閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

451 花のF

 Fの文字を冠するカメラといへば、最初に浮ぶのはニコンである。昭和卅四年發賣。その三年後、昭和卅七年にニコレックスFが發賣され、實はこれがニコンFマウントを採用した二番目の機種(ニコマートは昭和四十年發賣)であつたらしい。但しニコレックスはマミヤが大きく関はつてゐる(一種のOEMだらう)から、Fマウントの系譜をどう扱ふかには議論の余地が残ると思ふ。

 併しわたしの頭に浮ぶFはニコンではなくオリンパスの方で、昭和卅八年に發賣されたペンFである。時系列から云へばニコンが文句を附けても不思議ではなかつた筈だが(M-1で始まつた一眼レフはライツから苦情を受けてゐる)、鷹揚だつたのか、フォーカル・プレンの頭文字だからかまはないと思つたのか。キヤノンが昭和四十六年に出したF-1にもニコンが何か云つた話を聞いた事がないから、単にアルファベット一文字だからといふ事情かも知れない。

 そのペンFはFT、FVと共に三機種がある。細かいところに目を瞑れば、露光計もセルフ・タイマーも無いF、露光計とセルフ・タイマーを内藏したFT、そこから露光計を省略したFVといふ違ひ。ただこれらは機能的に過ぎない。ペンFはFT/FVでセルフ・タイマーが配置された場所に花文字でFと彫り込まれてゐる。日本でかういふ装飾文字を使つた例は少ないのではなからうか。聞いた話だと、最初からセルフ・タイマーを入れたかつたが、開發時点では無理があつたので、そこを間延びさせない方策だつたさうだが、非常に恰好いい花文字で、Fと聞いたわたしがペンFを思ひ浮べるのは、これが大きな理由と云へる。

 發賣当時の価格は38ミリF1.8附きで二万六千五百円。同時期のニコレックスFは、四万九千三百円(ニッコールSオート50ミリF1.4附)、三万九千八百円(同50ミリF2附)だつたらしい。カメラの方向が丸で異なるから比較に意味はないが、ハーフ・サイズでレンズ交換式の一眼レフ、然も獨自のシャッターを採用した(正しくはさうせざるを得なかつたのだらうが)ペンFは、ひどく廉に感じられる。海外も含め、他社に追随させなかつた一点で、我が國のカメラ史上、特異な機種だつたのに。その特異さがオリンパス自身にも次の展開をさせなかつたと考へると、皮肉を感じなくもない。

 何年前だつたか、前世紀なのは間違ひないある日、中古のペンFを買つた事がある。ハーフ・サイズのくせに重く、二回巻き上げは使ひ易かつたが、動作はごりごりしてゐて、賑やかな音を立てた印象が残つてゐる。中古だから本來の調子ではなかつたのかも知れない。暫く使つて手放した後、『往年のオリンパスカメラ図鑑』(枻出版社)といふ文庫本を手に入れた。書かれてゐるのはお察しくださいの程度だが、載つてゐたペンFのアクセサリが中々の威容を誇つてゐたのには驚いた。接冩リングやレンズ・アダプタは兎も角、ベローズまであつたのを知つたのは、この文庫本のお蔭である。

 ここで改めて考へるとペンFは別段高級なカメラだつたわけではない。ニコンFは幾ら何でも高額過ぎ、ニコレックスFや、同時期の大ベスト・セラーであるペンタックスSP(50ミリレンズ附きで五万円くらゐだつたらしい)なら頑張れば買へなくはないとしても、高価だつたカラー・フヰルムを使ふなら、ハーフ・サイズで沢山撮れる方がいい。ペンFの背景にはさういふ後進國的な事情が潜んでゐた。そこに費用の掛かる様々なアクセサリを用意する必要性はなく、レンズ交換の樂みはあつていいとして、十本以上の本格的なライン・アップは明かにやり過ぎであつた。

 もしかすると当時のオリンパスはペンFを"ハーフ・サイズのミノックス"にする積りだつたのか。

 いやわたしの想像といふより妄想だから、信じられては困る。ただ小さなフォーマットのカメラを十全に使ふには、そのフォーマットを活かすレンズだけでなく、アクセサリの充實(さういへば一眼レフではないペンにも細々しいアクセサリがあつた)が欠かせないと指摘はしておきたい。そこにOMで大完成に到るシステム・カメラといふ概念の萌芽を感じるのは無理ではなく、それはひとりの設計者に帰結出來もするのだが、この稿では踏み込まない。わたしが時折り、ペンFを慾しいと思ふのは、(實際に使ふかは別として)そのシステム性に敬意を表したいからである。と書けば恰好いいが、それよりあの花文字に心惹かれるのだと、最後に白状しておきませう。