閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

421 はしご

 梯子で呑まうといふ話になつた。ニューナンブの頴娃君が多摩某所での酒席を予約したので、それに乗る趣向である。

 起床五時半。

 珈琲とヤマザキのロールケーキで朝めしとする。平日はこんな時間に起きるなど、ぜつたいに出來ないのに、人間の躰は不思議なものだなあと思ふ、便通二回。けふはそちらの心配はせずに済むと安心する。

 九時十二分中野發青梅特快。乗つてからお茶を持ち出し忘れた事に気附く。今さら遅い。

 ぼんやり窓の外を眺めると、吉祥寺驛の近くで"ソープランド"の安い看板が目に入る。商賣になるものだらうか。立川驛を過ぎ、中神驛で"スナック乙ひめ"の看板。"乙"には括弧書きで"おと"と書いてあつて、親切なのか莫迦ばかしいのか判らなくなる。

 

 九時四十八分に拝島着到。頴娃君と合流。受付を済ませ、十時半から石川酒造の見學。総勢十名の客を迎へる担当はハタケヤマさん。いきなり[純米無濾過]を味はへる。ハタケヤマさんは外の藏の銘柄や葡萄酒まで話題にして、多滿自慢を中心にしたお酒案内の趣きを呈す。少々マニヤックな質問が出てもうまく捌いたのには感心する。

 試飲。時間内呑み放題になつてゐて一驚する。

 [多摩の慶](中庸)

 [あらばしり](甘酸)

 [かめぐち](酸甘)

 外に大吟醸山田錦由來の焼酎を用ゐたといふ梅酒。石川酒造は甘みと酸みを重視してゐるさうで、[あらばしり]はデザート・ワインのやうな風味であつた。利き猪口をお土産にもらふ。何度か通ふと徳利やお酒がお土産になるさうで、お客のひとりがそのお酒をもらつてゐた。羨ましいなあ。

 

 拝島驛まで歩きながら、セミ・ファイナルが予想外に盛上つたプロレスのやうだつたなあと話をした。石川酒造の建物は文化財に指定される程度まで古いのに、藏から驛までの道は当り前の寂びた町並み。

 十三時二分に拝島驛發。青梅驛を経由して沢井驛。

 利き酒一ぱい。[亀口]を味はふと、石川酒造の[かめぐち]と異なり、微かな渋みが感じられた。そこで以前に約束してゐた猪口を頴娃君に渡し、メイン・イヴェントの会場に入る。

 

 普段は顔を見せない女将さんが挨拶に立つ。通例は會長なのだが、お嬢さんが翌日、挙式されるゆゑとの事。集つた六十人余は一斉に拍手。芽出度い。その會長は後刻登場。お祝ひを云ふと応じて曰く、"娘の結婚で涙を見せるわけにはゆきませんねえ"…本当か知ら。

 諸般の事情があるから詳しくは書けないが、料理は例年の如く美味。特筆すべき一品は無かつたのは残念だけれど、うまいお酒があつてまづく感じる道理は無い。

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 隣席にゐたのは息子と同道した七十五歳の爺さん。埼玉二科展に属して、七回の入撰があるといふから驚いた。そのくせ、冩眞の原理的な諸々を知りたがる。プリントは全紙が基本だからと、知つておきたいのださうだ。勉強熱心なのは素晴らしいとして、正確に答へられなかつた。少し計り耻づかしかつた。

 お開きの後は速やかに羽村の常宿(と云つてもビジネス・ホテルである)まで移動。ひと風呂浴びてから、お弁当と餃子をつまみに、ヱビス・ビールを二本。ニューナンブにしては珍しくお酒までは呑まずに就寝とす。

 

 起床七時。小雨。窓の外が寒さうである。

 朝めし。ヱビスを一本。澤乃井[特別純米]の五寸壜(二年程前から酵母を変更したさうで、これが中々うまい)早鮓にチーズ。白菜のお漬物。お刺身三種。綺麗に平らげてからチェック・アウト。ロビーで合流した頴娃君の巨大なバックパックを見て、失礼とは思ひつつ、笑つた。本人曰く、"いつでもコソボに行ける"さうで、たかが一泊二日には大袈裟ではあるけれど、確かに説得力はある。

 青梅線に乗つて拝島驛まで同道した。車内で次回以降の計劃について、漠然とした話が出た。大きく云ふと

 ・羽村一泊二日…特に二日目の充實。

 ・山梨の葡萄酒藏襲撃。

 ・茨城の鮟鱇(と鮭)をば満喫。

の三つ。時節を考慮しつつ、曖昧を具体的へ練り上げるのは後日の樂みに取つておくとした。さよならを云つて帰宅し、珈琲を飲んだら、えらくぐつたりした感じになつた。梯子の昇り降りに必要な体力が、随分と少なくなつてゐるらしい。