閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

543 余程の愛好家か研究者の

 先日ラヂオを聴いてゐると、関西圏のお雑煮は(白)味噌仕立てが主流だといふ話が出かたら驚いた。大坂の家では昆布のお出汁を使つた清し仕立てだからで、我ながら単純な理由だと思ふ。とは云ふものの、東西に関らず、お雑煮を外で食べる機会なんて、余程の愛好家か研究者でもない限り、持たないのではないだらうか。

 

 ざつと調べたところ、雑煮の意味は"雑ゼテ煮ル"に由來するといふ。平安期には既に原型と呼べさうな料理が出來てゐたらしい。但し"雑煮"の文字が残るのは十四世紀半ばの『鈴鹿家記』で、"雑煮御酒被下"と記されてゐるさうだ。現代で云ふお雑煮のやうな食べものだつたかは解らない。

 尤も"現代で云ふ"お雑煮がどんなものか、ここもはつきりしないのが實情である。共通するのは、お椀に汁を張つて、お餅を入れることくらゐで、残りは地域の伝統や風習、家庭の好みと工夫に依存してゐる。千年の歴史を持ちつう、かうまでばらばらなままの料理も中々少さうな気がする。確めたわけではないけれども。

 

 母親の友人が新潟にお住ひで、年末になるとお餅を送つてくださる。どこかで贖つてをられるのだらうそのお餅がたいへんにうまい。越ノ國の米事情に詳しくはないが、当り前に入手出來るお餅がうまいのだから、贅沢な土地なのだらう。きつと煎餅やあられもうまいにちがひない。羨ましい。

 その新潟餅でお雑煮を仕立てるのが、大坂での年始の慣はし…だからなのかどうか、お椀は菜つ葉の切れ端が浮ぶ程度の無愛想さである。不満を云つてゐる積りはなく、お餅が相応に旨ければ、後は出汁をきちんと取るだけで済む。簡単だと云へるかと訊かれたら、そもそも旨いお餅を手に入れるのが六づかしいし、眞面目に出汁を取りたければ、昆布でも鰹節でも撰ぶ目が求められる。矢張り六づかしい。

 

 堅苦しい話はしますまい。

 

 無愛想…訂正、簡素なお雑煮こそ本道だと云ふ積りは毛頭ない。大きなお椀にあれやこれや、豪勢な種を誂へたお雑煮があるのは知つてゐるし、食べてみたいとも思ふ。

 だつたら食べればいいでせう。

 さう云はれるのは予想出來て、またその通りでもある。鮭でも鰤でも鶏肉でも、人参や里芋でも、好きに入れて大椀に盛ればいいのだから、面倒ではあつても六づかしくない。六づかしくはないとして、併し正月元日…三ヶ日でないと落ち着かない。三ヶ日以外に食べた記憶が無いから、落ち着かない気がする、といふのがより正確か。玄冬の時期ならいつでもよささうなのに。

 ごく簡単に考へると、お餅の背景には"ハレ"の気分が濃厚にある。糯米を蒸して撞いて形を調へる行程は、手間が掛るのは勿論、道具や燃料の点から見てもかなり贅沢な食べものだつた筈で、小腹が空いたからといつて、気樂にお餅を食べられはしなかつたらう。年の始め、御來光に手をあはせ、若水を汲んで用意したお出汁にお餅を浮べるのは、せいせいした気分…寧ろ厳かな心持ちであつたかも知れない。

 

 同じ汁椀でも粕汁や豚汁とは格がちがふ。

 

 などと云つたら、粕汁の愛好家と豚汁の信者から烈しい非難を浴びるだらうとは、容易な想像である。気持ちは解る。粕汁にお酒、豚汁に焼酎ときたら、我われが望み得る最高の組合せだもの。お餅を入れたつて美味いにちがひない。

 併しである。併しことが正月元日となれば話はちがつて、そこはお雑煮でなくては締らない。お餅入りの粕汁乃至豚汁は旨いと確信出來ても、儀式的な悦びには欠けるだらうと思はれる。粕汁や豚汁のお雑煮なら話は異なるだらうが、さういふ仕立てがあるのかどうか。

 儀式が嬉しいわけはないよ。

 と感じるのは、儀式と形式を混同してゐるからだと思ふ。わたしが云ふのは、古刹に入ると背筋が伸びるやうな快く引き締つた心持ちになるでせう、あれに近い。お雑煮とお屠蘇は新年最初の飲食なのと同時に、冬の王の死と春の王の誕生を願ふ神事…神事の破片でもあると指摘すれば、旨いまづいとは別に、その格の高さは何となく解つてもらへると思ふ。尤もこのお雑煮神事説は、たつた今考へたことだから、正しさの保證はしない。余程の愛好家か研究者のご教示を待つ。