閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

644 漫画の切れ端~手天童子

 記憶に残る旧い漫画の話。

 

 永井豪といふひとは、天才であつた。かう過去形で書くと怒られさうでもあるが、天才になる困難より、天才であり續ける苦難の方が遥かに巨きい。

 

 ある夫婦の元に、鬼が赤ん坊を預ける。

 赤ん坊は"天の手から与へられた子供"の意味で、手天童子郎と名附けられ(鬼は"迎へにくる"と云つてをり、夫婦は自分の姓を附けなかつた)、慈しまれて育つ。

 

 成長した子郞の周辺にちらつく奇怪な影。そして約束通り迎へにきた鬼に子郞を"奪はれた"母は、鬼への憎惡に身を包まれ、無惨にも發狂する。

 

 ここまでが導入部で、よくもまあ『少年マガジン』誌は、連載したと思ふ。マガジン誌は、同じ永井の『デビルマン』や『凄ノ王』も連載してゐた筈だから、編輯者もどこか壊れてゐたのかも知れない。

 

 子郞は附き従ふ戰鬼護鬼と共に平安の昔に遡り、或は超未來の宇宙へ飛ぶ。

 

 鬼は何故生れたのか。護鬼が云ふには、泣き叫ぶ赤ん坊がゐる、鬼どもが相食み争ふ世界で、"その瞬間、わたしはそこにゐ"て、何を為すべきか…即ちその赤ん坊を護ること…も知つてゐたといふ。詰り、解らない。

 

 謎は複雑に絡みあひ、そして鮮やかに収斂する。

 四十年余り前の漫画である。ばらしても咜られる心配はなからう。

 

 發狂した母が病院の壁に描いた"殺しあふ鬼の画"と、そこに父が描き加へた"赤ん坊の画"、更に母が描いた"赤ん坊を護る鬼の画"が、物語の原因であり結果でもあつた。

 かくて円環は閉ぢられる。

 『デビルマン』でも『凄ノ王』でも『バイオレンスジャック』でも、話を畳みきれないのが永井豪の惡癖なのだが、この漫画はもしかすると殆ど唯一の例外といつていい。完成度で云ふと、頭抜けてゐると思ふのに、知られるところが少いのは不思議でならない。