父方の祖母は酒精を受け付けない体質のひとだつた。家では正月元日にお屠蘇を呑むのが慣はしになつてゐて、祖母は盃を脣にあてる恰好でその儀式としてゐた。少年から青年に到る時期のわたしは、世の中にはさういふひとがゐるのだと、お説教も何も無しに教はつた。不思議なのは祖母の血を受け継いでゐる父とその倅(わたしのことだ)は酒精を好むたち…祖父が呑み助だつたかどうか。記憶にある限り、呑んでゐる姿を見たことがない…なことだが、好きではあつても弱いから、きつと
「呑みすぎるンは、止めときイね」
と云はれてゐるのだらう。不肖の孫(わたしのことだ)は祖母に甘やかされ、わたしもまたばアちやん子だから…祖母が浄土に召された後もこれは変らない…、さう云はれると頭を抱へざるを得ない。なので呑みすぎるンは控へることにする。それでひとつ思ひ出したのは、酒精を受け付けないひとは、奈良漬けのひと切れでも顔が赤くなるもので、うつかり奈良漬けの欠片を口にした祖母もさうだつた。さういふ事情の所為だらう、家で酒粕を使つた食べものは殆ど出なかつた。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏のご家庭でも、酒精由來かどうかは兎も角、似た事情はあつたのではないか知ら。
酒精由來の食べものと云へば酒粕で、お酒を搾つた時に出來る。外の酒類にかういふ副産物があるのかどうか。味醂や焼酎を搾る際にも出來るさうだが、たとへば葡萄酒の粕はどうか。圧搾といふ工程があるから、搾り滓は出ると思ふけれど使ひみちはあるのだらうか。次の機会に葡萄酒藏で訊くこととして、ここは酒粕に話を絞る。幼い…若い頃は苦手だつた。最初に書いた通り、お酒由來の食べものが食卓に並ぶ機会が少く、従つて馴染む機会にも恵まれなかつたのが理由の第一。これははつきりしてゐる。第二の理由として考へられるのは酒粕それ自体の問題で、そんなことを云ふのは根拠がある。
以前にも何度か名前を出した記憶があるから、ここでも気にせずに書くと、東京の奥多摩に[小澤酒造]といふ酒藏がある。元祿十五年…十八世紀に入つた計りの頃…の創業ださうで、赤穂浪士の討入りがあつた年でもある。ものの本によると、当時は一年を通して酒醸りを行つたさうだから、もしかして大星由良之助も、この藏のお酒を味はつたかも知れない。当時の藏は元祿藏の名前で残つてゐて、藏の見學で入つたことがあるが、高い天井と頑丈な顎のやうな梁が気分のいい建物である。かういふ気分のよさは建てて直ぐにどうにかなるものではなく、現役で百年二百年、動き續けないと出來上らない。百年二百年、現役で動き續けられるだけの要件…需要とでも余裕とでも云つていいが、さういふ何事かが欠かせないことになつて、詰りそれが文化である。
元祿期は兎も角、現代のお酒醸りは實に贅沢なもので、酒米を削りに削る。
「かうすることで雑味を減らせるのです」
といふ話だつたが、半分がところ削る場合もあると聞くと、勿体無いなあと思ふのが人情で、その辺りを訊いてみると
「お煎餅のもとや、飼料になります」
さういふ答で安心した。因みに云ふ。酒米を削るのは恐ろしく時間を要する工程で、勢ひよくがりがりやると、成分が熱で変化して仕舞ふのだといふ。何十時間だかを掛けるさうだから、その面から見ても贅沢と呼んでいいか。尤もお酒…葡萄酒でもヰスキィでも焼酎でも骨組みは同じ筈だが…はお米と水と麹で醸るから、人間が施す手を拒む部分がある。隣に立つて注意深く見つめ、多少の手助けをするのが精々で、もしかすると化学的に進んだ工場では何やかや、手を出すのだらうか。その辺はどうも判然としないが、お酒は藏で醸されるのが矢張り本筋…少くとも文化的とは呼べない態度だと思へて、工場酒では酒粕が出來るのか知らと不安にもなる。
