閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

667 画像が無いマカロニ・サラド

 常用のスマートフォンではカメラの機能を使つて、食べたもの飲んだものを冩す習慣があるのは、以前から何度か触れてゐる。お行儀が惡いのは知つてゐるのだが、習慣になつてしまつたし、記憶の代用でもある。なので今から止めるのは中々六づかしい。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にはご容赦をお願ひしたいし、眞似をしてはならぬと忠告もしておく。勿論すべての飲食を撮つてゐるわけではない。けれど過日ふと思ひついて一年間遡つたところ、マカロニ・サラドの画像が無かつたのには驚いた。食べてゐない筈はないのに。

 確かにマカロニ・サラドを食べる機会は少い。わたしの場合と範囲は決める必要はあるにしても、マーケットの惣菜賣場で買ふのはポテト・サラドが殆どだし、(長らく縁のない)呑み屋だつて、註文するのは矢張りポテト・サラドである。尤も考へてみたら呑み屋の品書きでマカロニ・サラドを目にした記憶はないから、後者を機会に含めるのは不公平な態度と批判されるだらうか。それは兎も角。

 

 土井善晴が[みんなのきょうの料理]で教へてくれるマカロニ・サラドの作り方は、マカロニを一パーセントの塩水で茹で、サラダ油をまぶす。そのマカロニとさらし玉葱、胡瓜揉み、細切りのハムに刻んだうで玉子をマヨネィーズで和へれば出來上る。

 念の為にキューピーの[マカロニサラダの基本レシピ]を確めると、ほぼ同じ作り方を紹介してゐる。茹でマカロニをオリーヴ油でまぶせば風味が増すとか、胡瓜は塩揉みしない方が食感を樂めますとの助言とか、味を調へるのに塩だけでなく胡椒も用ゐるとか、細かな差違はあるが、決定的なちがひとは云ひにくい。

 ポテト・サラドだとかうはゆくまい。わたしはポテト・サラドには酸味のつよい林檎でなければ柑橘(八朔や夏蜜柑)を入れる方がうまいと堅く信じる者だが、かう云ふと四方八方から異論反論が噴出するだらう、さうに決つてゐる。マカロニ・サラドなら、かういふすすどい対立は無ささうで、まことに平和的なサラドではあるまいか。

 

 併し神は細部に宿り賜ふ。

 さう考へると、マカロニ・サラドの細かなちがひが、細かな派閥を生みさうでもある。

 わたしの好みを云ふと(サラド全般にも云へるのだが)、マカロニ・サラドは賑々しい方が嬉しい。なのでハムよりベーコンを入れてほしいし、ツナ罐を…焼き鮭をほぐしたのや挽き肉を甘辛く炒めたのもいいなあ…追加してほしい。玉葱はさらしたのと炒めたのの両方を使ひませうよ。マヨネィーズは辛子を効かしたやつで、ここは。ポテト・サラドとはちがつて果物は入れなくてもいい。さういふのをレタースやキヤベツを敷き、トマトとセロリーを並べた器に盛つて出してもらひたいと思ふ。

 好き勝手を云ふものではありません。

 細部に宿り賜ふ神さまを招きたいなら、マカロニ・サラドくらゐ自分で作りなさい。

 厳しく咜り飛ばされさうである。御尤も。ここで云ひ訳を許してもらへれば、マカロニ・サラド…話はポテト・サラドを含めたサラド全体に広げてもいいのだが…の樂みはお弁当に似てゐる。蓋を開けた時に、あれがあるこれも入つてゐるぞと確めるのがお弁当の大きな歓びで、マカロニ・サラドでも矢張り、その樂みや歓びを感じたい。好き勝手なのは改めて認めるけれど、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏の何人かはきつと、丸太の云ふことも解らなくはない(かも知れない)と考へてくれるにちがひない。期待はしない方がよささうか。

 

 ここで不安になるのは、ぢやあマカロニ・サラドをいつ食べればいいのかといふ疑問で、案外な難問ではなからうか。朝食のトーストに添へるとして、どうも収まりがよくなささうだし、お晝に食べたいとも思ひにくい。晩ごはんのおかずにするにも、少々無理がありさうである。後は肴になるかどうかで、正直なところ、これも積極的には撰びにくい。

 そのままであれば。

 念を押すのは、たとへばオイル・サーディン罐を混ぜ、黑胡椒をたつぷり挽いたマカロニ・サラドだつたら、葡萄酒のお供にも惡くなからうと思へる。試したことはないから、そんな気がすると云ひ添へる必要はある。但しマカロニ・サラドは、ひとつふたつ捻れば、がらつと性格が変るのではないか知ら。そんな気もする。多少の手間はあるにせよ、抜ける手を全部抜けば、そこまでの面倒も無しに、ちよいと面白さうな一品になるのではと期待も持てる。取急ぎ今夜にでも、マーケットのお惣菜で試してみませうか。