閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

548 覚え書

 覚え書である。

 昭和五十五年から五十七年にかけて、發賣されたカメラにニコンEMがあつた。通称リトルニコン。リトルなのだからビッグに相当する機種があつて、そちらはF3になる。云ふまでもなくニコンフラグシップ機。ニコン歴代のフラグシップを俯瞰するに、F3とF4が最も優れた機種ではなかつたかと思ふが(フラグシップとは呼べないが、デジタルのDfはこの系譜に当る)、そつちはまあいいでせう。

 ニコンがわざわざリトルと呼んだのはおそらく、F3が大きく重く高価だつたからで

 「これだけで押し通すのは六づかしい」

と考へた結果ではなかつたらうか。丁度この時期、ペンタックスがMEを出したのを切つ掛けに、キヤノンAE-1ミノルタX-7と、当時としてはごく簡素な操作の機種が立て續けに登場してゐて、具合のいいことにF3も絞り優先式の自動露光を採用してもゐたから

 「よし。いけるぞ」

さう思つた…と想像するのは誤りで、リトルニコンの企画自体とF3は、ほぼ同時期に進んだと思はれる。どちらのデザインも、ジョルジエット・ジウジアーロが手掛けたからで、根拠とするには貧弱な理由か知ら。

 機能を横に置くと、EMのスタイリングはF3に優る。

 優ると思ふとか、優るのではないかとか、云はないのは確信してゐるからで、何故さうなのかと云へば、ジウジアーロは間違ひなく、カメラ本体だけでなく、フラッシュにワインダーまであはせて考へた気配が濃厚だからで、嘘だと思ふなら、フラッシュSB-EとワインダーMD-Eを附けた姿を見ればいい。最初からその積りでなければ、ああまで綺麗には纏まらない。何故だらうと考へるに、EMはニコンの異端であつた。この辺りがニコンの必要以上な生眞面目さ…いや誠實と云つておかうか、その顕れかと思へる。

 シリーズEと名附けられた一群のレンズが用意されたのがその證拠である。単焦点が五本(内二本は海外限定販賣)にズーム・レンズが三本。堂々たる布陣と云つてよく、フラッシュとワインダーを含め、たかが絞り優先自動露光専用の普及一眼レフで展開する規模ではない。再び云ふ。最初から入念な計劃がなければ、こんな風にはならない。もつと云へば、これが正しい"システム・カメラ"の在り方で、わたしの知る限り、日本の一眼レフでは、オリンパスのOMが成功さした以外の例は無い。

 とは云へ、この辺りがニコンのをかしなところになるのだが、何故普及機で實現させたのか。後年、折角開發した手振れ補正の機能を、いきなりコンパクト・カメラに搭載したのもさうで(本來ならスポーツや野鳥の撮影で眞価を發揮する筈なのに)、あの会社は技術や發想と、それを提供したいお客を結びつけるのが本当に下手だと思ふ。思ひはするが、ニコンFマウントの規格を保ちつつ、小さく纏めきつたところにEMの魅力があるのだとも考へられて、カメラの評価といふのは六づかしい。

 令和の今、EMは(見つかれば)廉価な入手が出來る。所謂レアな機種ではなく、蒐集に値すると思はれてもゐない…熱心なファンと研究者は兎も角…筈だから。わたしは持つてゐない。一時期、MD-EとSB-Eに標準系ズーム・レンズのシリーズEがあつたけれど、いつの間にか手放して仕舞つた。何年かに一ぺんくらゐ、慾しいと思ふことはある。幾らお小遣ひが乏しくたつて、その程度まで出せないわけでもない。手を出しかねるのは、修理は勿論、メインテナンスも無理なことと、矢張り調子のいい個体が少くもなつてゐる。手に入れるのは、使ふのと同義だと思ふと、躊躇して仕舞ふ。

 何年も前からニコンはEMのデジタル版を出さないかと思つてゐる。APSのフォーマットで、プログラム式と絞り優先式の自動露光だけ。測光も中央重点で十分である。その他のややこしい設定も要らない。枯れた技術を使つて、機能を絞り込めば、コストを抑へられる。抑へた分は小さく軽くする方に費やせば宜しい。

 レンズはごく地味な但し使ひ易い焦点距離がいい。さうですな、ライカ判で28ミリと60ミリのマクロ…訂正、ニコンだからマイクロ・レンズ。そこに20-35ミリの暗いズーム・レンズがあれば文句は無いが、贅沢は云ひますまい。あくまでも小さく軽く収めるのが優先だから、明るさは求めない。こちらだつて、ニコンの重厚な経験を鑑みれば、最初から答が出てゐるのと同じにちがひない。

 「云ひたいことは判らなくもないが」

ニコンのひとは応じるだらう。そんなのを出したとして、賣れる筈がないぢやあないか。

 果してさうか知ら。

 (デジタル)一眼レフは、既に"仕事として使ふ"カメラの一線から退いてゐる。阿房なことを云つてはいけないと叱られさうでもあるが、事實はさうだから、目は瞑れない。スマートフォンのカメラ機能が劇的に向上したことではなく、そこで冩眞…撮影する樂みを感じたひとを受容れる工夫を持たなかつた点(普段は持ち歩かない大きくて重い機械に十万円を払ふひとがどれだけゐるものだらうか)が、一眼レフの不幸であつた。

 ぢやあ一眼レフは終つたかと云へばさうとも云ひにくい。趣味として使ふなら、十分に現役だし、一部の機種には既にその兆候もある。まだ高価格の方向でしか見られないのは残念だけれど。そこで實用に足る玩具として、EMが登場する余地はある。本体にレンズ二本。専用のグリップとフラッシュ。全部あはせて十二万円くらゐなら、遊ばうと思ふひとはきつとゐるでせう。わたしなら慾しい。贅を凝らし、技術の粋を尽したカメラを否定はしないが、實のところ、さういふのが必要なのは、一部の職業冩眞家だけで、我われが持つたところで手に余る。ニコンのひとがこの閑文字を讀んでゐるとは思へないが、遊びを突き詰めた、極小のシステム・カメラを作るのは、惡くない方向だと思ふし、實現に向けては、EMといふお手本がある。