閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

949 令和は平和

 今さら云ふのも何だけれど、麦酒はうまい。この時期の陽が落ちる時間帯、恋しくなるのは、一ぱいの冷たい麦酒で、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にも、同意を得られるでせう。

 冷たい麦酒を無闇に有難がるのは、我われの習慣であるらしい。常温が当り前の地域だつて珍しくはなく、[たいめいけん]の初代に到つては、温めたのを好んだ…"ホット"ビールを飲むと、"ほつと"するのですとか書いてあつたのを、讀んだ記憶がある…といふ。

 もうひとり、堀江謙一も麦酒を常温で呑むか呑んだか、したといふ。このひとの場合、太平洋横断のヨットに乗る事情があつた。航海に際しては、荷物をいかにかるくするか…即ち燃料の節約に直結する…が課題で、冷藏庫を乗せるなど、考へられない贅沢だつた。併し麦酒を呑めないのは我慢ならないから、予定の航海日数分の罐麦酒は積んだ。以前にどこかで見たインタヴュー映像の記憶だと、一日の航海に区切りをつけ、あとは眠るだけになつて、一本の罐麦酒を卅分とか一時間とか掛け、ちびちび呑むのが樂みだつたさうだ。その映像の最後、供された麦酒(勿論よく冷やしてある)のグラスをあふつた堀江が

 「冷たい麦酒も、美味しいものですね」

さう云つて笑つたのは忘れ難い。かれにとつて、冷たい麦酒は非日常の味だつたのだな。

 さりとて、矢張り麦酒の日常は、きりりと冷たいのが有難く、また喜ばしい。

 暢気な話だと思ふでせう。私もさう思ふ。生眞面目なひとから、我が國の近代史のある時期を考へ玉へと、叱りつけられるかも知れない。併し日本の麦酒が、冷してうまい方向を目指したのは間違ひなく、冷たい麦酒を当り前に呑め、喜べるまで、この國を育てなほした先達に敬意を示す方が、あらほましい態度ではあるまいか。

 尤も現代の麦酒は概して、冷し過ぎの傾向がある。冷たければ旨からうとするのは、[たいめいけん]の初代や堀江謙一だけでなく、ハーヴェイ・ロヴェルからも軽蔑の眼差しを向けられる。ハラミの塩を摘みに、麦酒を呑みながら、そんなことを考へて、そんなことを考へられる令和は平和なのだなと思ふと、呑んでゐる麦酒がもつと旨くなつた。