閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

794 手を打つマカロニ・サラド

 馴染みがありさうで、案外さうでもない…かも知れない食べもの順位表を作つたら、マカロニは上位に食ひ込むと思へる。わたしの場合。イタリー人とモリコーネイーストウッドには申し訳なく感じなくもないが、きらひな食べものでもない。そこら辺でひとつ、手を打つてはもらへまいか。

 と云つた後、円く練つた饂飩を短く切つて穴を空けて茹がけばマカロニであると續けたら、たれが最初に怒り出すだらうか。わたしの幼かつた頃のマカロニが併し、さういふ姿だつたのは間違ひない。ハムと胡瓜と玉葱と人参とうで玉子を一緒にマヨネィーズで和へ、お皿に敷いたレタースの上に乗せて隣にトマトを添へれば、マカロニ・サラドの完成で、家ではあまり出なかつた。小學校の給食の献立にはあつたかも知れないが、記憶には残つてゐない。

 「なんて貧弱な」

と我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、笑ひたまふな。殆ど半世紀前の食卓なんて、そんなものだつたのだ。…と断じるのは少しあやふい。尊敬する吉田健一はわたしが生れる前に書いた随筆の中で、マカロニに肉を煮たのをかけたやつを食堂のメニュで見たと書いてゐて、あの批評家兼食ひしん坊が住んでゐた当時の東京には、さういふハイカラな一品を賞味出来る場所があつたことになる。

 ところで最近、仕事の帰りに立ち寄り易い…詰りわたしのやうな男にとつては甚だ具合の惡い…呑み屋を見つけた。正確に云ふと、見つけてしまつた。わたし好みの狭い店構へ。店長らしい男性が調理全般を、小母さんが客あしらひを受け持つてゐる。後日知つたところだと、その小母さん、ジャズのボーカリストだつたさうだが、まあそれは措く。

 話が逸れたと思はれると困るからマカロニに戻すと、そのの呑み屋の品書きにはポテト・サラドは見当らないのに、マカロニ・サラドがある。珍しいと思つて註文した。

 マカロニの茹がき具合は多分、意図的に堅め。

 マヨネィーズは好みより少いか。

 胡瓜、人参、飾りのやうなツナ。

 黑い粒は胡椒で、これがよかつた。一体わたしは胡椒を好まないたちだが、上手に用ゐれば話は別で、いつだつたか食べた生ハムを思ひ出した。黑胡椒を振つたオリーヴ油の小皿が用意されて、お刺身のやうに…生ハム自体に塩気があるから、オリーヴ油と黑胡椒の風味を乗せるくらゐで…食べたのが美味かつた。成る程かういふ使ひ方もあるのかと感心したのを覚えてゐる。

 でしやばらない程度に黑胡椒が効き、麦酒は勿論、酎ハイにも似合ふ。それでやつと、このマカロニ・サラドはおかずではなく、摘みなのだと気が附いた。マカロニを一本(数へ方は正しいか知ら)つまんでは、ひとくち呑む。また一本つまんで、呑む。きつとイタリー人は、そんな風にマカロニを食べないから、見られたら咜られるにちがひないが、オリーヴの實を刻み入れ、チーズを混ぜれば葡萄酒にも適ひさうである。我が親愛なるイタリー人諸君にはひとつ、そこら辺で手を打つてもらへないものか。