閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

560 散髪屋の立ち呑み

 世の中には立呑屋といふのがある。
 廿歳を少し過ぎた頃、ある散髪屋の親仁さんが、バリカンを使ひながら
 「中々エエもンでつせ。きゆうきゆうに詰めて、ダーク・ダックスで呑みますねン」
さう教へてくれ、すぐさま奥さんに
 「アンタ、お兄ちやんに、ナニを云ふてンの」
と叱られてゐた…こつちは大笑ひをこらへたのだが…のを思ひ出した。譬へが判らない若い讀者諸嬢諸氏の為に、註釈を附けると、ダーク・ダックスは、狭い立ち呑みで、右肩をカウンタに突きだした様を指す。…まさかダーク・ダックスを知らない筈はありますまい。わたしが初めて立呑屋に入つたのは、その話を聞いて、十年以上が過ぎてからであつた。

 どうして立呑屋に行かうと思つたのかは忘れた。わたしのことだから知人に誘はれたか、話を聞いて羨ましいと思つたかに決つてゐる。
 最初に行つたのは大久保と記憶してゐる。十人も入れない狭さで、串焼きが主だつた。確かサッポロの赤ラベルで、串を何本かと小鉢をつまんだ。数人のお客は揃ひの赤ら顔なのが面白かつたが、こつちの面も変らなかつたらう。
 同じ大久保には別の立呑屋もあつて、そちらにも入つた。安チェーン店のひとつ。ただ同じチェーンの外とは店の造りが異なり、メニュも随分ちがふ箇所があつた。焼き場に立つお姉さんが、好きに工夫を凝らしてゐたらしい。つくねひとつでも、叩いた軟骨や刻んだ蓮根を混ぜ込んだりで、黑板に書かれたさういふメニュを眺めるのが樂みだつた。偶に"試しに焼いてみた"串の味見をさしてもらつたこともある。残念ながらここは改装に伴つて、お姉さんがゐなくなつた。

 併しまあ所詮は立ち呑みだからなあ。
 と呟くひとはゐるだらうし、さういふひとが立呑屋に來ないのは、それだけ混まなくなるから、都合も宜しい。
 立ち呑みだと足が痛くなるからなあ。
 さう嘆くひとはそもそも、立呑屋は一時間もゐれば長いのだと知らないのだらう。だらだら呑む場所ではない。

 といふことは、何軒かの立呑屋を巡る内に判つた。もつと云へば長居する場所でない代り、(気に入らなければ)直ぐに出られるのも立呑屋なので、獨りで呑む分には寧ろ具合が宜しいとも同時に知つた。
 でも立ち呑みなんだから、あんまり期待は出來ないよね。
 その不安は尤もである。が、わたしの知る範囲で、散髪屋の親仁が歓んだダーク・ダックス・スタイルの立呑屋…乱暴に云ふと、安ものの焼酎、謎めくもつ煮と串焼き…は、殆ど見掛けない。絶滅はしてゐないにせよ、絶滅危惧種なのは間違ひないと思はれる。
 何故か知ら。
 首を傾げるまでもなく、それ…要は廉価…だけでは六づかしくなつたからだらう。六づかしくなつたのは、廉価を賣りにする居酒屋チェーンの乱立にあふられてと考へていい。事の良し惡しは、居酒屋史の研究と批評に任せるとして、呑み助と喰ひしん坊を兼ねる人びとにとつて、この変化は厭ふべきでなかつたとは、附言してもいい。
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 気に入りの立呑屋は何軒かあつて、その性格は大きく二種類に分けられる。
 第一はおつまみに力を注ぐお店。狭い中にコンロを置き、鍋やフライパンを置き、註文を受けてから料る。待つ時間はあるけれど、チーズを織り込んだオムレツにマヨネィーズのソースとか、雪花菜を混ぜたポテト・サラドとか、少し手間を掛けたのが出てくるのが嬉しいし、それが旨くもある。
 第二は呑ませる方に特化したお店。パブのやうに麦酒やヰスキィを揃へたり、葡萄酒に集中したり、お酒に注目したりと、色合ひがはつきりしてゐる。おつまみは少く、但し味噌漬けのチーズだの、黑胡椒を挽いたオリーヴ油を添へた生ハムだの、それぞれにあはせた小皿があつて、それが旨い。
 両者はくつきり別々でなく、そこにグラデイションがあるのは勿論である。また優劣の話でないのも勿論で、わたしなぞは第一系統のお店でかろく食べてから、第二系統のお店に移つて呑む、なんていふことをする。腹具合や懐の都合で、その辺を調整し易いのが有難いので、腰掛け式だと中々さう気軽にはゆかない。時にあの散髪屋の親仁さんを誘つて
 「大したもンでんな」
と驚かせたいと思ふが、残念なことに親仁さんは、先に天國の立呑屋に行つて仕舞つた。 

