閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

419 半分

 ハーフ・サイズのカメラと云つて、直ぐにあのカメラと応じられるひとは少くなつたのではないかと思ふ。35ミリ・フヰルムを用ゐ、冩せる面積はその半分。単純に一本のフヰルムで撮影出來る枚数が倍になる。昭和卅年代だからわたしが生れる前に大流行したといふ。

 流行の理由を考へるに、第一に当時は高額だつたフヰルムで、たくさん撮れるといふ事。第二には普通のカメラに較べて非常に廉だつた事。第三には持ち出すのに苦痛を感じない大きさ重さだつた事。更にややこしい理由は省くが、失敗しにくい性格であつた事(今では信じ難いが、撮影にはある程度、冩眞についての知識と経験が求められてゐたのである)を挙げればいい。

 35ミリのフヰルムを使ふカメラの歴史を俯瞰して、個人にその栄誉を帰せられる例はごく少いが、ハーフ・サイズ・カメラはその稀な例で、オリンパス米谷美久とはつきりしてゐる。有名な逸話を記しておくと、新人の技術者だつた蒔田に出された課題が

 「六千円で賣れるカメラ」

であつた。『往年のオリンパスカメラ図鑑』(枻文庫)によると、当時の廉価なカメラでも二万円以上はしたさうだから、相当に無理のある課題であつた。おそらくオリンパスは期待してゐなかつただらう。さういふ條件で設計の技術を磨き、また工夫をさせるのが目的だつたと想像する方がなだらかな気がする。谷青年が考へたのは、部品を減らしてコストを抑へる方法で、中でもギアを減らす事に力を注いだらしい。前記"図鑑"には

 フィルム室と巻き上げ軸のギアに、巻き上げ用のノヴを組み合わせることで、最低限の枚数でこれをクリア。さらにフィルムカウンターも36歯のギアと35歯のギアを組み合わせることで、確実に1コマづつカウンターを進めるシンプルな構造を考案した。

と書いてある。何だかよく判らない。判らないがどうやら、従來は別々になつてゐたギアをひと纏めにして、動作を兼用させたらしいと想像は出來る。機械式カメラを廉に造るには材料費を削るしかないし、材料費を削るには質を下げるか少くするかだらうと考へれば、讚州生れの若ものの判断は妥当すぎるほど妥当であつた。そこはいいとして、では何故ハーフ・サイズといふ撰択になつたのだらうか。

 これは米谷自身が冩眞愛好家だつたのが、密かに影響してゐると思へる。技術者になる前からライカを振り回してゐたさうだから、相当の数寄者といつてよく、さういふ男が

 「いつでも持ち歩けて、どんどん撮れる」

カメラを求めたとしても不思議とするに足りない。極論すれば米谷が作つたペンと呼ばれるカメラは、かれの冩眞に対する慾求を満たす為のもので、それが他社を巻き込む流行になつた(キヤノン・デミ、リコー・オートハーフ、コニカ・レコーダー、フジカ・ミニ。ミノルタヤシカにペトリ。ペンタックスだけは出さなかつたと記憶する)のは、その慾求が偶々、大衆カメラの指向と合致したからと見ても、的外れにはならなささうな気がされる。

 尤もその流行は精々十年足らずの筈で、フォーマットのひとつとして確立はしなかつた。その後110にAPSといふ矢張り小さなフォーマットが出たが、どちらも短期間で消滅してゐる。35ミリ・フォーマットが"冩眞の一般的且つ基本的な大きさである"といふ認識、でなければ思ひ込みは余程つよいらしい。

 平成が終り、昭和も遠くなつた令和の現在、フヰルム式のカメラを使はうといふのは、道樂の一種である。フヰルムそのものの入手が限られてゐるし、現像やプリントにもお金と時間が掛かる。