やつと話が酒粕に戻つてきた。時間を掛けて削りに削つた酒米で醸すお酒から搾られた酒粕がまづい道理はない。仮にまづく感じたのならそれは酒醸りのどこかで失敗りがあつたか、味はふこちらの舌がをかしいかであつて、杜氏が搾りにかかるまで失敗りに気づかないのはあり得ないことを思ふと、祖母のやうに酒精を受け付けない体質でもない限り、こちらの舌に問題があると考へて誤りにはなるまい。[小澤酒造]では年に一ぺん、眞冬の時期にその酒粕で作つた粕汁を振舞ふ。この何年かは無沙汰をしてゐるが、あれは滅法うまい。具に入つてゐるの大根や牛蒡や人参、菎蒻に鮭くらゐで、特筆に足るとも思へないのに旨いのだから、詰り酒粕が上等(ここで慌ててつけ足すと、奥多摩の水がいいのも忘れてはならない)だからで、幾ら由良之助が晝行燈を気取つても、ここまでは味はへなかつた筈である。
それで實はその粕汁のことを書きたかつた。既に述べた通り少年丸太の舌に、粕汁はどうも旨いと思へなくて、それは馴染みが薄かつたのもあるが、酒粕自体の出來がもうひとつだつたのではないか。歳を経て味覚が変つたのも忘れてはいけないとして、[小澤酒造]の粕汁には厭な酒臭さが丸で感じられなかつたのを思ひ出すと、あれなら稚い舌にも美味いと感じられたのではなからうか。遡つて試せないのが残念でならない。さう考へるのは酒粕さへちやんとしてゐれば、粕汁は何を入れても旨いにちがひないと判つたからである。上に挙げた大根に牛蒡に人参に菎蒻に鮭だけでなく、豚肉でも油揚げでも厚揚げでも長葱でも種々の茸でも間違ひはなく、何なら全部を入れてもかまふまい。和食の汁椀は味噌仕立てでも澄しでも、種物を多くするのを避け、また大体のところはその方がうまいのでもあるが、粕汁はその系統には属さない。この系列は外に、豚汁や薩摩汁、三平汁にのつぺい汁、けんちん汁があつて、このちがひはどこに起因するのだらう。
いや起因だか起原だか源流だかは調べたくなつたら調べるとして、かういふ具沢山系統のお椀…勿論大振りの…があれば後は炊きたてのごはんが一膳にお漬物の欠片でもあればご馳走で、併しさう考へた時、粕汁はそこからも半歩ずれてゐる気がする。勿体振る積りはないから續けると、粕汁に限つては肴にしたい。呑むのがお酒なのは云ふまでもなく、その酒粕を生んだ藏の銘柄が望ましいのもまた改めるまでもない。吉田健一は大坂の一膳飯屋で食べるかやくごはんと粕汁の組合せを絶讚してゐて、確かにそれは世界の(でなければ大坂の)眞實ではあるのだが、同じ藏のお酒と粕汁の組合せには一歩を譲りさうだ。葡萄酒を樽で寝かせた後、その樽を割つて燻したベーコンかサモン、或は牡蠣があつたら、きつと一晩呑み續けてもお釣りが出るにちがひなく、さういふ魅力がお酒の肴といふ粕汁にもある。
この場合に有り難いのは粕汁が朝の卓にあつても不似合ひではないことで、(かやく)ごはんとお漬物を添へて朝食をしたため、そのまま粕汁だけお代りすればお酒へとなだらかに移れる。そのまま晝を過ぎ、夜まで呑めるかも知れない。西洋風の具沢山な汁椀といへばシチューを代表に挙げて誤りではなからうが、また朝食に出てきても不思議ではなからうが、そのまま葡萄酒へとなだらかに移れるかと云へば疑問が残る。シチューは矢張り汁椀といふより食事だから平らげるとそこでひとつ区切りがつく。粕汁は食事ではあつてもその中では飲みものに近いらしく…たとへばこつ酒を思ひ出したい…、気がつけばお椀は空になり、また気がつけばお椀は満たされてゐる。かうなると吉田健一か内田百閒の短篇小説のやうに理想的で、いつの間にやら睡つたところで、それはさういふものさと思つてゐられる。そのさういふものを愉しむのはお酒が搾られる時節に限られるのは残念と云へなくもないが、年中さうならないと保證されてゐるのだから、きつと祖母も安心して呉れるにちがひない。