閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1001 議論の為の議論の種

 鶏の唐揚げには、檸檬を勝手に搾つてはならぬ、と主張する派閥がある。

 一方で、相性のよさを鑑み、檸檬は搾るべきだ、と主張する派閥もある。

 これを巷間では、"唐揚げ檸檬問題"と呼ぶ。

 

 野暮を云へば、檸檬を搾るか否かは、それぞれの好みに依存する。だから唐揚げは、最初に取り分ければ済む。但しそれでは詰らないのもまた事實で、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、世の中には"議論の為の議論の種"があるのです。

 

 ここで面白いと思ふのは、"搾るな派"の理由が、檸檬きらひだからではなく、"勝手に"搾られるのに困惑してゐるかららしい点である。

 「檸檬が適はないとは、思はないのよ」

成る程、気持ちは判る…と書くとほり、私の立場は(どちらかと云へば)、"搾るな派"に近い。とは云へ、揚げたての唐揚げに、いきなり檸檬を搾るのは暴挙であつても、唐揚げには何も掛けるべきではない、とする過激思想には同調しかねる。

 醤油。

 マヨネィーズ。

 七味唐辛子。

 塩。

 味つけぽん酢。

 生姜。

 胡椒。

 チリー・ソース。

 大根おろし

 刻み葱。

ほらね。檸檬以外にも、唐揚げに似合ひのあれこれを挙げるのは(酢橘やかぼすは勿論、他にもお好みの焼肉や餃子のたれ、或は味噌もよささうに思ふ)、困難ではなく、それらの組合せまで考へたら、リストの長さは夥しくなるだらう。

 

 腹を減らした夕方、大きなお皿に盛つた唐揚げの周りに、各種の調味材を乗せた小皿を並べ、麦酒は大壜、ピックルスかザワークラウトがあるのを目にしたら、頬が弛むのはまちがひない。揚げたてはそのまま囓りつき、ほどよく冷めてきたら、小皿のあれやこれやで味を変へ…いや熱いのにいきなり、あれこれを使つてよく、その中に檸檬があるのは云ふまでもない。"搾らう派"と共にやつつけながら、ああだかうだと論をたたかはせば、唐揚げの味も増さうといふものだが

 「すりやあ、"搾らう派"への、迎合ぢやあないか」

 「話を拡げて、曖昧にするのは、感心しないなあ」

"搾るな派"から、辛辣な批評が出るかも知れない。私としては、穏やかで中庸、それでうまい(ここは字の宛て方で意味が変る)方法だと云ひたいんだが、"議論の為の議論の種"と再反論される…小聲で云へば、その一面は確かにある…可能性は捨てきれない。まあそれも含めて、唐揚げの味を調へてくれる、と思へばよく…事ほど左様に、"唐揚げ檸檬問題"は根深く広大で叉、樂めもするんである。