翻るとわたしの讀書遍歴は最初で躓いてゐる。母親の影響をまともに受けたのは間違ひなくて、その母親には少女小説好みが色濃かつた。今もさうだと思ふ。併し不思議なくらゐ詩集や歌集とは無縁で目にした記憶がない。古今や新古今は勿論、萩原朔太郎も中原中也も大岡信も母親の本棚にはなかつた。からうじて谷川俊太郎に記憶があるのは、詩人といふより、ピーナツの優れた翻訳者であつた。そのくせ詩そのものに無縁ではなかつたらしく、何かの拍子に、君死に給ふことなかれや、山のあなたの空遠くをさらつと口に出す。母親が少女だつたのは七十余年前に遡るが、あの頃の少女たちにとつて詩は、暗誦する文學だつたのだらう。尤も小説ではさうはゆかなかつたらしく、そのあふりを不肖の倅、詰りわたしが受けたことになる。
赤毛のアンから田辺聖子、平岩弓枝を経て、上橋菜穂子に到る母親好みの小説は、一貫して長篇でなければ短篇聯作に限られてゐる。あふり…ではなく影響と呼ばうか、その影響を受けた倅が、小説(もつと広く物語と云つてもいい)に対して色々の理解乃至誤解をしたとして、それはこちらの責ではないでせう。O.ヘンリもダールも芥川も太宰もなく、何冊かの星新一はあつたけれど、それは稀な例外と云ふべきで、この点でもわたしは蹴躓いてゐたと思ふ。それで少年だつた丸太は、小説といふ形式を
「無闇に長くて、終らないもの」
と感じとつた節があるし、長篇小説を讀んでゐて、頁が少くなると、奇妙な感じがされることを思ふと、その気分は今もあるのだらう。流石に探偵小説は別枠として(さう云へば母親の本棚にあつた探偵小説はクィーンにクリスティ、それからヴァン・ダインだつた。江戸川乱歩や横溝正史を讀まなかつたのは、少女小説好みの当然であらう)、たとへばわたしが最初に熱中した、キャプテン・フューチャーものだと、ひとつの冒険の終りは、次の冒険の始りでもあつたから、安心して讀み進むことが出來た。うーむ。トラッドな讀書体験とは云ひにくいなあ。
終らない、終りの見えない形式で書かれるのが小説だとしたら(それだけでないのは後で知つた)、それは世界といふか宇宙といふか、兎に角すごい…と、少年丸太はどうやら間違つた受け止めをしたらしい。鉛筆とノート・ブックで世界を創れるとしたら、それは實に手軽な神さまの眞似事ではないか。念の為に云ふが、当時のわたしがそこまで明確に考へたわけではない。ただ友達を得るのが苦手で、ひとり遊びを好んでゐた少年が、書くといふ行為に近寄つたのは、筋の通つた流れだつたと思はれる。尤もその時期からわたしは、歴史小説…切つ掛けは山岡荘八の信長。立派な函入りの単行本と記憶してゐる…にも手を延ばしてゐて、キャプテン・フューチャーとその一冊しか知らず、小説を書けたとしたら…いや有り得ない想像は出來ない。何を書いたかの断片的な記憶はあるが、ここには記さない。当時のノート・ブックを失くしてゐてよかつた。
少し話を逸らすと、小説に限らず、書く行為は断じて先天的に出來ない。頭の中にあるふはふはした何事かを纏め、言葉に置換へ、文字に留めるのは、知性だけでなく、訓練と實践と洗練が欠かせない。自転車に乗るやうに、こつを掴めば後は自在に操れるものではなく、まして小學生が持合せる性質のものとは呼べない。これはわたしが子供に讀書感想文を書かせるのに否定的な理由の、大きなひとつなのだが、そこに踏み込むと逸れた話が戻れなくなる。ここでは簡単に、小説を書かうとするのは、間断の無い、たいへんな面倒を要する作業なのだと云つておく。繰返せば、小學生の手には余る作業で…この辺りから逸らした話は戻りつつある。一ぺん改行を入れませうか。
小説を書くといふ高度に知的で無駄な行為にあくがれるひと(向き不向きは別ですよ)には、共通する癖、傾向がありさうに思へる。それでたれの言か定かではないが
「小説家の生涯は余生である」
もしかすると、小説家は生れながら余生を生きてゐる、だつたか、何とも後ろ向きといふか、憂世離れといふか、そんな言葉が記憶の中から出てきた。たれの言か定かではないのは確かとして、小説家自身の言葉なのは間違ひない。丸谷才一は「なぜ書くのか」と題した一文で、要するに自分(丸谷)は夢想的な少年だつたと記してゐて(手元に収載した本が見当らないのだ)、庄内の町医者の倅に生を受けた、讀書好きの少年が、その多感敏感な時期に、戰争の跫音を肌で聞かされれば、現實を現實的にとらへられなくなつても、すりやあ不思議とは云へない。少年だつた丸谷にとつて、現實は紙に印刷された文字だつたのかと思ふと、悲劇的な情景だつたにちがひないが、それが後年の長篇小説家の母胎になつたと考へると、愛讀者としては複雑な気分を抱かざるを得ない。
