閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

437 蕎麦を掻く

 蕎麦掻きといふ食べものがある。取り急いでWikipediaを見ると

 蕎麦粉を熱湯でこねて餅状にした食べ物。

 蕎麦粉を使った初期の料理であり、蕎麦切りが広がっている現在でも、蕎麦屋で酒のつまみとするなど広く食されている。「かいもち」ともいう。

と書いてある。大雑把に過ぎる。そこで『精選版 日本国語大辞典』を確かめる。

〘名〙 (「そばかき」とも) 熱湯に蕎麦粉を入れて練り、餠状に仕上げたもの。別に作った汁やからし醤油などにつけて食べる。蕎麦練り。蕎麦掻餠。そばがゆ。蕎麦の粥。《季・冬》

※咄本・昨日は今日の物語(千六百十四‐廿四頃)上「有夜秀吉公、夜食にそばがきを御このみなされ、御相伴衆へも下されける」

 Wikipediaと大して変らない。もう少し具体的な歴史は判らないものかと、BUSHOO!JAPANの[蕎麦の歴史は縄文時代から 江戸時代には将軍様への献上品にも並んだ]を見ると、そこには

 縄文時代には、そばの実をそのまま粥状にしたり、粉にした後水で溶いて焼いたりして食べていたそうです。

(中略)

 その實の特徴的なカタチと色から、色日本では"曾波牟岐(ソバムギ)"とか"久呂無木(クロムギ)"と呼ばれました。

 また、五世紀ごろには「そばがき」という料理が庶民の間で広まっていたことがわかっています。

(中略)

 記録上では『続日本紀』の養老六年が最も古いです。

とあつて、やうやく具体的な年代が見えてきた。養老六年を西暦に換算すると七百廿二年。令和の今から遡ると千三百年前。平城京への遷都の詔が出て十五年後だから、まだ奈良の姿は後の南都にはほど遠かつただらう。御門は元正…先代の元明帝に續く女帝で、女性から女性へ皇位が移つた、今のところ唯一の例である。上の『續日本紀』が我が國の正史(といふ扱ひ)といふ事まで含めると、既に蕎麦を食べる習慣はあり、それが記録に値するくらゐでもあつたと考へるのは間違ひにはなるまい。

 ところで千三百年前の"蕎麦の粉"はどの程度の挽き具合だつたのだらう。ざくざく砕いて

 「よし喰はう」

と思つたのではないか知ら。臼の技術史には不案内だから、勝手な想像ではあるのだけれど、そんな程度だから水で練るとか茹でるとかの工夫が求められたと考へれば、方向性ちがひと笑はれる心配は少さうにも思へてくる。当時の蕎麦好きが何をどう歓んだかは、歴史の謎にくるまれてゐるし、そもそもたかが備荒食に過ぎなかつた蕎麦が、賎民に好まれたものか甚だ疑はしい。

 併し蕎麦掻きが、"まづいけれど、無いよりはましな"食べものであり續けてゐれば、千三百年(念を押すとこれはヴェネツィア共和國史より僅かに長く、アウグストゥス登極以降のローマ史より稍短いくらゐの時間に相当する)の命脈は保てない。その間に幾つの調理法が登場し、また消えたかを思へば、"仕方なく食べる"だけではなかつたにちがひない。もしかすると、味噌だの醤油だのを活かすのに便利だつたのかと知れないけれども。

 ここまで書いてから云ふのも気が引けなくはないが、この手帖は率直を旨とするから云ふと、實は蕎麦掻きを食べた事が無い。だから食べてみたいと思つてゐて、ただどうも切つ掛けが掴めない。この稿を書く前に幾つか蕎麦掻きの画像を見たが、率直なところ、食慾をそそる姿ではない。だからなのか、食べさせる蕎麦屋が見当らないのも事情になる。だがもつと大きいのは、仮に"蕎麦掻き、あり 〼"と献立に書いてゐる蕎麦屋があるとして、何時頃に註文すればいいか、出てきた蕎麦掻きをどんな顔つきでつまむのか、その前に一人前でどの程度の量なのか(今は肴の扱ひらしいから、大した量ではなからうとは思ふ)、さつぱり或はまつたく見当がつかない…解らない。

 「莫迦だなあ。気にせず註文して、好きに食べるのが順当だよ。それに解らなければ訊けば、いいぢやあないか」

 その指摘の正しさは認めるのだが、わたしはさういふ行動が大変に苦手なんである。六づかしい料理ではないから、自分で蕎麦粉を捏ねればいいと云はれても、そもそもの蕎麦掻きを知らなければ、伝統に忠實…でなくとも、系列に属するのかどうかも判らない。蕎麦つゆ、大根おろし、山葵醤油。色々の食べ方があるさうだし、見た目は兎も角、蕎麦なのだから、まづくて喰へないとはならないだらう。お酒の一本も奢つて平らげてから、蕎麦切りに取り掛かれば、蕎麦食の古典と現代を樂めるわけで、元明元正両帝にはかういふ贅沢をご存知ではなかつた。

【参考URL】

Wikipedia:蕎麦がき

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%95%8E%E9%BA%A6%E3%81%8C%E3%81%8D

・精選版 日本国語大辞典:蕎麦掻

https://kotobank.jp/word/%E8%95%8E%E9%BA%A6%E6%8E%BB-2057549

・BUSHOO!JAPAN:蕎麦の歴史は縄文時代から 江戸時代には将軍様への献上品にも並んだ

https://bushoojapan.com/jphistory/edo/2019/12/31/90829

※引用に際しては表記等の一部を、閑文字式に変更した。