閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

641 有用な註文

 呑む時には食べる。といふのがわたしの原則である。麦酒やお酒や葡萄酒、或は焼酎泡盛ヰスキィでも、事情は変らない。但し絢爛豪華な満漢全席やガルガンチュワ的なフル・コースを求めてゐるのではなく、たとへばチーズの欠片とハムの端つこ、サラミや落花生、鮭の塩焼き、焙つた厚揚げ、うでたソーセイジなんぞがあれば十分だが、そこにはひとつ、條件がある。何のことはなく、その前にちやんと食べておきたいことで、もつと簡単に空腹では呑みたくないと云つても誤りにはならない。

 ここで問題なのは、家なら兎も角、外で呑まうとすると、予め食べておくのが中々六づかしい。或は面倒である。つき出しをつまめばいいよ、と云はれさうだが、残念ながらつき出しの旨い呑み屋は少い。あんなのは無駄だと思ふひとは、つき出しが最初の一ぱいを受け、お代りに繋げる大事な役目を知らないか、その程度の呑み屋しか知らないだけである。その役目を知つてゐる呑み屋のつき出しは旨いし、外の肴も旨い。旨い肴はお酒の味も佳くする。

 話が変な方向に拡がりさうだな。用心しませう。

 好きな立ち呑み屋がある。ごく狭い。カウンタに肴を盛つたお皿や鉢が並べられ、それがつき出しと肴を兼ねてゐる。煮もの、和へもの、焼きもの、時にお漬もの。味に文句はないが、全体にかるい。なので本來は腹を満たしたい時に訪れる場所ではない。但し思ひついたやうに、しつかりしたつまみを出すことがある。気紛れで出してゐたバインミー(ヴェトナム式のサンドウィッチ。バゲットパクチーとたつぷりの野菜、それから肉を挟んである)は旨くてお腹への収まりがよく、まことに結構なものだつた。

 いつだつたか、ちよいと早めに暖簾が出てゐた夕方、そこに潜り込んだ。既に先客がゐて、賑々しく呑んでゐる。知つた顔もあつたから、會釈して陣取つた。一ぱい目を註文しつつ、カウンタの上を見渡すと、ラップにくるまれた褐色の塊がごろごろしてゐる。詰りおにぎり。気が附いて嬉しくなつた。といふのも、かるい空腹だつたからで、こちらの腹具合を見透かしてゐたのか知ら。カウンタ内のお姐さんが食べますかと聞くので勿論と応じると、妙なくらゐ人気ねえと呟きながら、胡瓜のお漬ものを添へて出してくれた。

 流石に手に持つてかぶりつくのは憚られたので、お箸で千切つて口に運ぶと、お出汁の利き具合が宜しい。訊くと鯛のあらで仕立てたさうだ。贅沢…といふより工夫をしたなあと思ひながら噛みしめると、成る程うまい。細かい不満が無いとまでは云はないが、細かい不満が気にならないうまさでもあつて、かういふ場合、不満とやらは無視するに限る。それに(と話が冒頭に戻る)始めにごはんを入れれば、空腹を感じながら呑まずに済む。惡醉ひの危険も低くなる。まつたく都合がよい。後は…甘辛く炊いた蒟蒻にマカロニのサラド、それから味附けの煮卵だつたか。お米を食べたといふ安心感のお蔭もあつて、味はひもまた、ひとしほであった。

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 そこで思ふのだが、どうして呑み屋では最初にごはんを出さうとしないのか知ら。ものの本によるとお午の懐石では招いたお客に"焚き立てのやわらかい御飯一杓子と、その御飯に合うだけの(中略)あつい味噌汁"と膾をすすめるとある。そこからなだらかにお酒、濃茶へと移る。空腹を少しおさへ、お酒で気分を樂にしてから、お茶をゆるりと味はふ流れは、たいへん合理的だと思ふ。中には魯山人風の茶人の厭みを感じるひともゐるだらうし、わたしもどちらかと云ふとそつちなのだが、ここでは目を瞑りませう。

 いきなりごはんで満腹を感じられた日には、肴が賣れなくなるし、さうなると呑んでもらへなくもなつて、損をするんではないか。

 といふ商賣の不安は詰り、的を射てゐないと考へられないだらうか。酒肴をがつつくと胃袋の調子は寧ろをかしくなるし、をかしくなつたら旨い筈の酒肴を味はひ樂む余裕が失せて仕舞ふ。下手をすると惡醉ひしかねない。すりやあ勿体無いし、眞つ当に肴を出す呑み屋も不本意にちがひない。そこでちよとつまめるおにぎりの作り置きである。なーに、鯛のあらを奢らなくたつて、茸や菜つ葉が混つてゐれば上等である。また梅干しのひと粒も隣にあれば、食慾を刺戟して、肴撰びの樂みも増える。自分で云ふのも何だが、"取敢ず、麦酒"と併用出來る有用な註文になる…詰り名案だと思ふ。どこの呑み屋でも勝手放題に採用してもらひたい。