559 揚げたカレーの麺麭

 本当かどうか、外ツ國から來た紳士淑女は、日本の惣菜麺麭を見ると、驚くらしい。好意的な驚きだと信じたいが
 「こいつら、一体何を考へてゐるんだらう」
と疑念を抱いてゐる可能性もある。コッペパンにスパゲッティ(それも炒めてケチャップで和へた)のを挟んだ挙げ句
 「ほら。ナポリタン・パンだよ」
と出されるのと、アボガドの薄切りをごはんの塊に乗せ
 「さあ。ジャパニーズ・スシをどうぞ」
と勧められるのと、どちらの衝撃が強いだらう。

 とは云ふものの、ナポリタン・パンもコロッケ・パンもハムカツ・パンも旨い。ポテト・サラドを乗せたり、生地にベーコンを混ぜ込んだのもいい。焼そばパンはちよつとどうかと思ふが、それでも決して不味いものではない。
 かういふ麺麭は外ツ國の紳士淑女には珍しいのか知ら。スパゲッティもクロケットもカットレットもポテト・サラドもベーコンも、出身はあちらの方面なのに。サンドウィッチから半歩の距離でもあるのに。

 それで惣菜麺麭の中で一ばん、外ツ國人の首を傾げさせるのは、カレーパンではないかと思つた(餡パンも判りにくさうだが、あちらは菓子麺麭と呼びたい)第一、何をもつてカレーパンと称すればいいのか。
 さう思つたら、いや、世界は広い。
 [日本カレーパン協会]といふ権威のありさうなウェブ・サイトが見つかつた。
 http://www.currypan.jp/
 そこに"カレーパンとは"と題された項があるので、全文を引用すると

 『カレーがパンに包まれており、焼くもしくは、揚げたもの。
 カレーパンとはカレーを具とする惣菜パンの一種である。
 主に衣を付けて揚げもしくは焼いて提供される。
 内部に入ったカレーはキーマカレーのようなものや、ビーフカレー、ゆで卵入りなど、それぞれに特色がある。
 なおカレーパンの内部には決して憎しみは入れてはいけません。
 人気のある惣菜パンであり、スーパーマーケットやコンビニエンスストアなどで大手メーカーの製品が販売される他、市中のパン屋の名物商品となっている場合も多い』

 と書いてある。余り上手な文章ではないね。仕方がないから無愛想に纏め直すと
 ・麺麭(生地)でカレーをくるみ
 ・くるんだ麺麭を揚げ乃至焼いて
出來上つたのがカレーパンで、中のカレーには色々な種類があり、更に具を追加することもある。
 うーむ、曖昧だなあ。
 併し欧州由來の麺と印度發英國経由のカレーを、日本式の揚げものの手法(但し源流は葡萄牙)で纏めたのがカレーパンなのだから、曖昧模糊は当然だし、寧ろその曖昧こそ、カレーパンの特色なのかも知れない。
 ではいつ頃、カレーパンは完成したのか。上記協会の"カレーパンの起源"を参考にすると、主に三つの説がある。

 ・大正五年:新宿中村屋
  インド獨立運動家ラス・ビハリ・ボースが伝へた純インド・カレーにヒントを得た相馬愛藏の發案。
 ・昭和二年:名花堂(現 カトレア)
  二代目中田豊治が實用新案登録した洋食麺麭。
  ※但しこれは、具の入つた麺麭をカツレツのやうに揚げるのが主旨で、カレーといふ言葉は用ゐられてゐなかつた。
 ・昭和九年:デンマークブロート
  創業者がカレー・サンドを發賣し、後に揚げる技法を思ひ附いてゐる。

