閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1002 ソースの匂ひ

 ソース焼そばは、安つぽく仕立てたのが旨い。尤もさういふ安つぽい仕立てに、舌が馴染みきつた所為である。従つてソース焼そばに最適な麺とソース、キヤベツと豚肉と紅生姜を厳撰して作られたのを食べたら、意見が一転する可能性はたつぷり、残されてゐるけれども。

 土曜日、半日の授業を受けて帰宅したら、母親が用意してくれる食べものが、ソース焼そばの原体験だつたと思ふ。焼き飯もさうだつた。ざつと炒めれば出來上るし、一皿で一食を賄へるのだから、料理が苦手な母親にとつて、便利だつたにちがひない。果して旨かつたかどうか。

 厭な記憶は無いから、まづくなかつのは、間違ひない。もつぺん食べたいとも感じないから、少年だつた私の中で、特別扱ひでなかつたことも、また間違ひない。鶏股を焼いたのや、シチューにバゲットが、御馳走だつた年頃だからね、母親にもソース焼そばにも責は無い。

 繰返すと、ソース焼そばは決して不味くない。今もどうかした弾みに食べたくなる時がある。ただ身近には、"ソース焼そば一筋に半世紀"なんて老舗は勿論、ソース焼そばを名物にしてゐる店も見当らない。仕方ないから、即席のカップ入りなんぞで我慢する。

 ところで最近、コンビニエンス・ストアでも、ソース焼そばが賣られてゐると判つた。蕎麦、饂飩の類があるのは知つてゐたけれど、ソース焼そばもあるのですな。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、何を叉今さらと、笑はないでもらひたい。私にとつてあすこは、煙草を贖ふ場所なんである。

 買つてみた。いかにも廉ですよ、と云はん計りの容器に入つて、四百円だつたか。食べると存外に惡くない。縁日のソース焼そばより上等な程度と云つたら、どちらへの礼を失することになるか知ら。まあ値段を鑑みれば、口煩い態度を示すのは、無体だらうと思ふ。

 尤も"焦げがない"のは、些か不満で、この点は縁日の鐵板で焼いたやつの方が、好もしい。ソースの焦げる匂ひと、焦げた切れ端は、あの食べものの魅力の何割かを占める、と云つてよく、我らがコンビニエンス・ストアの開發陣には、今後の課題としてもらひたい。

 あれこれ書いた所為で、くちがソース焼そばの気分になつてきた。色濃く安つぽいやつ。この際だから、焦げの有無には目を瞑つてもいい。次の土曜日のお午は、ソース焼そばを買ふとしませう。母親には申し訳ないが、罐麦酒の一本を、添へないわけにはゆかない。