閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

623 混ぜ

 カップ麺といふのがありますな。

 最近のは具だのソップだの何だのを小袋に分け、入れてあることが多い。實に面倒でいけない。

 "よく混ぜてお召し上がりください"だなんて、添書が目に入つたりすると

 (どうしてよく混ぜなくてもいい風に作らないのか)

と腹が立つてくるし、大体あの添書を忠實に守るひとは、ゐるのか知らとも思ふ。

 尤もさういふひとを見る機会が無いだけで、こちらが少数派の可能性も考へられる。

 自分が捻ねものだからと云ふ積りは無いが、わたしはあんまり混ぜない。初めて食べる時は、腹立たしいなあと思ひながらも、添書に従ふ。さうでなければ、精々二度か三度、麺を上下させる程度。

 「そんなだつたら、味の濃いところと薄いところが、ばらけるでせうに」

親切な讀者諸嬢諸氏は気を使つてくれるだらうか。もしかすると、あたしはカップ麺なんざ、食べたりしないよとうそぶかれるやも知れず…まあその辺はどちらでも宜しい。

 確かにわたしのやり方だと、メーカーのひとが一所懸命に調へただらう味にはなるまい。

 ま。一ぺんはちやんと食べるからね。

 と書いてから、いやカップ麺の食べ方を論じる積りではなかつたのを思ひ出した。

 "混ぜる"から話を進める筈だつたのに、えらい廻り道になつた。予定に戻りませう。

 何の話をしたかつたかと云ふと、カレー・ライスで、ここまでの流れから

 (ああ丸太はカレー・ライスを混ぜないのだな)

と思はれるでせう。その通りである。

 もつと云へば、ルウをライスの直上からかけるのも、ルウを別の器で出すのも好まない。

 白くて平らなお皿にライスを五分ノ三。

 残つた五分ノ二にはルウ。

 お皿の隅…ライスとルウの境目、ライス寄りのところに、福神漬けをつんもりと。

 きちんと盛りつけてもらひたいもので、勿論、混ぜるなどはしない。さうすれば幾つもの組合せが成り立つでせう。

 ライスだけ。

 ルウだけ。

 福神漬けだけ。

 ライスとルウ。

 ライスと福神漬け。

 ルウと福神漬け。

 ライスとルウと福神漬け。

 かういふのを樂みと呼ぶ。ここで"よく混ぜてお召し上がりください"などと云はれた日には、わたしの残り少ない髪の毛がきつと、冠を衝く。抜けるのは困るけれど。

 カレー・ライスを併し、混ぜるひとはゐますな。

 非難はしないし、止めもしない。ご先祖から代々受け継がれた家訓やも知れないし、或は大坂に、最初から丁寧に混ぜ込んだカレー・ライスを出すお店があるから、その熱狂的な愛好家の可能性も捨てきれまい。

 ま。不思議だなあとは思ふ。思ひはしても、わたしは礼儀を心得た男だからね、聲には出しませんよ。聲には出さず、但し混ぜもせず、自分のカレー・ライスを食べる。公平な態度でせう、えへん。

 ああ。さうだ。幾らわたしだつて、何もかも何がなんでも混ぜないのではない。お刺身を食べる場合だと、山葵は醤油に溶かす。余程にいい山葵なら兎も角、わたしがありつける程度のお刺身に添へられるのは、その程度の山葵だもの。かういふ時は寧ろ、山葵を醤油の調味料として使ふ方が旨い。