 ほぼ十五年の幅があるが、協会では

 『このあたりは洋食が普及しつつあり、あらゆる業者が同時並行的に、日本的洋食メニューを工夫していた時代背景があったからのようです』

 かろく触れるに留めてゐる。賢明な判断でせうな。下手に云ひ切ると、どこから苦情が出るか、判つたものではない。
 さて。三つの發祥伝説の中で、中村屋を除く二軒が"揚げてゐる"ことに我われは注目したい。協会は"焼くもしくは、揚げたもの"と考へてゐるが、歴史的(?)に云へばカレーパンは揚げるのが正統的(!)な作り方なのだなと推測出來る。また揚げる手法に到つたのは、カレー・サンドだと、折角のカレーが麺麭の生地に染み込んだからだと思へる。バタを塗つたトーストを使へば、カレー・サンドでも平気な気もされるが、それだと揚げるより高くついたのか。
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 實のところ、カレーパンはさうさう口にしない。
 きらひなのではありませんよ。カレー(味)は懐が深く、饂飩やラーメンやスパゲッティ、煎餅やあられにも適ふ。もしかすると小麦との相性がいいのだらうか。だから麺麭とあはせて旨いのも当然である。

 では口にする機会が少いのは何故か。
 第一に、揚げパンといふのが、口に適はない。これは胃袋の事情といふより、馴れ乃至好みの問題。
 第二には、いつ食べればいいのか、よく判らない。
 第三を續けると、あはせて何を飲むかも判らない。

 寒い季節の朝に食べることがある。食パンにカレーを塗つてからトーストし、キヤベツの千切りなぞを乗せたやつ。カレーパンの正統遵守派からは
 「それはカレー・トーストである」
間違ひなく異端扱ひされる筈だが、商賣にはしてゐないから容赦を願ふ。
 この時には珈琲を飲む。何となく収まりが惡く感じるが、常識を弁へてゐるわたしは、朝から呑まない。仮に朝から呑むとして、そもそもカレーパンに似合ふ酒精は何なのか。それに朝を逃すと、どこで食べるのか。
 晝めしで主役は張れないし、晩ごはんで食べたいとは思へない。遡つて朝からカレーパンを食べたいと思ふのも稀で、おやつだとカレーの香りが食慾を無闇に刺戟するのが困る。詰り第二第三の理由はそのまま疑念に転じて仕舞ふ。
 だつたら食べない方法もあるよ、と云ふのは淺薄な見方であつて、わたしはここまで、カレーパンをまづいとも食べたくないとも云つてゐない。ただ自分の舌の上腹の中のどこに置けばいいか、決めかねてゐるだけなんである。カレーパン協会には今後、カレーパンの周辺にも気を配つた提案をここで期待したいが、他人任せな態度と叱られるだらうか。 

558 迷ひの樂み

 [553 帰つてきたGRデジタルⅡ]で、ほんの少しカメラ・バッグについて触れた。要はGRデジタルⅡとアクセサリを持運ぶ手段で、この稿を書いてゐる時点で、どうするかは決つてゐない。迷ふ。などと云つたら、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏はきつと
 「どうせ迷つてゐるのを樂んでゐるんだらう」
と苦笑を浮べるにちがひなく、またその苦笑は正しい。慌てて決める必要はないのだし、寧ろ先送りする方が、樂みを續ける意味で、好もしいのではないかとも思つてゐる。

 そもそもGRデジタルⅡの"アクセサリ"は、どこまでがさうなのか。

 手元には二本のストラップ、外附けファインダ、フードとそれを附ける為のアダプタがあつて、狭い意味で考へれば、後は充電式で揃ふ。
 併しわたしは"純正品至上主義者"ではない。
 ライカニコンのユーザに見掛けることが多いですな。フヰルタ一枚でも、ライカニコンの銘でないと我慢ならないひと。面倒だらうなあと思ひはするが、そこまで徹底出來るのは凄いとも思ふ。
 まあ、わたしはそちらに与しない。それに主義主張を横に措いても、何せGRデジタルⅡは型落ちも甚だしい。所謂"純正品"だけでどうかう出來ると見立てる方が間違つてゐる。

 詰り(わたしの場合)、"アクセサリ"と呼べる、もしくは呼びたくなる境界は曖昧になる。

 大慌てで云ふのだが、アクセサリの"定義"の話ではない。さういふのは専門家に任す。この稿では、あくまでも
 「"わたしの手元にある"GRデジタルⅡに関はる事情」
を考へたいので、外のたれの参考にもなりません。そこはちからを込めて保證する。
 さて冒頭はカメラ・バッグの話だつたのに、何故アクセサリについて触れるのか。
 すりやあ本体と一緒に(本体だけなら専用のケイスにカラビナを附けてあるから、どこにでもぶら下げれば済む)何を持ち出し、どのくらゐの嵩になるかで、鞄の大きさが変る。目を瞑るわけにはゆかんでせう。

