閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

423 好事家の玩具

 ニコン1といふカメラがあつた。訓みはニコン・ワン。ニコワンなどと省略されもしましたな。一インチのセンサーを採用したレンズ交換式のミラーレス・カメラで、ニコンでは"レンズ交換式アドバンストカメラ"と称した。何故だかはよく判らない。最初に上位機種のVと主力のJが用意され、後に下位機種のSが追加された。過去形で書いてゐる通り、今はすべての機種の生産が終つてゐる。

 これはもう伝統と呼ぶしかないと思ふのだが、ニコンは流行に乗るのが遅く、乗り方も下手糞である。ことに流行を意識した、所謂中級機以下に位置附けられるカメラはほぼ、失敗してゐると云つていいのは不思議なほどで、何かわたしの知らない奇妙な規則があるのかと疑はしくなつてくる。冒頭のニコン1も

 「世の中ではどうも、ミラーレス・カメラとかいふのが賣れてゐるらしいぞ」

 「乗り遅れてはならん。造らねばなるまい」

といふ会話があつたかどうかは兎も角、開發の切つ掛けはそんな程度でなかつたらうか。最初のVからは"新しいカメラを造るのだ"といつた気概が感じられなかつたし、最初のJは好意的に云つてもコンパクト・デジタル・カメラの変型であつたから、慾しいとか興味を惹かれるとか感じる前に

 (ニコンは何を考へたのだらう)

頚を傾げざるを得なかつた。率直に云へば、無定見な開發だつたと思へたし、今もさう思ふ。Vの新型…V2で、スタイルをがらりと変更したのは、その傍証になるだらう。開發前の方向性が曖昧でなければ、ああいふ激変は起らない。Jが幾分ましに見えたのは、コンパクト・デジタル・カメラから転用した分、不自然さが少く感じられたからに過ぎない。

 一インチといふ小さなフォーマット(ニコンではCXサイズと呼んだ)なのだから、ボディもレンズも小さく、軽く出來る。その小ささ軽さをどう使ふか。たとへば

 出掛ける時に、ひよいと持ち出せる。

 気が向けば素早く撮れる。

 序でにレンズだつて気樂に交換出來る。

 さう考へたら、インタフェイスは自動的に導かれさうなものだし、撮つた冩眞が印刷に使へ、Webなら問題の無いシャープさだつたら、文句は出にくかつたのではないか。さういふ軽やかな樂みを提案出來る切つ掛けになれた可能性を、あやふやなまま、然も生眞面目に造つたものだから、あやふやなままで、値段だけは従來のニコンといふどうにも評価が六づかしい機種になつて仕舞つた。

 この辺を巧妙に対処したのがペンタックスQで、"手乗り一眼"は自称だつたか渾名だつたか、記憶は曖昧だが、思ひ切つて小さなセンサーを採用して大方を煙に巻いた。所詮はコンパクト・デジタル・カメラ画質といふ批判はあつたが、Qシリーズの立ち位置は"冩眞も撮れる一眼(レフ)カメラのミニチュア"だつたから、それは的外れな見立てと云へる。些か口惡く、好事家の玩具と纏めてもまあ誤りにはなるまい。さうさう。"好事家の玩具"は褒め言葉の積りなので念の為。

 ニコワンに戻りませう。前段でわたしは、ニコンが何を考へたのかと疑念を抱いたと書いた。併しその一方で少々の期待を感じたのも事實で、それは

 「もしかするとEMになるかも知れない」

と思つたからである。ニコンEMと云つて、直ぐに判るひとは少いだらうか。F3と同時期に出た絞り優先自動露光専用の小振りな一眼レフ。専用のフラッシュとワインダー、それにニッコール銘ではなく、シリーズEの銘でレンズを用意した(マウントは従來のFバヨネットだが)ミニ・システム・カメラであつた。ニコン史を俯瞰すると異様な厚遇で、流行に乗つた中級機が下手なニコンの稀有な例外と云へる。ことにフラッシュとワインダーを附けた姿は實に綺麗なもので、F3同様にジウジアーロが関はつたさうだが、この一点でキヤノン・コラーニもペンタックス・ニューソンも、かれには到底及ばない。

 さて。何故EMを期待したかと云へば、ニコン1が、Fバヨネット・マウントではないカメラだつたからといふ、理窟の通らない理由。獨自のマウントを採用した、獨自のミニ・システムを作れるんではないかと考へたと、無理をすれば云へなくもない。それなら好事家の玩具でなくても納得する。残念ながらニコワンは最後まで中途半端な新機種を出し續け、その期待は無に帰したけれども。グリップとEVFを外附けにしたV3(V系の最終機)で

 「完成への道筋が立つたか」

思つたのに。尤もそのV3も、同じなら自社の別機種を買ふ方がいいと感じさせる値段設定だつたから、熱心には弁護しにくい。現行機の頃はさうだつた。

 散々厳しい事を書いたので、ここで掌を返すと、ニコワンは今になつて、ちよつと惹かれる機種である。ニコンのひとには申し訳ないが、世の中には中古にならないと魅力を發揮しきれないカメラがあるものだ。適切な価格…詰り、廉い。開發が終つてゐるのもこの場合、新製品に惑はされずに済む利点に変る。もつと云へば"好事家の玩具"に(やうやく)転じたわけで、わたしならV2に10mm f/2.8を組合せる。いづれも白…プラモデルみたいだからといふ莫迦ばかしいでさう考へてゐる。ステッカーを貼り、派手なストラップを附け、頚からぶら下げて用も無いのに近所を歩き回りたい。念の為にニコンのサイトを確かめると、V2には

◾️別売りアクセサリー・付属品

https://www.nikon-image.com/products/mirrorless/lineup/v2/accessory.html

◾️システムチャート

https://www.nikon-image.com/products/mirrorless/lineup/v2/system_chart.html

があり、10mm f/2.8にも

◾️別売りアクセサリー・付属品

https://www.nikon-image.com/products/nikkor/1mount/1_nikkor_10mm_f28/accessory.html

があつた。かういふのもあはせると、傍からは

 「何だか趣味の惡いカメラを持つてゐるひとがゐるぞ」

きつとさう思はれるだらうが、さういふ使ひ方をしたいのだから気にはならない。寧ろ用心したいのは、眞面目で熱心なニコン愛用者から、ミラーレス・ニコンなら

 「Zを買ふべきだよ、君」

と叱られる事で、まことに尤もではある。ただあちらは未だ"好事家の玩具"には到つてゐないからなあ。