閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

422 旧い友人曰く

 過日、旧い友人と呑んでゐて、カメラの話になつた。以前なら、どこから出たあの機種は、と新製品について、ああだかうだと云ひあつたものだが、さういふ熱狂とは縁遠くなつた小父さんふたりである。

 「どうやつて、持ち出すカメラとレンズを最小限に纏めればいいか」

といふ事が中心であつた。兎にも角にも小さく軽く、ではない。たとへば家族を連れて旅行に出るとして、どんな組合せが必要を満たし、また十分なのかと、さういつた視点が必ずあつて、それはケース・バイ・ケースでもあるから結論には到らない。結論を出すのが目的ではないから、わたしも友人も気にはしない。とは云ふもののらわたしには旅行に連れて出たい家族がゐるわけではないから

 「やツぱり、小さいンが優先するやろなあ」

さう云ふと、友人が切り返すには

 「小さいンやなくて、愛機が慾しいンと、ちがふか」

愛機とはまたぬけぬけと云ふ。と思ひはしたが、うまいことを云ふとも思つた。確かに最新かフラグシップ機どうかは関係なく、手元で長く使ひたいカメラは慾しいもので、それを愛機と呼ぶのは決して誤りではない。

 さういふカメラは肴にもなる。

 卓の隅に置いて、散らちら眺め、或は手に持つて呑む。

 莫迦ばかしいと笑ふひとがゐても不思議ではないし、そこにあるのが指環やイアリングだつたら、苦笑を浮べるのはわたしかも知れない。我が讀者諸嬢よ、怒つてはいけない。貴女を美しく飾る物を笑つてゐるのではなく、物の見え方がちがふと云ひたいのです。それに指環やイアリングより、貴女の方が美しい。

 お世辞はさて措いて。

 たとへばコンテッサといふカメラがある。ツァイス・イコンが造つた機種。實際の使ひ勝手は兎も角、スタイルは確かに"伯爵夫人"と直訳したくもなる優美さで

 「ドイツ人てのは、大したものだ」

と思はせる。或はラトビア生れの極小カメラであるミノックスも美しい。貴族の優美ではなく、目的が明瞭な機械が持つ(厭な言葉だと思ひながら使ふのだが)機能美。どちらも酒の味を引き立てるのに相応しい。

 そこで我が國のカメラを振り返ると、すつと思ひ浮んでこない。ニコンのF3なんて實に優れた機種なのに、似合ふのは取材やロケイションの現場で、愛でながら呑むのは想像が六づかしい。烈しい労働の後の慰安なら判らなくもないけれど、たれかがF3を横に呑んでゐても、憐憫を感じこそすれ、羨望は覚えないだらうと思ふ。いや別にF3に限つた話ではなく、それがキヤノンEOS-1でも気分は変らない。ミノルタコニカペンタックスだつたら、微笑ましくは思つても、矢張り羨ましくはならなささうである。併しかう云ふと

 「カメラは冩すのが本來であつて、愛でられるかどうかは二の次である」

と正論をぶつけるひとが出てきさうで、それは尤もなご意見だとも思ふ。さういふ方向…實用一点張りと云はうか…に特化したのが我が國のカメラであつて、現行の機種にもその傾向は受け継がれてゐる。口惡くその殆どが労働の道具の範疇に収まつてゐると云つてもいい。ニコンキヤノンの最新型を、そのスタイルが綺麗だと思つて慾するものだらうか。

 勿論さういふカメラが使ひ込まれ、傷と手擦れだらけになり、塗装も剥げてゆくと、その草臥れ具合に感動する事はある。友人が使つてゐたニコンのFM10は何といふ事もないプラスチック・カメラだつたが、酷使され、擦り切れた姿は、フラグシップ機の新品より遥かに美しかつた。それを認めるのは吝かではない。吝かではないと云ひながら、それは併し結果的にさうなつたとも云ひたくなる。例外が無いのではない。オリンパスOM-1/2はその例外と云つてよく、設計者である米谷美久に乾盃を捧げたい。さう思へる理由は六づかしいものではなく

 「小さく、軽く、静かな一眼レフ」

といふ目的がはつきりしてゐて、その目的がスタイルに反映されてもゐたからである。かういふ機種は肴になるし、愛機にもなり得る。正確にはなり得た、か。令和のOM-1/2も見方によつては粋であるが、今から手に入れるのは見栄が先立つ感じがする。矢張り肴にするカメラは、使はうと思へる機種であつてもらひたい。使へないと愛機にはなれないもの。

