閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

527 つき出し考

 呑みに行かうと思ふ時、重視するのは肴…つまみが旨いことで、まあ、当り前と云へば当り前の話でせうな。お酒の品揃へがもうひとつでも、つまみが旨いお店なら、お酒の味もよろしくなるといふものだ。

 

 そこで好きな店、詰りつまみの旨い店を幾つか思ひ出してゆくと、ひとつの共通点があることに気が附いた。勿体振らずに云ふと、いづれもつき出しがいい。凝つたものを出すわけではないにしても、きちんと手は掛つてゐる。

 

 たかだか、つき出しぢやあないの。

 そこまで神経質にならなくてもね。

 と肩をすくめるひともゐるだらうが、それは些か淺薄な態度だと云はなくてはならない。つき出しと呼ぶから軽んじて仕舞ふので、最初のつまみと理解すれば、侮るのは誤りだと気が附くのではないかと思はれる。

 

 つき出しが佳ければ、つまみにも期待が持てる。

 

 厚揚げと鶏肉をさつと煮た小鉢。

 ポーチド・エッグ風に仕立てた卵に温かいマヨネィーズのソース。

 酸つぱい林檎を入れた雪花菜のサラド。

 

 取急ぎ記憶の棚から引つ張つたつき出しを挙げてみたのだが、どうです、どれも旨さうでせう。實際うまかつたし、かういふのを最初に食べれば、さて次は何を呑み、何を食べるかと考へるのが樂みになる。この樂みになるといふのが大事で、愉快なお酒へと誘惑…訂正、誘導するのが、つき出しに求められる本來だと、そろそろ我われは理解したい。こんな風に云へばきつと

 つき出しにはお金を払ひたくない。

 あれはただの無駄だよ。

 と反論が出るのは容易な想像で、一面の正しさは認めてもいい。その程度のつき出ししか用意しないお店は珍しくないし、寧ろ多いかも知れない。但しその批判は、その程度のつき出しを押しつけてくるお店に云ふことでせう。

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 ここで上の画像をご覧なさい。極端な例なのを承知で云ふと、これもつき出しである。ここまでくると、一品料理と呼びたくなる…お店の大将曰く、"かういふのをつまみながら、ゆつくり呑んでほしい"さうである…が、批判派はそれでも無駄だと主張するのか知ら。仮に同意を示すならば、我われは

 「お金を払ふに値する、愉快なお酒に誘導してくれる、うまいつき出しを作つてもらひたい」

と言葉を續ける必要がある。でなければ呑み助(貴女やわたしのことですよ、念の為)にとつて、多大な損失になる。いやわたしは本気なのですよ。普段なら自分から食べないものが出て、それが旨いと知る機会になる(わたしの場合、明太子をほんのり効かせたポテト・サラドがさうだつた)…可能性があるのは嬉しいではないか。その期待の為には、凝らなくても手を掛けたつき出しを用意するお店が断然、必要になつてくる。理窟の通つた話だと思ふが、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には如何だらうか。