 最初に思ひ浮ぶのは電池周りである。予備の電池が手元に無いので、充電器や単四の乾電池は用意したい。乾電池は矢張り充電式が望ましく、だとするとそつちの充電器も必要になつてくる。
 さうまで気にしなくたつて、いいよ。
 と苦笑ひされるだらうが、わたしは半日程度の外出でも、電池切れに不安を感じるたちなので仕方がない。乾電池くらゐなら、どこでも買へると云はれれば、それまでではあるけれど、保険は掛けておきたい。

 もうひとつ、フードとそれを附ける為のアダプタを忘れてはならない。ごく軽い。但し嵩張る。序でに野暮つたい。とは云へ、間にリングを入れて、フードは元より、フヰルタを使ふ時に必要となるから、持ち出さざるを得ない。またリコーが用意したのでなく、他社製のフードを附けるとなると、それも持ち出したくなる。
 いや併しGRデジタルⅡにさういふあれこれを附けるのも、野暮な態度ぢやあなからうか。
 まことにすすどい。ストラップ一本、後は精々外附けのファインダが、GRデジタルⅡの理想的な姿なのは認めたい。認めはするが、アダプタをひとつ、用意しておけば、スマートさはさて措き、弄る樂みが増すのも確かである。それにわたしは面白さうな小物をうつかり買ふ惡癖の持ち主でもあるから、持つてゐて損はしまい。

 更に云へば三脚も使ひたい気がする。ここで云ふのは卓上で用ゐる小型の三脚の話。手元にはマンフロット社の型番は判らないが、畳むと平らになる小さなやつがある。飲食の撮影はわたしの趣味で、かういふ時に具合がいい。そこに高さをかせぐ為の円筒形グリップ(こつちは無銘)も附けたい。使ふ頻度は低からうから、ここまで含めなくてもよささうでもあるが、念の為の意味で記しておく。
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 ここまで色々と挙げ、また書いてから、呆れられるのは承知して云ふと、持運びで鞄に膠泥する理由は無いと気が附いた。要は小さく纏まればよい。
 澤乃井の布袋がある。五寸壜が二本入るくらゐの大きさ。生地が薄いから保護には向かないが、乱雑な造りではない。詰めてみると、ほぼ綺麗に収まつた。流石にこのまま持ち歩けはしないが、これを別のトート・バッグなんぞにはふり込めはする。

 惡くない。
 惡くはないが、気に入つたとも云ひにくい。

 詰めただけ、といふより、詰めるしか出來ない袋だし、ぴつたりではなく、きちきちでもあつて、納得し難い気分が残る。繰返すと惡くはない。移動だけの時には便利さうでもあるから、かういふ入れ方もあると覚えておく。
 その"覚えておく"でもうひとつ。何と呼べばいいのか、お弁当箱を入れる保温乃至保冷用の函型の入れもの。澤乃井袋より収まりが宜しい。底の面積は取るし、澤乃井袋同様、そのまま持ち出せないにしても、函型で蓋がある分、別のバッグに入れても、外の荷物(たとへばタオルや財布)とごちやごちやになりにくいのは嬉しい。

 カメラ・バッグを併し無視するわけにもゆくまい。
 さう思つて見回すと、ロゥプロのNOVA1が余つてゐた。カメラ・バッグだけあつて、小ささの割りに分別しながら、ある程度の量を収納し、多少の余裕も残る。また頑丈でもあつてこの辺りは、カメラ用品の強みを感じさせる。ただ實用品のいかにもな造りだから、普段から使ふのが躊躇はれる野暮さなのが残念。
 だつたら気に入つた鞄を入手するのが、最良の方法ではあるまいか。
 さういふ指摘は判らなくもない。判らなくもないが、気分を別にしても、(極端な話)夏と冬で鞄の使ひ勝手は大きく異なる。となると"最良の方法"は季節に応じて、幾つかの鞄を使ひ分ける意味になる。お金が掛かる上に面倒なのは気に喰はない。といふより、お金を遣つて解決に辿り着くのが気に喰はない。第一、迷ふ樂みが失せて仕舞ふぢやあないか。 