 さてそこで、愛機にな(り得)る現行機種はあるのかといふ疑問が浮ぶ。直前までの流れなら、オリンパスのOM-Dになりさうな気配があるが、残念ながらさうはならない。あれは現在三つの系統を持つてゐて、それぞれ元のOMを意識しながら、異なるスタイルになつてゐるのが気に喰はない。ライカは幾つかの機種を併賣しつつ統一感を保つてゐるけれど、あれは愛機といふより愛玩物になり下がりさうである。

 ニコンキヤノンは既に書いた通り實用物の範囲。

 ソニーとフジは残念ながら手にしたいと思へない。

 残る希望はリコー・ペンタックスで、ここからは(一層)贔屓が含まれる。贔屓するのは好きだからで、他社なら手厳しく批判したくなる箇所も、リコー・ペンタックスでは愛嬌に感じる場合がある。いい加減だなあと呆れられても、贔屓とはさういふ感情だから仕方がない。

 現存するカメラ銘を見渡すと、ペンタックスは日本で最古の部類に入る。コニカやマミヤ、ゼンザブロニカは既に姿を消し、フジカはフジに、キヤノンはEOSになつた今、当初のブランドをそのまま残してゐるのは、外にニコンしか思ひ浮ばない。ニコンの場合は"世界の"ニコンになつて仕舞つたから、別のブランド名を立てられない事情(ニコマートはその失敗例になつたと思へる。ニコノスは"水中カメラ"といふ特殊性ゆゑ、例外としたい)があるだらうと想像出來るから納得がゆくとして、ペンタックスにその印象は薄い。裏を返して、タフな銘だと云へさうでもある。リコーがペンタックスを吸収する時、その名前を残す方針を決めたのはまつたく正しかつた。商賣の都合があつたのは容易い想像だが、歴史に対する敬意もあつたにちがひない。

 現行なのはフルサイズのK-1Ⅱ、APSのKPとK-70、それから中判の645Zの四機種。型番の附け方が判りにくいのは旭光學の頃からの惡しき伝統を受け継いでゐて感心しないが、645Zといふイレギュラーを除くと、スタイルがある程度、統一された感じがして宜しい。SFxで失敗し、Zシリーズで迷走し、MZ-5/3で盛り返しさうになつたのに、シリーズ後半で自滅して、デジタル一眼レフでも腰が坐りきらなかつたペンタックスが、やうやくLX以前の優れたスタイル(尤もMXやMEの頃、既に迷走癖の萌芽はあつた)を取り戻すのかどうか、そこは注視しなくてはならないが、このライン・アップなら、KPに広角系の単焦点レンズを一本撰べば、長く使ふに足る組合せになるだらう。問題は(レンズ次第ではあるにせよ)最小でも一キログラム前後になる事で、遥かに軽いマイクロ・フォーサーズですら、時に重さを感じるくらゐだから、一眼レフには手を出さない方が安心かも知れない。

 併しわたしにはまだリコー・ブランドがある。GRⅡ/Ⅲがそれで、先づ重さはざつと二百五十グラム。KP(レンズ附き)のほぼ四分ノ一。軽い。軽いだけでなく、KP同様にAPSフォーマットでもある。レンズは28ミリ固定だが、わたしの撮り方なら問題にはならない。ポケットは兎も角、鞄の隙間でもポーチでも入るから、持運びに苦心しなくてもよい。随分と以前にGRデジタルⅡ(もつと遡つてフヰルムのR-1sやGR-1vも)を使つた経験から、冩りに不満を感じないとは確信出來る。特筆したいのはGR-1とGRデジタルと現行のGRは、それぞれ何世代かを経てゐる中に、全体としてはつきりしたスタイルの共通項、即ち

 「コンパクトな筐体に、シャープで寄れる広角レンズを載せ、一貫したインタフェイスで纏めた」

を持つ。フヰルムからデジタルを同じ銘のまま、一貫性を保つてゐるのは、キヤノンのEOS kissとライカと思はれるが、GR系は派生機種…たとへばGR21、GX100/200、或はGXRでも、ほぼ同じインタフェイスを採用してゐる。かういふ例は、オリンパスPEN(但しフヰルム時代に限る)を除くと絶無であらう。これは最初に立てた方向が正しく、またその方向に添つた熟成と洗練を重ねる意志があつたからで、称讚に値する態度と云つていい。優れたスタイルと必要且つ十分な機能は常用に相応しい上、その後の酒席にもよく似合ふ。詰り愛機に最も近い。殆ど唯一の問題は、ひよいと買へる価格ではないから、"買つたはエエとして、使はンかつたら、勿体無い"さう思つてゐると、旧い友人曰く

 「それでも結局、買ふ事になるやろな」

悔しいが認めざるを得ない指摘である。