閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

705 曖昧映画館~激突 将軍家光の乱心

 記憶に残る映画を記憶のまま、曖昧に書く。

 

 平成元年公開の当時、映画館で観たと思ふ。観たかつたからではなく、何かの都合か弾みだつた筈だ。期待してはをらず、だから面白く観ることが出來た…と思ふ。尤も後日に観直す機会があつて、何とも微妙な気分になつた。

 

 千代田城の主、徳川家光は、息子…後継者でもある…竹千代の命を奪はうとしてゐる。己に似てゐない、だから気に喰はない。さういふ理由。老中、阿部重次は配下の伊庭庄左衛門に暗殺を命ずる。一方、堀田正盛は竹千代を守らんが為、石河刑部を頭目とする浪人集団を傭つてゐた。

 ここまでが話の前提。

 その竹千代の元服を行ふ。五日後、江戸に來い。

 嗣子を保護する堀田家に家光から上意が伝へられる。罠なのは云ふまでもない。道中の暗殺が成功しても、江戸行を拒んでも堀田家は取り潰される。生きて千代田城に乗り込み、当代の将軍に打ち克つ以外、竹千代には生きる途は無い。伊庭の一党と刑部の傭はれ浪人との激突や如何に。

 

 かう書けば、面白さうでせう。愛だの正義だの民草の暮しだの、現代劇から引つ張つたやうな御為ごかしはまつたく見当らないし、身を削つたアクションは大したもので(千葉真一がそつちを全部、担当したのだから当然だらう)、そこはその通りである…ではあるのだが。

 思ふに口ごもつて仕舞ふのは、脚本が纏まりきらなかつた所為でなからうか。ちらちら見え隠れする"理不尽"…この映画では、上位の身分が押しつける我儘勝手と考へていい…への抵抗をもつとはつきり見せてもよかつたのに。主人公側の登場人物には様々な"理不尽"への怒りがあるのだから、そこが多重的に描かれてゐればと思ふ。

 もうひとつ。アクションを折角、派手に仕掛けたのだ(アクション監督を兼任した千葉真一の殺陣は實に見事)、全体をもつと、漫画的…芝居的にした方がよかつた。ちやんばら映画といふ娯樂の未体験者には、勧めてもいいかと思ふけれども、歴史劇ではなく、時代劇なんだもの、荒唐無稽に徹するまで思ひきれなかつたのは、残念と云ふ外にない。