閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

336 ノルマン懐石(習作)

 元々は北欧…スカンジナビア半島バルト海沿岸のゲルマン人で、更に漁業と交易と海賊を糧にしてゐた人びとの綜称であつた。活發に動いてゐたのは九世紀から十一世紀の半ばくらゐ。この二百五十年ほどを日本史で云ふと、坂上田村麻呂の東北征伐から空海による密教傳來、菅原道眞の出世と失脚と祟りと神格化、東國での平将門の叛乱を経て、『枕草子』と『源氏物語』の成立にあたる時期。何といふか、こぢんまりとしてゐる。

 北方のゲルマン…いやここからはノルマン人と書くが、それが何故かうなつたかと云ふと、スメルガスボードに目を向ける必要がある。これは瑞典發祥の食事の形式。パンとバタ、ハムやソーセイジやゼリー、パイに燻製に酢漬けなんぞを持ち寄る一種の宴会料理…が惡ければ豪勢な家庭料理である。一ぺんありついてみたいものだが、わたしの周辺に瑞典いや北方ゲルマンいやノルマン人はゐないし、何かの弾みで招待してもらつても、何を持つてゆけばいいか、見当がつきかねる。鮒寿司を用意するわけにもゆかないしなあ。

 とここまで書いて、何の話をしたいのか、触れてゐないのに気がついた。だから慌ててバイキングですよと云つておく。

 併しバイキングと云ふだけでは、話の方向がはつきりしないのは明らかである。なのでもう少し言葉を継ぎ足すと、我われが“バイキング”と聞いて、漠然と思ひ浮べる食事の形式は、寧ろ“スメルガスボード”に近い、といふより“バイキング”は意訳も甚だしい呼び方であつて、スカンジナビアの漁民兼海賊がどんな料理を食べてゐたかははつきりしない。陸で羊や豚や牛や家鴨を飼ひ、鹿や猪を狩り、鱈や鰊や鯖や鮭を釣り、また海岸に打ち上げられた鯨を、燻製や塩漬けや酢漬けや醗酵、或は乾燥で保存し、煮て食べたらしい。また麦酒や蜂蜜酒を呑んでゐたらしい。栄養士が聞いたら目を剥きさうな献立ではなからうか。

 栄養士諸賢の心配はさて措き、千二百年前のノルマン人に我が國の“バイキング”を供したら、その場で大暴れするのではないか。食麺麭やソーセイジやスクランブルド・エグスは兎も角、ごはんがありお味噌汁があり、梅干しや柴漬け、生卵に海苔…鯵の干物や塩鮭や鰤の照焼きは何とかなるかも知れないとして

「これがどうして、“バイキング”なんだ」

と喚きたてられても、反論が六づかしい。

「昭和三十三年に公開された『バイキング』といふ映画が、切つ掛けらしいのだ」

わたしとしては、云ひわけを始めざるを得ない。スカンジナビア式の食事を紹介したかつたホテルが、併し“スメルガスボード”では馴染まないだらうと考へたらしいのだよ。

「だからと云つて」とノルマン人は不満顔を崩さず「おれたちはゴハンだのミソシルだの、そんなのは知らない」

「すりやあ、さうさ」

わたしはこつそり慌てながら、色々のご馳走が並ぶ卓を簡潔に伝へたいと思つたのだらうな、そこでうまい具合に映画が公開されたから、その題名をそのまま使はうと決めたらしいのだよ。

「何しろ我われにとつて、スカンジナビアはバイキングだからね」

さう云ひわけを並べたところで、ノルマン人はふうむと鼻を鳴らし、あの角笛のやうな器で蜂蜜酒を干すくらゐであらう。

 とはいふものの、日本式に変換されたスメルガスボード…ここから先は、ノルマン人の機嫌に目を瞑つて、バイキング(・スタイル)と書くが…を、わたしは好む。ことにビジネス・ホテルで提供される“朝食バイキング”がいい。別に豪勢なおかずがあるわけではないし、(多少の例外は認めるとしても)厳撰された材料を用ゐるわけでもない。併し鹿尾菜や生野菜や切干し大根、炒めたベーコンとハムエッグ、クロワッサンにポテト・サラドにマカロニ・サラドが賑々しく並んだ卓を見るのはいい気分で、朝めしを食べる習慣が無くても、あれこれと取りたくなつてくる。

(この寄せ集め具合こそ、バイキング・スタイルと呼ぶのに相応しい)

と思ひたくもなつてきて、パテや煮込みやオリーヴ油漬けの姿が見当らないのは残念ではあるが、ノルマンが堪能したのは、中身こそ異なれ、かういふ形式の食事…卓上に色々な食べものを置き、手の空いた者が、手の空いた時に食べる…で、それが社交といふ洗練を経たのが、スメルガスボード…即ち我われの云ふバイキングではなからうか。

 かう書くと、漁民兼海賊の子孫はこぞつて、再び鼻を鳴らすやも知れない。さういふ想像が当つてゐるかどうかは兎も角

「日本人は好き勝手な変更をしすぎなのだ」

さう云はれたら、こちらには反論の余地がない。ナポリ人が食べないスパゲッティのケチャップまぶしに、ナポリタンといふ名前をつけたくらゐだからねと、居直れば大笑ひされるだらうが、それはそれだと追打ちが掛かるのは間違ひない。祖國の食べものや食べ方に執着を示すのは、愛國心の正しい發露である。

「さうだらう」とノルマン人は胸を張つて「おれたちがもし、鰊の酢漬けと鮭の薫製でKaiseklを用意したら、幾ら寛容な日本人だつて、驚くし呆れるし、腹も立てるにちがひない」

「すりやあまあ、驚きはするだらうな。だけども呆れるか腹を立てるかまでは、判らない(バイキング・カイセキ…海賊懐石…だつたら寧ろ一ぺん、食べてみたい)」

 括弧の内側は流石に遠慮しつつ、我われの食べもの史にはスメルガスボード…いやバイキング・スタイルのやうな面があつてね、と言葉を繋げた。

「中國大陸や東南亞細亞、印度に西域。ひよつとしてポリネシアにも、源流がある」

それらは隋唐の烹もの蒸しものであり、またフィリピンやタイ、ベトナムの干し魚に蒸し米に醤でなければ名も残らぬ南洋の保存食や北方の醗酵食であつた筈だ。それらが日本列島に次々入り込んだ時期が古代上代だとすると、小さく見て、北九州から瀬戸内を経て畿内に到る地域は、巨大なバイキングの卓であつたと見立てられなくもない。スカンジナビアに住むバイキングの子孫諸君の、同意を得られるかどうかまでは、保證の限りではないにしても。