カップ麺といふのがありますな。
最近のは具だのソップだの何だのを小袋に分け、入れてあることが多い。實に面倒でいけない。
"よく混ぜてお召し上がりください"だなんて、添書が目に入つたりすると
(どうしてよく混ぜなくてもいい風に作らないのか)
と腹が立つてくるし、大体あの添書を忠實に守るひとは、ゐるのか知らとも思ふ。
尤もさういふひとを見る機会が無いだけで、こちらが少数派の可能性も考へられる。
自分が捻ねものだからと云ふ積りは無いが、わたしはあんまり混ぜない。初めて食べる時は、腹立たしいなあと思ひながらも、添書に従ふ。さうでなければ、精々二度か三度、麺を上下させる程度。
「そんなだつたら、味の濃いところと薄いところが、ばらけるでせうに」
親切な讀者諸嬢諸氏は気を使つてくれるだらうか。もしかすると、あたしはカップ麺なんざ、食べたりしないよとうそぶかれるやも知れず…まあその辺はどちらでも宜しい。
確かにわたしのやり方だと、メーカーのひとが一所懸命に調へただらう味にはなるまい。
ま。一ぺんはちやんと食べるからね。
と書いてから、いやカップ麺の食べ方を論じる積りではなかつたのを思ひ出した。
"混ぜる"から話を進める筈だつたのに、えらい廻り道になつた。予定に戻りませう。
何の話をしたかつたかと云ふと、カレー・ライスで、ここまでの流れから
(ああ丸太はカレー・ライスを混ぜないのだな)
と思はれるでせう。その通りである。
もつと云へば、ルウをライスの直上からかけるのも、ルウを別の器で出すのも好まない。
白くて平らなお皿にライスを五分ノ三。
残つた五分ノ二にはルウ。
お皿の隅…ライスとルウの境目、ライス寄りのところに、福神漬けをつんもりと。
きちんと盛りつけてもらひたいもので、勿論、混ぜるなどはしない。さうすれば幾つもの組合せが成り立つでせう。
ライスだけ。
ルウだけ。
福神漬けだけ。
ライスとルウ。
ライスと福神漬け。
ルウと福神漬け。
ライスとルウと福神漬け。
かういふのを樂みと呼ぶ。ここで"よく混ぜてお召し上がりください"などと云はれた日には、わたしの残り少ない髪の毛がきつと、冠を衝く。抜けるのは困るけれど。
カレー・ライスを併し、混ぜるひとはゐますな。
非難はしないし、止めもしない。ご先祖から代々受け継がれた家訓やも知れないし、或は大坂に、最初から丁寧に混ぜ込んだカレー・ライスを出すお店があるから、その熱狂的な愛好家の可能性も捨てきれまい。
ま。不思議だなあとは思ふ。思ひはしても、わたしは礼儀を心得た男だからね、聲には出しませんよ。聲には出さず、但し混ぜもせず、自分のカレー・ライスを食べる。公平な態度でせう、えへん。
ああ。さうだ。幾らわたしだつて、何もかも何がなんでも混ぜないのではない。お刺身を食べる場合だと、山葵は醤油に溶かす。余程にいい山葵なら兎も角、わたしがありつける程度のお刺身に添へられるのは、その程度の山葵だもの。かういふ時は寧ろ、山葵を醤油の調味料として使ふ方が旨い。