557 豆腐を炒めて

 中華料理の凄みは、強い焔の使ひ方が巧いことだと思ふ。
 いやこれは印象の話。
 我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にもあるでせう。
 最初から最後まで熾き續ける烈しい火にさらされる、あのごろんとした中華鍋の中で跳びまはる青梗菜や烏賊の切身や削いだ筍。
 實に旨さうである。
 實際にうまい。
 意地惡な見方をすれば、強い熱で料らなければ、食べるのが六づかしい條件が諸々あつたとも云へるが、その條件を利用し、或は覆す工夫を産んだのだから、素直に大したものだと感心する方が望ましい態度であらう。
 贅沢な話である。
 強い火を使ふには、頑丈な設備や道具が必要だし、そもそも余程たつぷりの燃料が要る。
 設備や道具だけでなく、調理の技術も含め、ひと揃ひが完成するまで、何百年か何千年か、掛つたにちがひない。
 贅沢な話である。
 いつ頃、完成したのだらう…と考へるのは勿論、無駄であつて、大体から何をもつて中華料理と呼べばいいのか。
 あの膨大な料理群は、東西南北様々な土地の諸々な技法が影響を及ぼしあつた結果と見立てるのがおそらく正確で、ここでは好意的に文明の姿なのだと云つておかう。
 生臭な方向はやめませう。
 我われはただ、中華料理と呼ばれる旨い食べものが色々あるのだ、と理解するに留めておきたい。

 豆腐を炒めた料理がある。
 淮南王の發明とも云はれる豆腐だが、この説は信憑性に欠けるし、實際のところは例によつてよく判らない。
 少くともあの水気たつぷりの食べものを炒めてやらうと考へたのが、大陸のたれかだつたのは間違ひあるまい。
 いや水気たつぷりだつたのかどうか。
 琉球に島豆腐といふ、おそろしく堅い豆腐があり、汁ものはもとより、炒めものでも頻繁に用ゐられて、實にうまい。
 その島豆腐は唐渡りだつたと思ふ。
 もしかすると調理法と一緒だつたらうか。
 根拠は無いけれど、炒めものに使へる豆腐なのだから、水分を搾つてゐたと想像出來る。
 それに歴史上のある時期まで、あすこの王朝群は極東で唯一の大文明圏だつたもの、堅く搾つた豆腐を炒めるくらゐ、難問ではなかつたに決つてゐる。
 うまい。
 すりやあ豆腐といふより、味つけや、あはせる肉や野菜が旨いのではないか…と指摘される可能性は高い。
 色みや口触りが豆腐の担当、と見るのは確かに説得力を感じるが、果してかれらがその為だけに豆腐を使つたか、甚だ怪しい。
 怪しいなあ…いやまあ、疑念は措きませう。

 豆腐の炒めものは、首を傾げ疑問を抱くより、食べるのがあらほましい。
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 さういふ背景、事情があつて過日、中華肉豆腐定食を食べた、と云へば嘘になつて、註文したのは旨さうに思へたからである。
 期待通り、旨かつた。
 尤もひとつだけ、瑕瑾と云へばいいのか、使はれた豆腐が絹漉しだつたからだらう、ふはふはした口当りがなんとも頼りなく感じられた。
 一体わたしは豆腐と云へば絹漉し…冷奴や湯豆腐…を好むのだが、炒める場合に限れば、木綿や島豆腐のやうに、がつしりしたやつの方が旨いと思ふ。
 中華料理に絹漉しを使ふのはあるのか知ら。 

556 南國人の食べもの

 豚肉をごとごと切つて。
 鍋でごとごと煮上げる。
 それで角煮が出來る。嘘ぢやあない。ごとごと煮る時に何をどのくらゐ用ゐるかが問題ではあるのだが、作り方を煎じ詰めれば、たつた二行に纏まる。
 上手が作つた角煮は本当にうまい。肉と脂がほろほろ、口の中で混る瞬間は、こんなに幸せでいいのかと思ふ。
 下手が作ると旨くない。かさかさした筋つぽいのが歯の間に挟まつて、困つたものだなあと感じさせられる。
 料り方を二行で纏められるといふことは詰り、その間の細やかな…文字にするのが六づかしい…気配りが欠かせないことも意味してゐるのだな。
 ささやかな経験から云へば、角煮は矢張り、薩摩や琉球奄美の料理に馴染んだお店で食べるのがいい。文字にしにくい部分をきちんと味にしてくれてゐる。それに焼酎や泡盛との相性も宜しい。