一方、テレビ漫画や特撮に夢中で、人形(タカラだつたかな。ミクロマン。子供のお小遣ひには高額な玩具だつた)を使つたごつこ遊びを得意にした子供は確かに幸福だつた。さういふ子供の腹の底に、後年私淑することになる小説家の夢想のやうな(正確を期せぱ、その縮小コピーのやうな)何事かが宿らなければ、附け足すことは何もなかつた。さう考へた時、その子供…詰りわたしは、無條件でその幸福を言祝いでかまはないのか、不安を感じて仕舞ふ。大急ぎで念を押すと、両親がどうかうではなく、こちらの内面の問題だから、誤解されてはこまる。要するにわたしは、小説といふ形式に、心のどこかを奪はれる資質を持つてゐたらしい。いやそれは資質ぢやあなくて、環境に育まれた結果だよと指摘するひとがゐたら、理窟とは異なる場所から断じてちがふと反論したい。親の愛情はさういふものではないか。
話がまた(例の如く)逸れさうになつた。本題に入ります。前置きが長いのも、例のとほりである。
Webログ(どうもわたしはブログといふ呼び方が好きになれない)を始めたのはいつだつたか。辛うじて残る記録を見ると、平成十七年の断片があるから、それなりに續けてゐるとわかる。まあその頃利用してゐたサアヰ゛ス…変な表記になつたが、これは尊敬する内田百閒の眞似。かういふ変換が出來ない"日本語変換"に値うちはあるのか知ら…は既になくなつてゐる。そこを省いても、Webログの形式ならこの手帖を含めて、多分二千かそこらは書いてゐる筈で、云つておくがその数字に価値は無い。文章では量が質に転化することは絶対に無いからで、数をこなせば済むなら…いや愚痴になりさうだな、止めにしておかう。
何でまた、そんなにしつつこく。
我が親愛なる讀者諸嬢諸氏からは、さう呆れられるにちがひなく、また呆れるのは正しい。
尤もこちらにだつて理由が無いわけではなく、詰るところ小説へのあくがれが、歪つな形で露顕してゐるのですと、ここで白状しよう。内田百閒と吉田健一の両先達が惡い。吉田には「酒宴」といふ短篇がある。初めて讀んだ時は最初の何頁かは、随筆と勘違ひした。筋がごくなだらかに…シェリーと生ハムから、お酒と青菜を炊いたのとへ移るやうに…移つたから、もしかすると最後の何頁かまで、随筆と思つたままだつたかも知れない。もつといけないのは百鬼園先生の「特別阿房列車」なのは云ふまでもなく(阿房列車は本数を重ねる度に幻想的な運行になるのだが、そこまでは踏み込まない)、随筆と冗談と小説を十把一絡げにしたつていいのだと教へてくれたのは、宰相の息子の一篇と並んで備州の造り酒屋の倅だつたと、ここは断じてかまはない。ただそれで
「その手があるなら」
おれも書けるんぢやあないか、と思つたのは傲慢でなければ勘違ひで、併し一度さう思つてしまふと、根拠もないのにその気になるから、わたしは単純な男である。
とは云ふものの、小説が傲慢、勘違ひ、単純をわたしに押しつけたと見立てるのは無理筋ではなく、小説或はノベルといふ言葉に原因がある。novelと書けば解り易い。意味としてはヌーヴェルやヌーヴォと同じ語根で"新しい"を指す。文學として新参ゆゑ、かう名附けられたので、格のひくい形式扱ひと考へていい。小説にも"小"の字が含まれてゐるのと同じである。などと云つたら
「現代ぢやあ小説こそ、文學の中心的な部分を占めて、重く扱はれてゐるでせう」
反論が出るやも知れないが、たれでもその気になれば、ふはふは書ける(出來の良し惡しは兎も角)形式が、重きを得てゐるとは思へない。我が身を棚に置きながら云ふと、間口が広がり、手掛けるひとが多くなつてゐるのは事實だが、数の多さは質の高さを保證しない。裏を返せばその気らくさが小説といふ形式の利点だとも云へる。云へなくもない、ではなく云へると断定するのは、さうしておけばわたしがこれから小説(と称する文章)を書く(書かうとする)理由…訂正、云ひわけになる。やつと辿り着いた。いや勿論この手帖で書くのを今後、小説に限る積りではなく、さういふのも混ぜてゆくといふ意味。正直なところ、どの程度の分量になり、どれくらゐの間隔で書けるのか、そもそもどんな内容になるのか、見当はさつぱりついてゐない。兎にも角にも、書き出さなければ終らない。始めるところから始めてゆかう。それに少女小説を書くわけでないのだから、失敗つたところで、母親に咜られる心配も無い。