閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

622 小さなカメラの大きな宇宙

 ミノックスといふラトビアはリガで生れたカメラがある。カセットに入つたフヰルムを使ふミニチュア・サイズ。旧式のスパイが、背広の内ポケットに隠し持つてゐるやうな大きさと云へば、ミニチュア・サイズの想像が出來ると思ふ。

 開發は大変だつたらしい。ライカ判に対して、使ふフヰルムの面積が一割強。普及型のコンパクト・デジタル・カメラより少しましな程度の大きさ…小ささといふ條件が、すべての原因である。

 かう云つても、我が若い讀者諸嬢諸氏は首を傾げるかも知れない。なのでもうひとつ、最初のミノックスが完成したのは、昭和十一年から十二年に掛けてで、それはライカ最初の機種の販賣から、たつた十年後だつたと云つておきたい。

 八十五年前のフヰルムが、どの程度だつたか。低感度と低品質を兼ね、頗る扱ひにくかつたにちがひない。第一当時はライカ判すら、"極めて小さな"フヰルム・サイズと見做されてゐた。そこでライツ社は

 ・描冩が優れた明るいレンズ。

 ・スロー・シャッター。

 ・現像とプリントと引伸し機器の充實。

この三点に注力した。目を附けたところ、ことに最後がまつたく冩眞好きのそれだと感心させられるが、これらに注力しなくてはならないほど、ライカは"特殊な"カメラであつた。

 さ。それより遥かに小さなミノックスを作るにあたつて、相似系の苦心が無かつたと云へるだらうか。と云ふのが反語なのは勿論で、どう考へても、ライツ社以上の苦心惨澹があつた筈である。

 フラッシュの取附け器。

 三脚。

 ウェイスト・レヴェルのファインダ。

 専用の現像タンクは元より、複冩用の四脚(使ふ場面があつたのだらうか)まで用意しなくてはならず、その大きさはフヰルムのサイズ、カメラの大きさと形状に制限され、ライカの眞似…流用も出來ない。賣れる、少くとも一定の需要はある、と確信しなければ、開發は進められなかつたにちがひないし、その讀みは正しかつた。實際、アメリカとソヴェトの関係が険惡極まりなかつた頃、アメリカのスパイが、ミノックスでソヴェトの書類を盗んだといふから、さういふ用途に適してゐたと云つてよく、スパイも使へる性能だつたとも考へていい。

 翻つて我が國のカメラに、かういつた武勇は無い。昭和十年代にあつた國産冩眞機は、小西六の手提暗函程度の代物だつたから、好意的に云つて黎明期、有り体に云へば原始時代であつた。ジェイムス・ボンドが活躍出來た頃に到つても、日本人スパイが某國に潜入して、秘密の書類をどうかうしなくてはならない状況は無かつた。日本でスパイ小説が成り立たなかつたのも宜なるかな

 

 併しライカ風…いやここではミノックス風と呼ばう、そのミノックス風の広大なアクセサリ群は、實際的にも物慾をそそる意味でも刺戟的だつた筈で、我われはオリンパス聯想しなくてはならない。

 ここで云ふオリンパスはフヰルム・カメラの頃を指してゐて、それもPenの方…となれば、どうしても米谷美久の名前を出さざるを得なくなる。何かのインタヴューで讀んだ記憶だと、ライカを振り回す道樂息子だつたらしい。

 かれの場合、撮ることと現像やプリントは直結してゐて、必要なものが賣つてあれば買ふ。さうでなければ工夫するといふ習慣があつたといふ。カメラを設計する立場になつて、その習慣に目を瞑つたとはとても思へない。

 そこでPenを見ると、あの大衆的なカメラには不釣合ひなほどアクセサリが充實してゐるのに一驚を喫する。

 フヰルタやフード。

 フラッシュとその取附け器。

 複冩用の四脚。

 リバーサル・フヰルムのマウントにプロジェクター。

 顕微鏡に取り附ける為のアダプタまであつたのはびつくりした。昭和の御門はオリンパスの顕微鏡を愛用されたさうだが、まさかこれで學術冩眞を撮られたのではあるまいな。

 想像するに米谷はPenを考へる中で、何をどう撮るかだけでなく、撮つた後のことまで考へてゐたにちがひない。

 詰り最も正しい意味でのシステム・カメラ。

 その考へに一ばん影響したのがライカと推測するのは、疑念の余地は無い。

 ところで当時のカメラを思ふと、Penは言葉通りにコンパクト・サイズであつた。その大きさ…寧ろ小ささに相応しいアクセサリを用意する際、ミニチュア・カメラの大先輩であるミノックス(米谷は当然、知つてゐただらう)を意識しなかつたとは考へにくく、その思想…といふ言葉を軽々しく使ふのが感心しないのは判るけれど…は同じPenの一眼レフ版であるPen Fに引き継がれ、ライカ判一眼レフのOMが、"宇宙からバクテリアまで"と宣言するに到つて完成した。それはライカに始まり、ミノックスが拡げた、"小さなカメラが作る大きな宇宙"が持ち得る可能性の完成でもある。

 

 ここまで書いたのは物慾の云ひわけで、詰りわたしは(妙な云ひ方なのは承知してゐる)ミノックスやPenを尊敬してゐる。ヴァルター・ツァップや米谷美久への尊敬と云つてもいい。とは云へ残念なことに、今からミノックスは元よりPenも常用するには少し無理がある。使はない、または使へないカメラには手を出さない。これがわたしの大原則(いや一ぺん、ニッコール附きのゼンザブロニカを買つたことがあつたな)だが、惹かれるのは事實でもある。その惹かれる要因は間違ひなく、(本体よりも)膨大なアクセサリ群であつて、我ながら困つたものだと思つてゐる。