 南國の料理…調理法なのだらうか。
 併し熱い國で熱い料理を食べたくなるだらうか。

 一体わたしは暑い季節が苦手で、夏は麦酒に素麺かざる蕎麦か冷奴、でなければ冷し中華があれば満足する程度まで食慾が落ちる。熱い肉塊を頬張るのは勿論、煮るのも想像の外にあるから、さう感じるのか知ら。
 少し冷静に考へると、インド人はカレーを食べる。香辛料をがりごり削り、煮たり焼いたりしたやつ。アラビヤでも羊肉と香辛料を巧妙に使ふといふ。成る程。熱い國で熱いものを食べるのは、理に叶つた習慣であるらしい。
 何故だらう。
 矢張り保存ではなからうか。我われが長期保存と聞いて聯想するのは塩や酢に漬けたり、凍らして水分を飛ばしたりだが、南國でその手法は気温や湿度を考へれば無理がある。手早い殺菌には火を通すのが最良だし、香辛料は腐敗を抑へ、食慾を刺戟するのに有用でもある。
 何より手間が少くていい。
 この場合の手間は保存の意味。火を絶やさず、継ぎ足しを繰返せば、相応の期間、食べ續けられる。極端な話だし、保存の視点からいへば、煮込むのより、煮詰めるのが目的だつたのだらうが、インド人もアラビヤ人もその辺は鷹揚にかまへてゐた気がする。

 話を角煮に戻しませう。
 インド渡りアラビヤ渡りの調理法だつたとは思はない。食べものの形としては東坡肉に源流があるとみて、ほぼ間違ひはないもの。もしかすると東坡肉の源流に胡人料理があつたのかも知れないが、そこまでは判らない。
 蘇東坡は十一世紀中頃のひと。日本で云ふと平安の京で藤原氏が大威張りだつた頃、視線を南に向ければ、島津の種が蒔かれた頃になる。地域としての薩摩は、その時期既に奄美琉球とも交易か朝貢の関係があつた。
 さて。気になるのは、東坡肉の伝はり方で、それがさつぱり判らない。大陸から直接、或は琉球奄美を通して入つたとは考へにくい。その経路が無かつたとは云はないが、私貿易程度の小ささではなかつたらうか。本邦から大陸への直接の窓口は北九州だつたのを思ふと、そこから佛教や冩本に紛れて、九州南部に拡まつたものか。

 詮索はさて措き、南國人の嗜好に余程、適つた食べもの…調理法であつたらしい。何しろ二行に収まる。猛々しいもののふの酒宴に似つかはしい。庖丁といふより鉈で、豚を骨ごとごつんと切り、巨きな鐵鍋にはふり込んで、黑糖やらその辺の畑で抜いてきた大根やらもはふり込んで
 「こいはよか匂ひぢや」
 「まつこと、旨さうにごあんど」
肉を喰ひ千切つて、戰場に乗り出した姿はまつたくの想像である。ではあるが、豚肉がかれらの剽悍の背骨を形作り、焼酎が血流になつたと考へるのは、何となく気分が宜しい。

(その精気は源頼朝の開府より早く醸成され、七百年余りを経て明治十年に滅んだ)

 保存食は殆どの場合、保存の為の技術がぐんと変化して…發展とは些か呼びにくい…、保存はどこにいつたと思へる食べものになる。考へられる理由はごく簡単で
 「もつと旨いものを喰ひたい」
といふ慾求があつたからにちがひない。当り前である。幾ら長保ちするにしても、塩つぽ過ぎ、酸つぱ過ぎ、或は火が通りすぎてぱさぱさになつた食べものを、食べ續けるほど、我われは我慢強くない。御先祖だつて同じに決つてゐる。

 さういふ慾求が、ごろごろと煮るだけの(保存)食を、目の前に出てきた時、頬が綻ぶご馳走に変化さした。

 と考へるのは間違ひではない。お漬物にしても、干物にしても、ハムの類にしても、さうであつて、どうして角煮だけが例外になるだらう。焼酎のお供になるのは勿論、もつたりした赤葡萄酒にあはせても旨い。もしかしてウォトカにも適ふかも知れず、妙な云ひ方になるが、広い意味での日本の食べもの(源流の栄冠は蘇東坡のものである)で、これだけグローバルな性格を持つのは稀ではないかとも思ふ。
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 過ぎた晩に味はつた角煮の画像を見て、不意にそんなことを考へてみた。それで南國人がこの食べものに、何かしら思ひ入れがあるものか、気になつたけれど、残念ながら知合ひがゐない。