閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

693 保守的の例外

 コンヴィニエンス・ストアでは食べものを殆ど買はない。

 普段なら煙草と精々がライターか。

 それでも偶か稀か、兎に角何ともかとも、面倒で堪らない時には便利だとも思ふ。その何ともかともは、眞夏に感じることが多くて、そんな時に冷し麺の類を買ふ。麺をうでて締めて器に盛り、何やかやを乗せ、食べた後に洗ふのは、落ち着いて考へれば、そこまで面倒でもない筈なのに、さうするのが敗北のやうな気分を感じることが眞夏にはあつて、一体何と戰つてゐたのだらう。

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 ところでわたしは飲食に対して、保守的な傾向がある。いや保守的といふより、臆病なたちで、冷たい麺類にしてもそこは変らない。ざる蕎麦や冷し饂飩、冷し中華くらゐでせうね、精々のところ。世界の食卓を見渡して、麺を冷して食べる習慣はどの程度、あるのか知ら。

 但しコンヴィニエンス・ストアの冷し麺は、どうも例外扱ひになつてゐる、らしい。らしいと云ふのは、コンヴィニエンス・ストアのざる蕎麦だの冷し饂飩だのは値段の割にまづいし、冷し中華は盛りつけも含めて冷し中華である。詰り買ひたくない…買はない…買ひにくい。

 なので否も応もなく、変り種を撰ばざるを得ない一面は確かにあつて、保守的なわたしも例外にせざるを得ないと云つてもいい。それで揚げ鶏と何とかのサラド風スパゲッティだとか、どこそこトマトのラーメン・サラドを買つて喰ふ。何かといふと、サラドの名目で誤魔化すのは横に置いて、まづくはない。その場限りではあるけれどもまあ、主食に相当する麺と、おかずにあたる種ものが何百円かで纏まつて、まづくないのだ、文句を附けるのは筋がとほるまい。