯触りが蛸だとか、書いたんではなかつたか。えらさうだなあ。摘むと果して、これが蛸の味だ、とは感じなかつた。ざくざくした衣と一緒に、軟かいのだか硬いのだか、兎に角蛸の足獨特としか云へない歯触りがあつて、これだなとは思つた。

 鶏とも烏賊ともことなる、この歯触りが蛸とすれば…私にはさう思へる…、唐揚げに仕立てるのが、歯触りを樂むのに最良ではないかと云ひたくなつてくるのだが、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏は如何だらうか。

1058 リスタート

 手元にはGRⅢとGRデジタルⅡ、それから三台のマイクロフォーサーズ機に四本のレンズがある。銀塩機(KマウントやEFマウント)を足すともつと増え、ひとりで持つには随分な数である。それで偶に、そのカメラ群が残らず無くなり、一から揃へるなら、何にするか知らと考へることがある。

 銀塩は撰ばないだらう。撮る目的に使ふのは六つかしい。ねぢマウントのライカに、無用のアクセサリをあれやこれやと附け外すのが、樂いのは知つてゐるけれど、手すさび以上にならないのは間違ひない。併し撮る目的で一から揃へるとして(この際だから財布の事情には目を瞑り)、何か好もしい機種はあるものか。

 前提として、大きくて重くて嵩張るのは避けたい。となると、ライカ判フルサイズ(叉はそれより巨きなフォーマット)は、ミラーレスも一眼レフも候補から全部外れる。シグマのfp、ソニーのα7C辺りは小振りだぞ、との指摘は正しくもあるのだが、原則的にレンズのサイズは、フォーマットに比例する。よつて総体としては大きく重くなる。こまる。

 機能性能と上の條件の案配を取るなら、APSフォーマットなのだらう。(所謂)上位機種が、さうするのが責務のやうに重くなつてゐるのは、不思議と云ふ他はないとして、撰択肢が広いのは確かだし、有り難くもある。ただ広い筈の撰択肢は、ミラーレスに偏つてゐるのも事實(ペンタックスといふ例外はあるにしても)で、銀塩一眼レフの末期に似た様相と云へなくもないが…批評的な話は止めませう。

 APSフォーマットから撰ぶとして、併し機能性能の比較は殆ど意味がない。少くともこの十年…電池の保ちを考慮すれば五年以内か、それくらゐに發賣された機種なら、何を撰んでも大きな不満は感じまい。要するに必要十分は既に満たされ、熟成されてもゐて、附加価値…スタイリングやブランドはいいが、動画撮影だの各種のエフェクトだの…で他社製は勿論、自社の既存機とも差別化にも熱心なのが、現在のデジタルカメラ事情だと、私は睨んでゐる。叉話が逸れた。

 現状、そのAPSフォーマット機を造つてゐるのは、ペンタックスキヤノンニコン富士フイルムソニーだつたと思ふ。この中でライカ判フルサイズ機を造つてゐないのは、富士フイルム(別枠扱ひで、それより大きなフォーマット機はある)、ミラーレスを造つてゐないのはペンタックス。撰ぶならどちらかがいい。

 気分の問題と承知して云ふと、キヤノンニコンソニーでは、フォーマットの大きさ、發賣時期と階級が一致してゐる風に見える。ペンタックス富士フイルムの場合、その辺りが曖昧或は融通無碍に感じられるのがいい。叉お財布の事情で、型落ちや中古品を買ひ、表向きに"これが気に入つたから贖つた"と云ひ張つても、許されさうに思へる。そんなら、どつちだ。と訊かれたら、この稿では前段の條件に則つて、富士フイルムにする。

 實は富士フイルムのカメラには殆ど、縁がない。買つた記憶があるのは、銀塩コンパクトカメラのティアラと、デジタルの型番を忘れたコンパクト機(乾電池駆動だから、廉価だつたのは確かである)くらゐか。なので印象がごく薄い。

 今はXと呼ぶ機種を展開してゐる。X-Pro、X-T、同Sだつたか。ProとTは同格、SはTの下位互換…ではなからうか。以前はProの下位として、X-Eと同Aがあつたと思ふ。位置附けの正しさは保證しませんよ、為念。Pro系とT系は要するに、ライカ風かニコン風かのちがひ。単純な見た目なら、ニコン…一眼レフを好もしく思ふけれど、富士フイルムのXシリーズはすべてミラーレスである。ミラーレスはペンタプリズムを要しない構造なのに、一眼レフ擬きのスタイリングなのは、どうも気に入らない。

 であれば、ライカ風のPro系が、ミラーレスに似合ひのスタイリングなのだらう。しかしそのProは私の目に、不必要に大きく思へてしまふ。前段の條件を満たさないし、有り体に云つて不恰好。従つて半ば自動的に、X-Eか同Aを(富士フイルムのひとには申し訳ないが)中古で、探さざるを得なくなり、所謂"標準"ズーム附きがいい。大体はこれで撮れる。必要(物慾込)を感じたら、サードパーティ製も含め、単焦点の入手を考へるとして…初心者への助言でよく聞く話をトレースするやうな流れだな。併し一から揃へなほすのが、リスタートを切るのと同じと思へば、奇妙とは云へない。我ながらうまく纏つた。

 

 ここまで書いて最後に念を押すと、私の今の主軸はGRⅢであり、叉気に入りでもある。従つて實際的に考へると、GRⅢの買ひ戻し一択になることは、附けくはへておきたい。