閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

094 入り口

 経験則だからあてにはならないと思ふが、初見の呑み屋のつまみが信用出來さうかどうかは、つき出しで半分くらゐは判る気がする。この場合、チェーン店は勿論省いてある。あすこは(多少の例外は認めるとしても)そこそこ廉価に、そこそこの呑み喰ひをする場所だから、そこでつき出しがどうかう云ふのは、筋が通らない。

 いちいち具体的な名前を挙げるのは避けるとするが、わたしが何べんか足を運ぶお店は間違ひなくつき出しが旨い。たとへば中野にある某立呑屋や黒糖焼酎泡盛の呑み屋。同じ中野の台北料理の呑み屋。東中野にあつた串焼きの店。都立家政の某居酒屋。その後に出されるつまみが旨いのは改めるまでもなく、かう書くと酒精の揃ひ具合はどうなのだと気にするひとが出てくるだらう。

 併し酒精の揃ひ具合とつまみの味を仮に比較するなら、つまみの味の比重が高くなる。両方うまいのが理想として、旨いつまみには、ありきたりの酒精を旨く呑ませる効能が期待出來るけれど、逆の効能は期待しにくい。我われは生きる以上、食べなくてはならず、麦酒でもお酒でも葡萄酒より焼酎でも泡盛でもヰスキィでも、その發展は食べものに寄り添ひ、或はより美味しくする為であることを思へば、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にも納得頂けるのではないか。さうでなくても、困りはしないけれど。

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 それでどんなつき出しが望ましい…好もしいかといふと、別に凝つたものでなくていい。最初の一ぱいをやつつけながら、何を呑み、また何を食べるかを考へるお供がつき出しなんである。だから厚揚げを焚いたのや酢のもの。白和へや胡麻和へや辛子和へ。或は卯の花。或はピックルス。豆腐や枝豆も歓迎するし、ビーンズの煮込みや春雨のサラド、生ハムの欠片とチーズにオリーヴ油と黒胡椒、鶉玉子の油漬けも宜しい。贅沢を云へば、つき出しは匙で掬へたり、ホークや爪楊枝でつつけられればより好もしい。かういふ簡単な食べものにちよいと、手を掛けたのが出されると、喰ひしん坊で呑み助(ところで“喰ひしん坊呑み助”と書いたら、咄家の出来損ないのやうな響きになりますな)としては、後が期待出來るねえと嬉しくなつてくるし、その期待はほぼ、裏切られずに済む。さて麦酒を呑む間に鯵フライかミンチカツ。それから焼酎と薩摩揚げにするか、それともお酒にして鯖の干物に沖漬けか。焼きものは何があつたかしら。品書きを見直さなくちやあ、いけないぞ。