閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

130 とりとめのないカメラなどの話(その5 終)

 永井荷風の『断腸亭日乗』に、ローライの寫眞機を買つて、現像と焼付けを試したといふくだりがある。そこで荷風が手に入れたローライは何だつたのか。そこを改めて讀んでも、どの機種を手に入れたのかはまつたく判らない。この当時のローライは、オリジナル、スタンダードを経て、ローライコードのⅠ型及びⅡ型が現役だつた。さうさう、昭和11年は西暦になほすと1936年。寫眞機に寄せて云へば、リコーとコニカが設立された年。荷風に寄せれば阿部定事件の年でもある。併しそんなことはどうでもいいと云へば、どうでもいい興味であらう。寧ろあの爺さんのことだから、きつといかがはしい場所に潜り込んで、けしからぬ寫眞を撮つたに相違ない。その辺りのやりとりは気になる。それに下駄履き和装の荷風が、覚束無い手つきでローライを弄る様は、割りと容易に想像出來る。もてただらうな。併し荷風がどんな寫眞を撮つたのか、わたしはまつたく知らない。詰らなかつたのではないかと思へるし、さうだつたとしてもそれは、荷風の不名誉には当らない。かれは文學者だもの。寫眞家の文章が詰らなくても気にならないのと同じである…寫眞家がそれで口を糊してゐない限りは、だけれども。

 有り体に云つて、寫眞家の文章はおそろしく下手糞である。稀に巧いことを云ふなあと思ふこともなくはないが、稀なので例外と考へてよく、あれで原稿料といふのか、さういふ報酬が發生するのは羨ましいと思へなくもない。かう云ふと、寫眞家の文章の背後には、宣伝の要素があるのだから、そこはお平らにと云ふひとが出てくる可能性はあつても、宣伝の要素がない文章…たとへば所謂クラッシックなカメラやレンズの話…でも矢張りその文章は劣惡だから、その弁護は成り立たないと切返しておかう。とは云ふものの、別の方向からの弁護は不可能ではない。漠然とした云ひ方になるが、頭の中にあるイメージを、外にどう示すかのちがひで、大雑把に字型と画型に分けられ、更にそれらは

①頭の中 字>頭の外 字

②頭の中 字>頭の外 画

③頭の中 画>頭の外 字

④頭の中 画>頭の外 画

ざつと上の組合せで整理出來る。寫眞家は明らかに④ですな。荷風はおそらく③、序でにわたしは①だらうなと思ふ。かう考へれば、寫眞家の文章が下手糞であつても、何とか我慢してあげてもよささうな気分になれなくもない。

 それた話はこの辺りとして、カメラの具体的な機種が、カメラや寫眞と直接に関係しないところで示されたのは、どの程度あるのか知ら。直ぐに思ひ浮ぶのは、内田百閒の随筆と高村薫の小説でライカの名前がちらりと出たのと、クリント・イーストウッドメリル・ストリープのメロウ・ドラマにニコンがあしらはれた(アメリカのニコンが協力したさうだが)くらゐで、ローライもハッセルブラッドもリンホフもジナーとディアドルフもスピードグラフィックも記憶にない。いやもしかしてブライアン・デ・パルマ版の『アンタッチャブル』で、ケヴィン・コスナー演じるエリオット・ネスの失態を撮つたのがスピードグラフィックだつたかも知れない。念の為に云ふと、スピグラと略されもするこのカメラは、シート式のフヰルムを使ふ機種で、今の目で見るとその大きさは、威容と呼びたくなつてくる。これを手持ちで取材に用ゐたのだから、当時のカメラマンはタフだつたのだな。参考までに云ふと、スピグラ全盛期はローライの伸長期、ライカの勃興期とほぼ重なつてゐる。報道で使はれたカメラの変遷を俯瞰で見れば、一ばん面白い時期だつたのではなからうか。

 さてここで再び荷風に登場を願ふと、かれがローライを購入した当時、既にライカはあつた。詰り比較や撰択の対象にライカがあつても不思議ではなかつたと思はれるのに、何故ローライだつたのだらう。『断腸亭日乗』によるとその価格は400円。ここで佐貫亦男の『ドイツカメラの本』を参照すると、同時期のライカⅢaはエルマー50ミリ付で660円、年収の大体半分だつたとある。佐貫青年と老作家の収入を同一視するわけにはゆかないとして、またローライも決して廉価ではなかつたとして、260円の価格差は無視しにくかつたらう。因みに云ふ。今のサラリーマンの年収は平均で400万円強ださうで、単純に考へれば、昭和前期のローライやライカは150万円から200万円前後…今で云ふとライカM10にアポズミクロン50ミリか、ニコンD5に所謂“大三元”ズームをニコンダイレクトで購入するくらゐの値段だつた。年収との比率で推測すると、えらい高額に感じられるが、現行の機種に当て嵌めた途端、成る程その辺のところかと思へるのは、たちの惡い錯覚だらうね。

 そこで仮に篤志家から、200万円分のカメラとレンズを提供しませうと申し出があつたとする。フヰルムでもデジタルでもかまはない。但し自分が持つてゐる機材は一旦すべて処分する…詰りゼロからの再構築が條件として、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏はその申し出を諾けるだらうか。わたしなら諾ける。先づフヰルム式はごく初期、製造番号が117万番台のライカM4に同時期のズミクロン50ミリで。これには“生れ年ライカ”以上の理由はない。同年發賣で云へばローライ35の初代機やニコマートFTn、オリンパスペンEED、ミノルタSR‐1sがあるけれど、これはまあ自分への参考程度。さてデジタルになると、こつちはかなり六づかしい。遊びの要素を重く見れば、ソニーのα7系だらうか。併し(多少は見馴れたが)あの不恰好な姿にいつまで我慢出來るのか、とても自信が持てない。ありふれたデジタル一眼(レフ)とコンパクトな機種を組合せる方が確實な気もする。フラグシップや大口径レンズには大して興味が(序でに使ひこなす自信も)ないから、折角の申し出も、随分と余らせて仕舞ひさうである。無慾といふより、貧が身に付きすぎた結果と云ひたくなるが、併しこれは勝手な妄想であつた。どうせとりとめのない話なら、コマーシャル・エクターとかオリジナルのノクトンとか、挙げればよかつたと思つたが、今となつてはもう遅い。