閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

950 山門の葷

 山門は葷酒が入るのを許さなかつた。

 葷は匂ひのきつい野菜…葱や韮、大蒜などの意。

 入山が禁じられたのは、曖昧な記憶で云ふと、愛慾を刺戟するとか、そんな理由だつたと思ふ。この場合の愛慾は、性愛に近しい響きを持つ。即ち同性愛。わざわざ入ツテハナラヌと宣するくらゐだもの。

 

・山門では…少くとも一部の…同性愛が盛んだつた。

・葷は愛慾に効果がある…関連すると考へられてゐた。

・或はたいへん旨いと認識されてゐた。

 

かう推察出來る。同性愛に就てはまあ、漠然とした印象しか持たないし、佛教がそれをどう受け止め、受け止めてゐるかも知らないから、上の二つは省くとして、葷が旨いのは、間違ひない。禁制になつたのは愛慾云々ではなく、葷を貪らうとする心根をきらつたか所為か。

 

 とは云ふものの、たとへば、豆腐…山では貴重な蛋白の筈だ…に葱をあしらはない、など考へられるか知ら。韮のおひたしなんて實に好もしい小鉢だし、大蒜に到つては焼くだけでうまい。

 その味を知つた修行僧が我慢出來ず(結果、衆道の味もしめて)、山門のえらいひとが、幾度となく禁じにかかつたとしても、不思議ではない。待てよ、だとしたら、ある時期まで葷は山門でも食されてゐたことになる。でなければ、味は勿論、精力剤的な効果は知られまい。

 ここまで考へて、不意に疑問が浮んだ。

 葷が山門に入れないのは仕方ないとして、葷が最初から、山門の内側にあつた場合、どんな扱ひだつたのだらう。見なかつたことにした、とは考へにくい。別の名前をつけ(般若湯のやうに)、山門不入ノ掟は守つてゐると、こぢつけたと想像する方が愉快である。學僧なら巧いこと理窟を捏ねも出來ただらう。

 いやそれより折角だから、衆道に溺れた眉目秀麗な僧が、耳目から身を潜めつつ、こつそり手を繋いで摘み取る様を、想像してみるのはどうか知ら。上手が書けば、エロチックな短篇小説になりさうな気がする。

 念の為に云ふと、かういふ空想は、自分の容姿と思想を棚にあげるのがこつですからね。私くらゐ、山門に縁の薄い男も、さうはゐないと思はれる。