過日ふと天麩羅饂飩が食べたくなつた。
我ながら少々めづらしい。
饂飩の種ものとして見ると、油揚げや卵やとろろ昆布に較べ、天麩羅の地位は低い。
まづいとは云はないが、天麩羅の油つぽさは、饂飩との相性がよくないと感じられる…なので饂飩を食べる場合、天麩羅は積極的に撰ばない。
併しである。
東京風の蕎麦に掻き揚げを乗せたのはうまい。
三行前、批判的に書いた"油つぽさ"も、あの色濃いつゆにあはせると、あくのきつい役者同士が噛み合つた芝居のやうに思へてくる。
であれば、東京風の饂飩と掻き揚げの組合せだつたら、うまいのではあるまいか。
などとはつきり考へたのではなく、ふと思つただけの話なので、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にはその辺りをひとつ、ご賢察願ひたい。
うでた饂飩を丼に。
掻き揚げを乗せる。
つゆを掛けまはす。
最後に葱を加へる。
それではいお待ち遠さまと出てくるまで、二分も待たなかつたから、お待ち遠さまはをかしいと思つた。
気にはしますまい。
掻き揚げがえらく分厚くて、少々手古摺つたが、三分ノ一くらゐ齧つて、衣から滲んだ油の浮いたつゆと一緒に饂飩を啜つたら、思つてゐたより適ふ…まあ蕎麦に較べれば、一歩及ばないにせよ。
何故かと考へるに、天麩羅…掻き揚げと蕎麦は江戸人が洗練さした食べものである、相性の佳さで饂飩に勝るのは、寧ろ当然の話であつて、首を傾げる必要はなからう。
それでも、未知の美味とまではゆかないが、中々やるねえと云ひたくなる程度にはうまく思へた。
詰り天麩羅…掻き揚げ饂飩もさう軽く見てはならぬといふことであつて、味覚といふのはいい加減なものだなあ。