閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

544 未知の美味ではないにせよ

 過日ふと天麩羅饂飩が食べたくなつた。

 我ながら少々めづらしい。

 饂飩の種ものとして見ると、油揚げや卵やとろろ昆布に較べ、天麩羅の地位は低い。

 まづいとは云はないが、天麩羅の油つぽさは、饂飩との相性がよくないと感じられる…なので饂飩を食べる場合、天麩羅は積極的に撰ばない。

 併しである。

 東京風の蕎麦に掻き揚げを乗せたのはうまい。

 三行前、批判的に書いた"油つぽさ"も、あの色濃いつゆにあはせると、あくのきつい役者同士が噛み合つた芝居のやうに思へてくる。

 であれば、東京風の饂飩と掻き揚げの組合せだつたら、うまいのではあるまいか。

 などとはつきり考へたのではなく、ふと思つただけの話なので、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にはその辺りをひとつ、ご賢察願ひたい。

 

 うでた饂飩を丼に。

 掻き揚げを乗せる。

 つゆを掛けまはす。

 最後に葱を加へる。

 

 それではいお待ち遠さまと出てくるまで、二分も待たなかつたから、お待ち遠さまはをかしいと思つた。

 気にはしますまい。

 掻き揚げがえらく分厚くて、少々手古摺つたが、三分ノ一くらゐ齧つて、衣から滲んだ油の浮いたつゆと一緒に饂飩を啜つたら、思つてゐたより適ふ…まあ蕎麦に較べれば、一歩及ばないにせよ。

 何故かと考へるに、天麩羅…掻き揚げと蕎麦は江戸人が洗練さした食べものである、相性の佳さで饂飩に勝るのは、寧ろ当然の話であつて、首を傾げる必要はなからう。

 それでも、未知の美味とまではゆかないが、中々やるねえと云ひたくなる程度にはうまく思へた。

 詰り天麩羅…掻き揚げ饂飩もさう軽く見てはならぬといふことであつて、味覚といふのはいい加減なものだなあ。

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