閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

438 八杯

 先日何の弾みだつたものか、八杯豆腐といふ名前が目に入つた。豆腐料理なのは当然判つたし、見覚えのある字面でもあつたが、どんな食べものなのかが浮んでこず、取敢ず検索をしてみたら、直ぐに大体のところが判つた。かういふ時に便利ですな、インターネットは。最も基本的な手順は

 

 絹漉豆腐を薄切りか賽の目に切る。

 出汁(または水)六杯に酒一杯を混ぜて煮立て、その後に醤油一杯を入れてまた煮立てる。

 そこに豆腐を入れて加減を調へつつ温め、器に盛つて大根おろしを添へる。

 

 簡潔明瞭な調理法である。

 六対一対一でつゆを作るから、その名も八杯豆腐で、これもまた簡潔と云ふ外にない。

 ここで補足。豆腐の煮加減は、豆腐が揺れる程度。また出汁対酒対醤油の割合ひを四対二対二とする説、つゆに葛を入れてとろみを附ける説もある。

 事の序でに出典を調べると、『豆腐百珍』に収められてゐると判つた。出版は天明二年…十八世紀の終り頃。ひとつの食べものを題材に様々の料理を紹介する本の最初(期)であるらしい。またベスト・セラーでもあつた。こちらが断定口調になるのは、その後に鯛や甘藷、蒟蒻と百珍ものと呼べる本が出版されたからで、有名な卵百珍(正確には『萬寶料理秘密箱 卵百珍』)もこの系譜に属する。現代式の著作権なんていふ概念は無かつたから、賣れてゐる本の眞似をするのは平気だつたのだらうな。

 

 ところで『豆腐百珍』は何故、ベスト・セラーになつたのか知ら。

 

 「すりやあ君、豆腐が(現代よりもつと)馴染みのある食べものだつたからさ」

と云はれたら確かにその通り。馴染み深い食べものが百の料理になるのだもの、インパクトの強さは、令和の料理番組より遥かに上だつたにちがひない。その一方、江戸後期の識字率と出版の大変さを考へた時、それだけ…續篇や眞似本が出るくらゐ…本を讀む層がゐた事に驚いて仕舞ふのも、不思議ではないでせう。

 

 尤も当時の日本の識字率は、同時期の欧州に較べて、可成り高かつたらしい。理由は大雑把に経済で、詰り字が讀め算術が出來なければ、商家で偉い立場になれなかつた。江戸期にさういふ余地…學べば上に立てる(かも知れない)といふひとの流動性の高さと云つてもいい…が、(少くとも)中層社会にはあつたのは、記憶して損はしない。そこで解釈を拡大すると、その中層階級は(一部ではあつても)(多少は)生活に余裕を持てた。その階級の娯樂は芝居に寄席に講談、噂話でなければ黄表紙にちがひなく、そこに

 「豆腐でこれだけ、旨いもンが喰へますンです」

関西方言に寄つたのは『豆腐百珍』の出版が大坂だつたからで他意は無いが、さういふ本を手にした連中が

 「なンやこれ、おもろいやないか」

飛びつくのも当然ではあるまいか。わたしが町人だつたらきつと飛びつく、飛びつき序でに豆腐を買ふ。買つて取敢ず棚にあるものでひとつふたつ、作つてもみる。或は作つてもらふ。勿論お酒も用意する。令和の感覚なら、そンな阿房な話はあらへンやらうと笑はれかねないが、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、自分が好き勝手に旅行が出來ず、インターネットなんぞは想像の外の…生涯の世界が自分の生れた町に限られてゐた天明にゐると思ひ玉へ。

 

 話がむやみに大きくなりさうだ。

 八杯豆腐に戻りますよ。

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  改めて考へると、大した名前ではありませんか。

 末広がりの八が冠にある所為か、目出度い感じがする。

 それが八杯とくれば、贅沢な感じがする。

 更にその八杯が作り方(と味はひ)を暗示もしてゐて、たれが考へたのか、ほぼ完璧な名附けだと思ふ。

 そのくせ作るのは面倒でなく…豆腐と酒と醤油があればいいのだもの…、これ以上手を抜くのは六づかしからうが、凝らうと思へば、たとへば"豆腐とつゆの、ベスト・マッチングの探究"方向があれば、"アレンジメントの工夫"方面を目指しも出來て、幾らでも凝れる。我われのご先祖もきつと『豆腐百珍』を讀みながら、あれこれ試しては

 「これは中々、うまい」

 「仕舞つた、失敗つた」

などと騒ぎたてたにちがひない。仮に作りすぎたつて、なーに、豆腐だし温めてもゐる。食べ尽しても、お腹をこはす心配はなかつたらう。わたしはまつたく不器用だが、八杯豆腐だつたらちよいと、工夫をしてみたくなる。

 汲み豆腐を使ふのはどうか知ら。

 出汁を削り節や昆布でなく、鶏(肉と骨)で採れば、しつかりした味になりさうだし、大根おろしに生姜を加へて青葱を散らせば、見た目も多少は花やかになるだらう。大根おろしの代りに味噌…日本のでもいいし、甜麺醤や豆板醤があれば中華風の八杯豆腐になるのではないか。トマトのソップ…だと豆腐が負けるかも知れない。ただの思ひつきだから實際に旨いかどうかの保證はしませんよ、念の為。それにこの思ひつきの幾つか、或は全部は既に試されてゐて

 「残念ながら八杯豆腐には及ばない」

と結論が出てゐない保證も無い。そこを気にせずにもうひとつ、厚揚げを使つてみたい。厚揚げの薄切り、といふと何となく妙な語感があるが、そこはそれとして、これならつゆが濃くても太刀打ち出來るし、薄切りの厚さ(矢張り妙な語感)の調へ方次第で、かるい肴になれば、ご馳走にもなる。かういふのが卓に並ぶ夜は、どうしたつてお酒でないと収まるまい。勿論ここは、優れた名附け親に敬意を表して八杯。