閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

734 アルカイックなスマイル

 白身魚(主に鱈の類)のフライと(串切りの)揚げた馬鈴薯をあはせて、フィッシュ・アンド・チップスと呼ぶのだ、といふことを知つたのはいつ頃だつたか。一ぺんか二へん、食べたのは東京だつたから、それより前…卅年以上前…なのは確かである。ギネスと一緒に食べた筈で、旨かつた。かう書くと、讀者諸嬢諸氏の一部は

 「だけどねえ。英國の食べものでせう」

 「何とも貧相な話ですなあ」

アルカイックなスマイルを浮べさうである。気持ちは判らなくもない。我われには何となく、英國とまづい食事をイークォールで結ぶ癖がある。

 ここで先達を振り返ると、吉田健一にしても檀一雄にしても、英國の料理に好意を示してゐる。ことに檀は、英國のスモークト・サモンを、自然と人工の際どい融合とまで評してゐて、もう絶讚と云つていい。吉田は吉田で暗褐色のママレイドとベーコンの朝食を何度も懐かしがつてゐる。我われの曖昧な印象と、ふたりの経験を較べれば、どちらに信頼を措くのがいいか、迷ふまでもない。であれば、フィッシュ・アンド・チップスが、英國由來だからと眉を顰めるのは、をかしな態度であらう。

 

 十九世紀の中頃に成り立つたらしい。揚げ鱈も揚げ馬鈴薯もそれぞれに、その前からあつたのは云ふまでもなく、ざつと調べた限り、それらは別々の地域での發達だつた。合体の切つ掛けが産業革命にあつたのは改めなくても宜しからう。十九世紀英國の激変は大体あの四文字に集約出來る、マジック・ワードの一種ですな。

 頼りきりなのも気が引けるので、も少し考へませうか。産業革命英國本土にもたらしたひとつに、鐵道網…輸送の發展が挙げられる。これで鱈の港湾と馬鈴薯の農地、工業地帯が結びついた。工場がある土地には労働者が集り、労働者は下層階級と相場が決つてゐる。その労働者たちが廉で早く提供される、腹保ちのいい食べものを求めるのは当然、といふより、さうでないと想像する方が六づかしい。そこにフライド・フィッシュとポテト・フライが

 「セットで登場しました。ヴィネガーやソルトは勿論、お好みのソースでどうぞ」

ときたら、飛びつかない筈がない。わたしならきつと飛びつく。お店も樂と云へば樂だつたらう。揚げ置きして、後は新聞紙にくるんで渡すだけだもの。カウンタにヴィネガーとソルト、それにウスター・ソースかケチャップ辺りを用意しておけば、三丁目ストリートのヒマモジ亭で出すフィッシュ・アンド・チップスは、気が利いてゐると云つてもらへたにちがひない。

 

 英國人の失敗はそのフィッシュ・アンド・チップスを、丹念に育てる手間を惜しんだ点にあると思ふ。同じ島國の日本で發展した天麩羅は、屋台賣りのおやつから始つて、お座敷までのし上つたのだ、フィッシュ・アンド・チップスで不可能だつたとは考へにくい。だからと云つて

 「英國人は、そもそも料理が駄目だつたんですよ」

さう笑ふのは間違ひである。旨いものはもつとうまく、まづければ旨くする工夫をするのが人間であつて、それが日英でちがふわけはない。前述の吉田に云はせると、英國は(比較的にしても)食材に恵まれた土地柄なので、ビーフの主な調理が焼くだけなのは、それ以上の手を掛けなくてもよかつたからだと書いてゐる。かう云ふと

 「残念なことに、そんな暇はなかつたのだ」

英國紳士は肩をつぼめるか知ら。十九世紀英國が、(今のところ)人類史上最後の世界帝國の経営に夢中だつたのは確かだから、フィッシュ・アンド・チップスまで目を配れなかつたとしても、同情の余地はある。インドや清朝は厭な顔をするだらうけれど。

 

 歴史の腥さは横に措く、わたしは平和的な男なんです。

 ところでもしも。十九世紀英國人の何人か…或はパブの何軒かが、フィッシュ・アンド・チップスこそ、おれたちのイコンでありアイデンティティなのだ、と気合ひを入れてゐたら、どうだつたらう。英國下層労働者も、早く提供される、腹保ちのいい食べものが、少々廉でなくなつても、その分旨くなつてゐれば

 「まあ、仕方ねエよな」

 「まあ、旨えンだしな」

と納得したんではないか。尤もその評判が、ミドルからアッパー階級まで行き着いたかどうか、疑問は残る。どうもあの國の階級には、我われに解らない断絶…労働者階級はミドル下流までゆくのが精々といふから、天麩羅のやうな豊太閤的大出世の見込みは薄いとも思へる。

 とは云ふものの、何々のヴィネガーや何処そこのソルトを奢つたりすれば、"ちよつとプレミアムな"フィッシュ・アンド・チップスは出來るだらう。わたしが食べた東京の店は、註文してから揚げ始めて、ファスト・フードとは呼びにくくはなつても、サーヴィスのひとつにはなり得る。これなら

 「大きな聲ぢやあ云へませんがね。うちのフィッシュ・アンド・チップスは、某伯爵のご子息が、こつそり食べにお出でになるんですぜ」

耳打ちをするパブ(ここで疑問ひとつ。我が國の宮様方は、ブリティッシュ・スタイルのパブに、お忍びで通はれたりするのだらうか)が現れた可能性もあつたのに。

 

 寛容を旨とするこの手帖である。過去はこの際、目を瞑りませう。だからと云つて未來までは目を瞑れない。

 鱈を馬鈴薯を撰び、衣に小さな工夫を凝らし、よい油で適切に揚げ、似合ひのソースを用意する。

 更にそれらの組合せは、ギネスに似合ひの纏まりを見せなくてはならぬ。

 簡単に云へばこれだけのことで、幻の鱈だとか超高級馬鈴薯だとか、厳選された小麦粉に油だとかには拘泥しなくてもいい。フィッシュ・アンド・チップスとして上塩梅になるのが肝腎で…と考へれば中々に六づかしい。六づかしくはあるのだが、日本人に出來たのだ、英國人では無理があるとは云へまい。フィッシュ・アンド・チップスに望まれるのは、近代英國の伝統に基づいたリ・イノベーションなんである。大袈裟と云ふ勿れ。

 「英國の食べものとは、何とも貧相だねえ」

アルカイックな微苦笑が搔き消えるその日こそ、十九世紀に失はれた英國の食べものの栄光が再び、ブリテンの島に訪れる。我われはギネスを用意して、待ちかまへておかう。