閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

223 大坂めし

 と書くのだから、大坂にゐる。何しろ實家があり、親が住んでもゐる。帰らないわけにはゆかない。その帰途がどうだつたかは、前回の[ゴー・ウエスト]に目を通してもらへればいい。

 獨居自炊の東都と異なつて、めしの仕度をしなくていいのが有り難い。いやその気になれば臺所に立てもするのだが、實家の臺所は矢張り、母親の所有…といふか管理…といふか、兎に角さういふ場所であつて、お湯を沸かすとか、何か云ひつけられてとか、そんな場合でなければ、使ひにくい気分がする。それは勘違ひで、ただの無精ものだよと笑はれさうな気もするし、誤りとも云ひにくい。實家での不肖の倅の立場と気分はまあ、そんなものか。

 外で食べる…東都での獨り呑み…には興をそそられない。いや行きたくないのかと訊かれたら、必ずしもさうではない。但し獨り呑みには経験と経験に基づいた嗅覚…一種の勘が必要で、大坂といふ土地ではその持合せがない。わたしが大坂にゐるのは年にこの時期の半月程度だから、経験と嗅覚を磨く暇もない。これが興をそそられない理由の第一。併しそれより大きいのは、(ごく当り前に)家で喰ふめしが旨いからで、 母親の料理が果して名人藝の域なのかと云へば、決してそんなことはないのだが、ここは詰り舌に馴染んでゐるといふことかと解釈してもらひたい。

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 さういふ、大坂めし。