閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

512 面妖な麺麭

 確証を得たわけではないからその辺りはさて措くとして、昭和廿七年、東京荒川は南千住の某店生れが有力なのだといふ。コッペパンと焼そばを賣つてゐたところ、お客から

 「面倒だからサ。麺麭に挟んでサ。一緒にしちやつてヨ」

と註文を受けたのが始まりといふが、本当か知ら。

 第一に何がどう面倒なのか、よく解らない。焼そばをおかずにコッペパンを食べる積りかと思つても、そんなら馬手に焼そば弓手コッペパンで、お箸が持てない。だから面倒とかどうとかの話ではない。

 第二にはその数年前…正確には昭和廿三年に東京は銀座の洋食屋で生れたカツカレーに、そつくりの誕生譚があるからで、こつちには大物が登場する。当時ジャイアンツで花形撰手だつた千葉茂がその大物で、とんかつとカレー・ライスを

 「別々に喰ふのは面倒やけン、一緒にしてもらへんかの」

さう求めた…千葉は伊豫のひとだからかう書いたが、かれが實際訛りが残つてゐたかどうかは保證しませんよ…のが切つ掛けだからゴシップとしても格がちがふ。そのゴシップを眞似たとは云はないが、さうだつたとしても責めるには値しない。物事の始りの伝説を創始説話と呼ぶのは、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にもご存知でせう。あれには大物が不可欠で、たとへばペシェ・メルバもさうである。ネリー・メルバと彼女にデザートを供したオーギュスト・エスコフィエについて触れる余裕は無いのだけれど。

 何の話をしたかつたのか知ら。

 さう。焼そばパンの話だつた。

 妙といふより面妖と云ひたくなる食べものである。

f:id:blackzampa:20201006123317j:plain

 大体からして(コッペ)パンに焼そばを挟まうと思ふだらうか。伝説が正しければ、少くとも南千住にはひとり、さう考へた人物がゐたことになるけれども、寧ろ某店の親仁が賣れ残つた焼そばを

 「どうにかしなくちやあ、な」

頭を捻つた結果と想像する方が自然な気がする。大正の初期に完成を見てゐた日本生れのコッペパンは元々、兵隊の糧食として主に扱はれた。國内で大きく流通を始めたのは學校給食に採用されてからで、焼そばパンの創始説話の時期とほぼ重なる。といふことは、南千住や荒川に限らず、コッペパン自体がそこまで一般的とは云へなかつたのではないかと想像出來て、そのコッペパンと焼そばを組合せる發想が市井の一人物の頭に浮ぶものだらうか。南千住の阿仁さんが兵隊の頃、コッペパンの配給を受けてゐたなら、話は少しちがつてくるにしても。

 ところで我われのご先祖は、饂飩や蕎麦…麺類と、めしを一緒に食ふ習慣を持つてゐたのか知ら。あくまで印象として云ふのだが、歴とした饂飩屋蕎麦屋でめしをあはすのは、何となくをかしい気がされる。勝新太郎演じる座頭ノ市は饂飩や蕎麦を無闇に啜つたひとだが(これがまた旨さうなのだ)、かれがあはせるのはお燗の徳利程度で、かやくめし太巻きも稲荷寿司も(序でに天麩羅だつて)隣にはなかつた。

 「なんだ。たかが時代劇ぢやあないか」

と笑つてはいけません。映画の説得力は、案外かういふ細かいところに潜んでゐる。神は細部に宿り賜ふとも云ふではないですか。それにものの本に何冊か目を通しても、種に様々な工夫を凝らしてはゐるが、月見饂飩に菜飯なんていふ"セットもの"はなかつたらしい。であれば、焼そばに麺麭を組合せるのは、麺食の伝統にもあはないことになる。

 にも関らず、焼そばパンはその登場から半世紀余り、人気を保ち續けてゐる。

 だつてうまいからね。

 さうか知ら。まづければ姿を消してゐる筈だから、まづかあないのは確かでも、三日に一ぺんは食べないと、落ち着かないんですよ、あたしやあね、なんて云ふひとはゐないと思ふ。三ヶ月とか半年とかに一ぺんくらゐ、不意に

 「世界には焼そばパンがあつたな。さういへば」

と頭に浮んで、コンビニエンス・ストアやマーケットに行つたついでにおやつ代りに買ふ程度。それで久しぶりだなあと思ひながら食べても、まあこんなところですなで終つて仕舞ふ。同じ麺類を用ゐるナポリタン・パンなら、ここまで素つ気なくならない。

 このちがひは何に由來するんだらうと考へるに、我らがコッペパンがあまいからではなからうか。ナポリタンのケチャップ味…イタリー人は怒髪天を衝くだらうが、ジャポネーゼ流だから諦めてもらふ外にない…は兎も角、焼そばのウスター・ソースと紅生姜とコッペパンの甘みは、相性が惡い…少くとも不釣合ひだと云はざるを得ないよ。ならバゲットだつたり、ハンバーガー用の麺麭を使ふのはどうだと思つても、今度は麺の軟らかさとあはなささうな予感がする。

 とは云へ繰返すが、今の焼そばパンはまづいとまでは思へない。思へないから不意に、世界には焼そばパンがあつたと浮んできて、うつかり買ふこともある。面妖なと云ひたくなる所以で、ここまで書けば我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にも納得してもらへるだらう。またここまで書いて、その焼そばパンに何かを追加したことがないのに気が附いた。カレー粉をほんの少し振つて、スライス・チーズの一枚も乗せて温めれば、ひよつとして

 「焼そばパンも、捨てたものぢやあ、ないねえ」

感心出來る可能性はある。南千住に行けば、ありつけるだらうか。さういふ"変り種"は、もしかして既に試し尽してゐるかも知れないけれど。