閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

841 思ひ出した

 四半世紀ほど前、腰椎間板ヘルニアで年末年始を挟み、三ヶ月前後、六人部屋に入院した。身動きに不便がある以外、不調はなかつた。その病院には当時、一階に喫煙所が、地階に雑貨屋があつて、病室でぼんやりテレ・ビジョンを見るのでなければ、その喫煙所と雑貨屋(下着や靴下の類とお菓子とジュースと雑誌を賣つてゐる)のどちらかに行くくらゐしかなくて、えらく退屈した。

 手術をしたのは年が明けてからで、入院早々でなかつたのは、優先度の高い手術が他にあつたのと、術後のリハビリテーションの都合だつたのだらう。手術は全身痲酔だつた。予備の痲酔をしてから、本痲酔の順序と聞いたが、おれは予備の段階であつさり熟睡したらしい。"らしい"といふのは、後からさう教へてもらつたからで、何となく赤面した。

 痲酔は夜中に切れてきたらしく、最初に気がついたの頭が重いと下半身の違和感だつた。後者の理由はカテーテルが挿入されてゐたためで、カテーテルが挿入されたのは、術後の二週間程度の予定で、ベッドで動けない事情による。膝下に三角のクッションがあつた。朝になつて看護婦さんから

 「姿勢を変へる時は、膝頭を倒しながら、肩を一緒に動かすんです。腰を捻るのはいけません」

と注意を受けた。成る程、理に適つた動作である。半身を起せないのは勿論だから、食事はおにぎりとホークでつつけるおかずになる。正直なところ、うまくはなかつた。

 そこで少々、尾籠な方面の話になるが、食べれば出るのは人体の理窟であつて、では催したらどうするか。看護婦さんにお願ひして、おまるを当ててもらふ。出す。出したら片附けてもらふ。お湯でその部分を洗はれるのは快かつた筈だけれど、耻づかしさが先に立つて、何ともいはれない気分だつたのは忘れ難い。たいへんな仕事なのだなあと實感した。だから予定より早くカテーテルを抜いて、自力で御手洗ひを使へた時の嬉しさも忘れられない。もうひとつ、入浴の許可が出る前に、髪を洗つてもらつた時は、聲を上げたくなるほど気持ちがよかつた。

 ある程度、身動きの自由が出來ると、リハビリテーションが始つた。専用の部屋といふか場所があつて、そこまでは車椅子を使ふ。序でだから左右の車輪を逆向きに廻して、その場で方向転換することも覚えた。看護婦さんには

 「なーにをまた、使ふところがない藝を」

呆れ顔で云はれた。呆れられながら始めたリハビリテーションは、仰向けに寝て膝を立て、足首に重りを乗せて持ち上げるところから。眞つ当な足は二キログラムくらゐ、どうともなかつたのに、もう片方は数百グラムも上がらなかつたからびつくりした。左右の足の筋力の均衡がまつたく狂つてゐたので、そこを調へませうといふわけである。あはせてごく緩かなストレッチも教はつた。捻らないところから始めて、少しづつ負担を掛けるやうにした。

 足を引き摺らずに歩ける程度まで回復した辺りで退院となつた。三ヶ月ゐた六人部屋で、同室の患者とも仲良くなつてゐたから(地下の賣店でジュースやお菓子を買ふ時は、お互ひに部屋の全員分を買ふことになつてゐたし)、先に出るのがどことなく、申し訳ない気分になつた。寒くなり腰の肉が強張る頃になつてきたからか、不意に思ひ出したのでここに書いておく。