 「そんなだつたら、スマートフォンで撮る方が余つ程速いし、確實でもあるね」

といふ考へ方は間違ひではないが、それは合理的な側面から間違ひではないだけで、道樂の目で見れば話は異なる。こちとら遊びなんだぜ。

 さう考へた時、(種類は少いとしても)フヰルムを存分に樂む玩具として、ハーフ・サイズのカメラは注目に値する。フヰルムの高額化は頭、いや財布の痛い問題だが、そこで倍の枚数が撮れるのは利点になる。更に云へば昭和卅年代に較べると、フヰルムの質は劇的に向上してゐるから、フォーマットの小ささはマイナスにならない。卅六枚撮りで七十二枚。デジタル・カメラでもスマートフォンでも、一日でそれだけの枚数を撮る機会はさうさう無いでせう。勿論失敗のリスクはあるが、そんな場合にはデジタル・カメラでもスマートフォンでも使へばいい。撮り終へるのに何日、何週間、何ヵ月掛かるかは兎も角、後日その期間の画像を纏めて見るのは、それだけで娯樂になると思ふし、さういつた樂みはデジタルだと味はへない。

 出來るだけコンパクトにするなら、矢張りオリンパスのペンが最良の撰択になると思はれる。EEやDの系統は露光計に難がありさうなので、ペンSか同3.5が宜しからう。凝つた眞似をしたければ、同社のペンFを候補にする方法もある。ハーフ・サイズでレンズ交換が出來る一眼レフといふ、おそらく世界唯一のカメラ。35ミリ・サイズで28ミリ相当の広角から1000ミリ超の望遠、マクロに大口径までレンズが揃つて、その様は

 人間には人間のスケールがあって、このペンFは人間より小さな存在にふさわしいスケールで、普通の35ミリ幅のロールフィルムを使えるという、一見実用的な装いをした巧みなミニチュアの遊具ではないかと思えたのである。

(『レンズ汎神論』飯田鉄/日本カメラ社)

巧いと云へない文章だが、"さういふ感じ"がして、魅力的ではある。尤もペンFは意外に大振りで重く、少々八釜しい。

 面倒は出來るだけ避けたいと思ふなら、京セラのサムライがほぼ唯一の撰択になるだらう。自動焦点、自動露光でフラッシュまで内藏するのはコニカ・レコーダーの例もあるけれど、一眼レフの構造を採り入れた点を含めると、"メカメカに新しい"機種であつた。勘違ひされては困るから念を押すと、サムライが現行機だつたのは昭和末期から平成初期にかけてである。従つて今の目で見れば、動作は鈍重な上に電池の保ちだつて感心しない。馴れは求められるとしても、全手動機械式のペンの方が、スムースに使へる事も考へられる。それに電子制禦の全自動なのは問題で、動作に不具合が出れば終りといふ点と、果して値段の折合ひがつくかどうか。他の機種は候補に入れにくい。オートハーフはわたし好みのスタイルではなく、デミは基本的にセレン式の露光法式なのが気に入らない(EE17は例外だが水銀電池を使ふのが難点)それ以外は、實物を見たかどうかの記憶が曖昧でもあるから、考へる以前と云へる。

 さうなると話、興味は再びペンS(乃至S3.5)の方に戻る。過去に使つた事があるから大体の見当はつくし、ズイコー・レンズが信用出來るのも知つてゐる。

 「そんな事を云つても、手に入れたつてどうせ、使はないんでせう」

といふ聲が聞こえるのは気の所為としておく。使ふのも目的になるのはその通りとして、改めて前述の"図鑑"には六千円で賣り始めた云はば安カメラにしては贅沢なアクセサリ…フードやフヰルタは勿論、フラッシュや近接撮影用のスタンドまで掲載されてゐる。まさか最初から想定したわけではあるまいが、極小フォーマットのミノックスは昭和十一年生れ。フォーマットの小ささをカヴァする為に多くのアクセサリを用意した。その三年前に生れた米谷の頭の隅に意識されてゐた可能性はある。どの程度出回つてゐるかは兎も角、使ふか否かは兎も角、敬意を示す意味で少しづつ集めるのも一興であらう。或はペンSで使へるサード・パーティのアクセサリを試すのも惡くない。フヰルム一本を詰め、さういふアクセサリをごちやごちや用意して、デジタル・カメラは持たず、二泊くらゐの旅行に行けば、何枚撮るかは別にして、古めかしく優雅な時間を過ごせるにちがひない。