閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

865 仮名遣ひの話

 この手帖を歴史的仮名遣ひで書くのは、尊敬する丸谷才一の影響…眞似である。丸谷が歴史的仮名遣ひを用ゐるに到つたのは、和歌集の評論を著す際、現代仮名遣ひで地の文を書くのが馴染まないと感じたからだといふ。本人の随筆で讀んだ筈だが、手元で直ぐに確かめられない。本棚の整理整頓は大切なのだなあ。

 尤も私が眞似をする切つ掛けになつたのは随筆の方で、何だつたらう。文春文庫に収められた一冊だつたのは間違ひない。讀み辛さはまつたく感じず、面白かつた。その面白さは高い論理性と諧謔と皮肉が上塩梅に混つた結果であり、仮名遣ひとは関係しないと思はれるのだが、どうも当時の私は直に結びつけたらしい。単純といふか、無邪気といふか。

 眞似してみると、案外に書きにくくなかつたから、へえと思つた。念を押すと、自分が書かうとすることと、歴史的仮名遣ひが、何となく噛み合つた、といふ程度の意味である。『坂の上の雲』で秋山好古が初めて酒を呑んだ時、液体がするする喉を通つたとか、そんな描冩があつたが、その感覚に似てゐさうな気もすると云つたら、たれに失礼か知ら。

 

 歴史的仮名遣ひを常用してゐると、時折り云はれるのが、どうにも讀みにくいといふ指摘で、指摘される都度、不思議に感じられる。現代仮名遣ひと多少、表記は異なつてゐるけれど(現代仮名遣ひ"が"異なつてゐるといふ方が正確だがそこは、まあ云ふまい)、その差異は微々たるものだし、太平洋戰争で敗ける前の文章はすべて歴史的仮名遣ひ…百閒先生や漱石先生は勿論、大谷崎も太宰も芥川も…だつた。先達の小説や随筆が讀みにくいだらうか…といふのが文章の技巧で反語と呼ばれるのは改めるまでもなく、この手帖が讀みにくいならそれは、私の技倆不足に過ぎない。仮に先達の文章が讀み辛いと思ふひとがゐたら、そのひとは現代仮名遣ひの文章も讀むのが苦手と決めつけて宜しからう。

 更に云ふ。明治大正頃の文章…歴史的仮名遣ひの…をある程度讀めれば、直前の時代…江戸の後期から末期にかけて…の文章だつて、六つかしくなくなる。文語表現だつたり、当時の風俗や流行を知らないと苦労する箇所はあるにせよ、大意を掴むのに困りはすまい。これは大切なことなので、恰好をつけて云ひますよ。我われの傳統は言葉と文字で受け継がれる。歴史的仮名遣いひで明治大正から遡つて讀む行為は、その文章が書かれた時代を共有するのと同時に、その時代からなにがしか、何事かを受け継ぐ行為でもある。新しさは傳統を苗床に生まれるのだから、その有効な(もしかすると唯一の)手法に目を瞑り、或は背けるのが大損失なのは論を俟たないと断じたところで、誤りとは云はれまい。

 

 …と恰好をつけてから云ひ訳をすると、"だからこの手帖で歴史的仮名遣ひを用ゐるのは正しい"と主張する積りではない。幾ら何でも、そこまで図々しくなれやしません。私が丸谷先生の眞似をするのと、一般論として歴史的仮名遣ひを無視出來ないのはまつたく別の話である。だからわざわざ段落を大きくあけたのを、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には是非とも、汲み取つてもらひたい。