閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

325 EOS1000QD(キヤノン)

 初めて自分のお金で買つたのが、EOS1000であつた。友人が先に手に入れ

「面白いから、お前さんも、どうだ」

と誘つてきたのである。併し何を買つていいか、さつぱり判らないから、その友人にカメラ屋までついてきてもらつた。

 目に入つたのが、ミノルタのα‐3xiとこのカメラで、散々に迷つてEOSにした。性能のちがひやスタイルの差異が理由ではなく、友人が使つてゐるんだから、きつと便利だらうと思つたのである。EF35‐80ミリが一緒になつて、さあ幾らだつたらう。五万円もしなかつたのは確かである。

 家に持ち帰つて、電池を入れ、レンズをつけ、シャッター・ボタンを軽く押すと、すつと焦点が合つたから驚いた。寫眞趣味を持たない家で育つたわたしが、それまでに触つたことがあるのはコニカのEEマチック・デラックスだけだつたから、オート・フォーカスの動作だけで

(ははあ。こいつは凄いなあ)

と感心して仕舞つた。無知の實例である。

 ところで面白いからとわたしを誘つた友人も、何がどう面白いのか、どうも曖昧だつたらしい。それで兎に角、撮りに行つた。中之島公園や北山植物園。教室に通ひもせず、教本を讀みもせず、撮つたのだから、いい度胸をしてゐた。

 それで撮れる。撮れはするが、はいさうですねと云ふしかない出來で、あの時周囲に批評精神に富んだ人物がゐなかつたのは、幸運だつたのかどうか。寫眞の批評は、それが一応でも寫眞になつてゐて成り立つものだから、酷評にも不足してゐたのは疑ひの余地が無い。

 かと云つて、さつさと棚に仕舞ひ込んでお終ひにならなかつたのは、寫眞の出來はどうあれ、撮るといふ行為が愉快だつたのだらう。でないとシグマの70-210ミリと400ミリは買はなかつた。三脚やカメラ・バッグも買はなかつたし、EF50ミリを追加もしなかつた。あの当時から物に頼つてゐたのだなあ。

 シャッターを切るだけで満足してゐたわたしに多少の変化をもたらしたのは、云ふまでもなく異性であつた。異性が隣にゐて、それを綺麗に撮りたいと思へなければ、カメラを使ふ意味がない。とはつきり考へたわけではないが、さういふ気分が濃厚にあつたのは間違ひない。あの当時の寫眞を見ると、まあ惡くはないなといふ気分と、文字にはしづらい気分が入り混ざる。

 かうやつて思ひ出すと、どうやらわたしは、カメラについても寫眞についても、知らないまま、カメラと寫眞で遊んでゐたらしい。それが稚拙でまた不完全であり、不徹底でもあつたとは、認めるのに吝かではない。拙劣な技術のまま、随分と遠廻りをしたのも、事實である。併し一方、その遠廻りが損ではなかつたとは、開き直りも含めて考へてゐる。さう考へる事情には、EOS1000を買つたのには、社交の一面といふ要素があつたかも知れないからで、その友人とは今も年に一ぺんは会ひ、寫眞を撮り、それから呑みに行く。