閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

648 漫画の切れ端~バオー 来訪者

 記憶に残る旧い漫画の話。

 

 荒木飛呂彦の名前を知つたのは、『魔少年ビーティ』でなければ『ゴージャス・アイリン』、或はこの漫画である。近い時期に別の作者の『コマンダーゼロ』や『機械戦士ギルファー』といつた打ち切り漫画があつて、いづれもわたしはファンだつたから、その流れで手にしたのだと思ふ。

 

 捕はれた少年が列車に乗つて…いや正確に云へば、水を満たしたタンクに入れられ、輸送されてゐる。

 たれが?…"ドレス"と呼ばれる組織が。

 何故タンクに?…それが最も"安全な状態"だから。

 

 少年…育朗と呼ばれる…は、"バオー"である。厳密には"バオー"と名附けられた寄生虫の宿主。

 "バオー"は宿主の生命の危機を感知すると、その躰を、骨骼を筋肉を強化させ、特異な能力…作中では"武装化現象(アームド・フェノメノン)"と総称される…を發現させる。

 追はれることになつた育朗は、あることを切つ掛けに、遂にその"アームド・フェノメノン"を武器に、"ドレスへの来訪者"になる決意をする。

 

 "惡の組織によつて、望まぬ力を得た"人間が、"その望まぬ力で惡の組織に立ち向ふ"構図は、ショッカーに改造された本郷猛、仮面ライダー以來の伝統である。であれば、"バオー"の物語は、クラッシックな少年漫画の系譜に連なると見立てられるし、かう云ひきつて反論は出ないとも思ふ。

 

 荒木がわたしを感心させたのは、"寄生虫で変身させる"趣向と、その寄生虫は成長の後、いづれ宿主を死に到らしめる設定で、育朗には本郷猛と異なる悲劇が約束されてゐる。

 石ノ森章太郎なら、物語の最後に逃れられぬその日を強調…暗示(もしかすると明示)するくらゐはしたと思ふが、荒木のペンはまことに優しく、育朗を"バオー"が活動を休止する水の中に沈めるにとどめた。それを"悲劇の先延ばし"といふ批判は認めるとして、育朗が再び目覚めた時にはきつと、その悲劇を克服するのではないかと、希望を持てもするだらう。こんな風に短く纏つた漫画は最近、あるのか知ら。