閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

272 夜九時の暖簾

 齢を喰ふと呑みに出ても新しいお店を探さなくなる。さういふ冒険をするなら馴染んだ場所で安心したい。保守的な老人の態度と云はれたら確かにその通りだが、酒肴にある程度の好みが固まつて仕舞ふと自分の舌に適ふお店があれば後はまあどうでもよくなる。

 それでも暖簾なり看板なりが目に入つてどうも気になることも無いわけではなく、そんな場合は機会を得て…といふより作る。念の為に云ふと見て直ぐ入ることはなくて、何度か目に入り、それで気になり續けてから、おもむろに行動する。何しろわたしは優柔不断だからね。

 ではどんな暖簾乃至看板が気になるんですと訊かれたら、食べるものが旨さうと感じるどうかですと応じませう。但しどんな理由でさう感じるのかまでは解らない。一応ここでは、呑み歩きで培つた勘なのですと云つておきませうか。序でに若い親愛なる讀者諸嬢諸氏には無理だらうねと、胸を張りもしておかう。

 併し偉さうなことは云へなくもあつて…いやその前に画像を見て頂きたい。韮と玉子の炒めものなのだが、實に旨かつた。何だか堅さうだと思つた貴女の為に云ふと、この韮と玉子の炒めものは臺灣…臺北風の仕立てなんです。どうして臺北風と断定出來るかと云へば、暖簾に臺北酒場とあるからで、お店は臺灣(臺北出身かどうかは聞いてゐない)の小母さんがひとりで切り盛りしてゐる。だから註文してから出てくるまでには少々間があるが、さういふ些細なことを気にしては、小さなお店で呑めなくなる。

 問題…と云つてはいけないな、わたしにとつて少し計りこまるのは、このお店が暖簾を出すのが夜も九時を過ぎからといふこと。小母さんいはく

「朝六時くらゐまで、やつてるからねえ」

ださうだが、そんなら朝四時でも五時でも早く閉めていいから、夜の八時には開けてもらひたい。夜も九時を過ぎた時間だと、こつちも醉つてゐるから、十分に味はへない。と云ふと、醉つてゐるなら、美味しいかさうでないか、はつきりしないでせうと云はれさうだが、それは我が讀者諸嬢諸氏の若さで、そこそこに醉つてゐても旨いと思へるのなら、それは旨いと考へて間違ひはない。

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