閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

679 点灯は順繰りに

 この稿を公にする今日は月の半ばも過ぎてゐる筈だが、書き出したのは令和三年の長月晦日で、翌神無月朔日に、半歳續いた緊急事態宣言が解除される運び、その辺りなので我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には、頭の時間を半月ほど、戻しておいてもらひたい。

 緊急事態宣言から蔓延防止措置だつたかに移らないのは意外だつた。自治体が飲食店に出した要望を眺めるに、蔓延防止措置と大して変らないので、解除にすれば補助金だか協力金だかを払はなくていいと、さもしく考へたのかと意地の惡いことを云ひたくもなる。尤も裏側はどうあれ、好きな呑み屋が少しづつでも暖簾を出せるだらうことは喜ばしい。

 たれでもさうだと思ふのは、好きな呑み屋がある町には好感を抱く。好もしい呑み屋を成り立たせるのは、旨いつまみと、客あしらひの巧い大将または女将さん、それからたちのいいお客の組合せで、所謂歓樂街(たとへば新宿の歌舞伎町)でこれらの組合せは成り立ちにくい。ひとが多いからで、それなりのつまみと少量の蘊蓄があれば、一応の商ひが出來て仕舞ふ。若ものなら気にはなるまいが、わたしくらゐ年齢を重ねると、太刀魚の骨のやうにこつんと引つ掛かると、途端に我慢ならなくなる。年寄りの我が儘と云つてもらつてもいい。こちらとしては、呑む場所と呑む時間への嗜好がはつきりした結果だから、廉価や物量に価値を見出だす連中(同じ時期があつたのは認めるのに吝かではない)とはちがふのだと云ひ返してはおく。

 ある程度の狭さで、それなりの歴史がある地域…町。そこが(序でに)自宅から近ければ文句は無く(ぶらつと歩けない町では困るのだ)、わたしの場合、中野がほぼそこにあたる。正確には旧國鐵総武中央緩行線中野驛の周辺。ことに昭和新道の辺りにある呑み屋が好みに適ふ。たとへば…と云ひたいところだが、ここではお店の名前を挙げない。どんな弾みで迷惑を掛けるか見当も附かないし、わたしの好みが我が讀者諸嬢諸氏の好みと一致する保證も無い。かういふのは自分の足とお財布を使つて實感するのが最良、といふより唯一の方法で、たれかが旨いと書いてゐても、あてにはならない。惡口雑言と酒肴の味は、文字にするのがまつたく六づかしい。いや文字にするだけならわたしでも出來るが、どこそこにある何々といふ呑み屋の何とかいふ肴がまことに結構と、正確に伝へるには余程に高度の技術が求められる。讀む側はその辺を差引きすると、参考程度くらゐにしかなるまい。

 とは云ふものの、これから足を運べる呑み屋を思ひ浮べるのは矢張り樂い。さういふ話をしたくなるのも人情の常でもある。なので中野驛の周辺にはかういつた呑み屋があるのだなといふくらゐに抑へながら、話を進めたい。

 最初に黑糖焼酎や泡盛を得意にするKを挙げたい。ここのつまみは奄美の料り方が基本になつてゐて、それだけでなく大将は当り前の呑み屋でも経験を積んだと覚しく、要するにうまい。つき出しがたつぷりあるのは用心せねばならず(胃袋が若ければ兎も角)、わたしくらゐだと外のつまみの註文が躊躇はれる。そのKの近くにはYといふごく狭い立ち呑みがある。Yの筋向ひには、矢張り小さな立ち呑みのPがあつて、どちらも勿論つまみが佳い。ではどちらでもいいかと云ふとさうではない。Pでは鶏の天麩羅だの餃子だのを出し、Yではつまみといふより肴を出す。尤もそれでどちらがいいと云ふ話にはならない。どこかで呑むのは、そこが最初なのか、空腹の具合、醉ひのまはり方、空の模様、時間帯、さういふあれこれの総体で決るのだから、比較はそもそも成り立たず、成り立つたとしても、比較を繰返した結果、自分にとつての呑み屋がひとつになつて仕舞ふ。何とも莫迦げた話であつて、YもPも暖簾を出してもらはなければと思ふ。

 YやPから少し離れたところの二階にAがある。沖縄の料理と泡盛。カウンタに泡盛の壷が並べてあつて、註文すると柄杓で掬つてくれるのが何となく嬉しい。最初に挙げたKと同じと思ふのは誤り。何かの本で目にした、"琉球奄美弧"といふ言葉でも解るとほり…實に綺麗で絵の浮ぶ云ひまはしだと思へる…、文化圏の重なる部分は大きいけれど、それが呑み屋に当て嵌るわけではないもの。その"琉球奄美弧"を拡げると臺灣の島蔭が見えてきて、詰りSがそれにあたる。臺北(の家庭)料理を謳つてゐるのだが、臺北料理は勿論、臺中も臺南も知らないわたしは、大掴みに臺灣料理だと考へてゐる。紹興酒を呑みながら、赤茄子と玉子の炒めものや家常豆腐を食べるのがいい。但しKと同じく一品がたつぷりあるから(わたしの胃袋で先の二皿を同時に平らげるのは無理である)、つまみを撰ぶ際は慎重にしなくてはならない。

 外にも鰻の寝床のやうなバー(お客様のあしらひが巧妙)、フィッシュ・アンド・チップスがうまいパブ(呑むのが黑麦酒なのは云ふまでもない)、葡萄酒やお酒、ヰスキィに特化した立ち呑み式のバーがあり、何といふこともないが、つまみが宜しい居酒屋もあり、さういふ店々に順次灯りが点くと考へるのは愉快である。

 上に挙げた呑み屋の大半はひとりで足を運んでゐた。友人知人を連れて行くのが厭なのではなく、友人知人と呑むとそこがどこでもいつものあの店のやうな気分になるからで、それはそれでいいとしても、さうではない心持ちで呑みたい日もある。中野驛周辺から昭和新道辺にあるのはその為の呑み屋なので、但しそれはわたしの嗜好に適つてゐるに過ぎず、友人知人と呑むなら、友人知人と呑むのに相応しい呑み屋といふ別の嗜好が顔を出す。その嗜好に適ふ呑み屋もあるのだらうなとは思ふが、知る範囲には見当らない。目に入らないだけだとしても、目に入らなければ無いのと同じだし…それで特に困りもしない。それはあの町がこちらにすれば、ひとりでふらふらする場所だからで、少しづつ、そのふらふらを再開出來さうだと思ふのは、順番に点るだらう灯りと共に愉快なことである。